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地球浪漫紀行☆世界紀行スタッフの旅のお話し

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トルコの偉大なる遺産~ネムルート山のアンティオコス墳墓遺跡

2008年07月23日 21時36分08秒 | トルコ
みなさん、こんにちは。川崎です。
トルコの南東部、ネムルート山の山頂にあるコンマゲネ王国最盛期に、
自らを神々と同格視していたアンティオコス王が自らのために建てた巨大な墳墓のお話です。

紀元前162年~紀元後69年までのわずか231年間、独立、そして大いに繁栄をしたコンマゲネ朝は、もともと、セレウコス朝シリア、ローマ帝国、パルティア王国などの巨大王国をはじめ、様々な小国が林立する小アジアの非常に不安定な土地に属国として存在しました。
しかし、セレウコス朝が衰退したのをきっかけとして、この地域はコンマゲネ王国として独立を果たします。そして、紀元前69年に王位についたアンティオコスの時代に最盛期を迎えます。
彼の時代に建てられた最も有名な建築物がネムルート山の山頂にある墳墓遺跡です。ここにはアンティオコス王の亡骸が埋められているといわれ、エジプトのピラミッドに似た塚の東西のテラスにはゼウス=アフラマズダ神、アポロ=ミトラ神などの石像と一緒にアンティオコス王の石像が中央に配置されています。
アンティオコス王はギリシャ化されたゾロアスター教を熱心に信仰していました。多数の民族が混交していたコンマゲネ王国では、王権を正当化するために、王家はギリシャとペルシャ王室の混血であると主張し、代表的なギリシャとペルシャの神々を奇妙に混ぜ合わせた神々を崇拝していました。
さらに残された遺跡から彼らは星辰崇拝だったこともわかりました。古代世界では、農耕中心の生活が一般的だったため、世界中の古代文明で太陽の動きや夏至、冬至などの天文学に関する知識はよく知られていたようです。古代エジプト人や古代ギリシャ人も星座の詳しい知識を持っていましたが、その影響を受けたと思われるコンマゲネ王国の人々も同様だったようです。特に獅子座に強い関心があったようで、今では一般公開されていませんが、かつてはネムルート山には19個の星が描かれた素晴らしいライオンのレリーフ(その首には三日月のレリーフも)がありました。それはアンティオコス王の戴冠式を表した日の上空の星や月の配置を表しているといわれています。 
近年一部の学者たちは、イエス・キリストのもとを訪れた三人のマギとは、実はこのコンマゲネ王国からきたのではないかと考えています。その理由として、ペルシャの影響を受けたコンマゲネ王国ではライオンは王を意味し、馬小屋で生まれたユダ民族であるイエスはライオンの民と呼ばれていたこと、そしてその生まれた日に光輝いていたシリウスを追って馬小屋まで辿り着けたこと、などなど(昔のキャラバン隊は星の動きