定年だ!!世界一周

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桑波田さん講演会 講演内容

2016-06-10 14:54:11 | タンザニア孤児支援の会

タンザニアの孤児院を支援する桑波田さんの講演会

ご出席頂いた飯田さんが当日の講演会を正確にレポート頂きました。ありがとうございます。

 2016年5月21日(土)、タンザニアの孤児院を支援されている、桑波田恭行さんの講演会に参加しました。桑波田さんは70歳を過ぎてからタンザニアに渡り、以後5年に渡って現地の孤児院と子供たちのためにボランティア活動をされています。
 4月11日に放送されたテレビ東京「世界ナゼそこに?日本人」で紹介されたことがキッカケとなり、その活動を支援したいという人が次第に増えてきています。
 今回紹介するのは、約1時間30分におよぶ講演会の内容をまとめたものです。テレビだけでは伝わりきれなかった、現地での情報や桑波田さんの子供たちへの想いが語られています。

テレビ東京ホームページ:「世界ナゼそこに?日本人」バックナンバー


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「アフリカで一緒にボランティアはどうでしょうか?」


ーー本日は桑波田さんの報告会に参加いただきありがとうございます。テレビの放送後に多くの反響があり、その中に直接お話を伺いたいという要望がたくさんありましたので、タンザニアへ向かう準備中の一番忙しい時だったのですが、無理をお願いして今日はお越しいただきました。今回のテーマは「アフリカで一緒にボランティアはどうでしょうか?」です。まずお住まいになっているタンザニアですが、どのような国なのでしょうか?

桑波田恭行(以下、桑波田)さん
 タンザニアはテレビで紹介されているように東アフリカの中でも一番貧しい国です。国の経済状態と関係しているのですが、何しろ孤児が多いところで、僕も骨を埋める覚悟でタンザニアでボランティア活動をしています。
 タンザニアはキリマンジャロに登山する人たちのベース基地にもなっている観光地で、標高も割と高く、気温も30度ぐらいで推移している気候的にも良いところです。しかし非常に貧しい国で孤児も多く、泥棒が職業になっている人が多いような国です。

ーータンザニアの子供たちはどのような状況なのでしょうか?

桑波田さん
 タンザニアには戸籍制度がなく、結婚して子供が生まれても、親に経済力がないから育児放棄するわけです。それで孤児がどんどん増えて、ストリートチルドレンになって街で生活する子供が多いんですね。もちろん両親が亡くなった子供もいますけれども、僕が見ているかぎり孤児になった理由はそういった理由が多いです。
 以前活動していたムコンボジ孤児院で、子供たちに自分のルーツを聞いたら、自分の生年月日も分からないというので、大体何歳ぐらいか見当をつけてリストに書いていました。なので就職するのも難しいんです。
 今関わっているムサマリア孤児院には43人の孤児がいますが、その子たちにはリストを書かせたので、生年月日は一応分かります。今度は出身地など、一人ひとりがどういうルーツで孤児院に来たのかを調査するつもりです。そのことを知らずに大人になるというのは、本人にとって良くないと思うので。

ーー昔タンザニアは社会主義国だったとお聞きしましたが。

桑波田さん
 タンザニアが独立した時に、ニエレレ大統領が共産主義を採用したのですが、10年ぐらい前に資本主義に変わったことが影響していると思うんです。今の自由主義になってから孤児が増えたような気がします。自由競争の中で食料がないから、親たちが子供を捨てるというパターンに変わってしまったんですね。だからこれからも孤児が増えていくと思うんですね。
そういう意味では自由主義は本当に良いのかなって思います。
 それは先ほど言ったように、共産主義から資本主義に変わってきたから、周りの国と比べて遅れているんですよ。例えばケニアは比較的裕福なので、親が費用を出して学校に通わせることができるんですね。だから犠牲になっているのは子供たちで、そういう子供を集めて孤児院で保護しているんです。日本だったら孤児でも義務教育は受けられますが、タンザニアには義務教育は無いし、お金がないと学校に通えない。
 僕は生きていくためにご飯を食べさせる、ということをしているわけです。要するに人間として生きていくことを支援しているわけです。

ーーテレビでも若い頃のお話が出ていましたが、仕事は何をされていたんでしょうか。

桑波田さん
 建設会社で測量士をしていました。三角点から測量して、道路を作るための地図を作るという基礎的な仕事をしていたんですね。
 三角点は国境を決めたりする国の基準になるもので、最初に作るものなんです
(注:三角点とは三角測量を行うための基準点のこと。経度・緯度・標高の基準になる)。大体3kmぐらいで整備されていて、アフリカでは植民地時代に三角点を作って、国境線を勝手に決めて分けあったんですね。
 その仕事を僕はJICAの一員として行っていました。JICAでは技術開発援助を無償で行っています。魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える……つまりモノを与えるのではなく、モノの作り方を教える、というのがJICAの基本理念なんです。


「すべてを失って丸裸に」


ーーどうして70歳を過ぎてからタンザニアに行かれたんですか? 

桑波田さん
 最初はタンザニアの測量局で測量士として教えようと思っていたんですよ。ところが歳が歳だからと断られちゃったんです。それで何かボランティアはないか相談したら孤児院があるということで、ムコンボジ孤児院に行くことになったんですね。
 ここには4歳の子供から14~15歳ぐらいの中学生まで30人ほどの孤児がいました。中には学校もあって、専門の先生が教室で授業をしていたのですが、小学校4~5年頃の内容をみんな一緒に教えていました。だから下の子は内容が難しすぎて分からない、といった状況でした。
 
ニワトリ小屋を作ったのは、例えば朝食はパン二切れを水で流し込んで終わり、というのを見て、これじゃ育ち盛りの子供たちが可哀想だと思ったんです。でもやっとニワトリが卵を生み始めた矢先に強盗に遭って、仕方なく一旦帰国して再びタンザニアに戻ってみたら、孤児院は閉鎖されていて、鶏をはじめニワトリ小屋を作ったノコやカナヅチ、ノミといった道具や、衣類や書類など全部なくなっていたんです。

ーー最初に活動されていたムコンボジ孤児院は閉鎖されたわけですね。

桑波田さん
 すべてを失って丸裸になって、そこから1~2km先にあるムサマリア孤児院にたどり着きました。僕が最初に行った時には38名いて、電気はなかったけど寝るところがしっかりしていたので、あとは食べることだけ心配すればいいと思いました。
 でも貧しくて小学校に通えない子供が3人いて、その時ちょうど年金が入ったばかりだったからすぐ学校に連れて行きました。小学校に通わせるのも大変で、学校の規則で靴から制服まで買い揃えないとならないし、朝10時頃にウージという豆を挽いて茹でたものが朝食として出たりするので、学費が高いんです。日本円で約1万円ぐらいですが、親が経済的に余裕がなくて学校に行かない子もけっこういるんです。しかし、最低限小学校に通わないと、公用語であるスワヒリ語を学べなくなってしまいます。とにかく最低でも小学校ぐらいは出させてあげたいと思っているんですけどね。
 中学生になると、10~20kmも離れた中学校に行くんですが、そこは寄宿制度になっていて団体生活をします。そこに通わせるためには恐らく一人5~6万円はかかります。そのためのスポンサーを一人につき一人見つけなければならないんですよ。スポンサーになるのは現地の人もいれば外国人もいます。僕はそこまで面倒を見られないから……というのは僕の年金を全部注ぎ込んでも足りないぐらいなので、今の段階ではそこまでは考えないようにしています。
 実は担当の役所があるので、孤児院は授業料を無料にして欲しいと相談しに行ったんです。そうしたら予算がないからダメと断られました。でも最低でも孤児は無料にするべきで、このことは言い続けなければならないと思ってます。これは世界の常識だと僕は思ってます。

ーー以前活動されていたムコンボジ孤児院の資金はどこから出ていたんですか?

桑波田さん
 ロンドンにある支援団体が援助していて、活動資金を一年分まとめて送っていたんです。ところが職員が横領していたのが分かって、援助を止められてしまったんです。ムコンボジ孤児院では30人ぐらいの子供に対して職員が5~6人もいて、職員が給料をもらっていたんですよ。車も4~5台あったし、それにコンピューターもあって……支援金を食い物にしていたんですね。閉鎖してから調べて分かったんですが、それを知っていたら僕は支援しなかったかもしれません。
 このことで僕が学んだのは、決してお金を渡してはダメだということです。僕は現金を直接渡したことはなくて、例えば肉が欲しいと言われたら肉を買いに行くんです。渡したら何に使うか分からないですから。
 ムサマリア孤児院の場合は、スタッフの女性2人はボランティアなんですよ。ちゃんとした孤児院はそうやってボランティアとして活動しているんですね。でもスタッフが僕に腰巻きを買ってくれってねだってくるんですよ。僕はあくまで子供を支援していて、大人を支援する気はないからダメだよって断っていたんだけど、あまりにも可哀想だから結局腰巻き買ってあげましたどね(笑)。

ーー孤児院が閉鎖された後、子供たちはどこに行ったんですか?

桑波田さん
 恐らくもともと住んでいたところに帰されたんだと思います。一番可能性があるのは市場だと思います。というのは、市場には多くの人がいて、物がたくさんあるから、何とか生きていけるんですよね。でも孤児院にいた子供たちには何の責任もなくて、全部職員たちが悪いんだから。本当はしっかり罰を与えないといけないと思うんだけれどね。


「本当に死ぬかと思うぐらい拷問を受けました」

 

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 タンザニアは貧しい国で治安も悪く、桑波田さんも何度もスリや強盗に合いながら辛抱強く活動されています。子供たちの笑顔を見ると頑張れるというその姿勢には、ただただ感銘を受けるばかりでした。
 桑波田さんは5月末にタンザニアに帰られましたが、テレビでは伝わらなかった子供たちへの熱い想いや、現地の大変貴重なお話を聞くことができました。帰国準備でお忙しい中、講演会を開催していただき、誠にありがとうございました!

※桑波田さんへの支援先は、タンザニア孤児支援の会(ブログ「定年だ!!世界一周」)をご覧ください。





 

 

 






 

 

小川菜摘

 

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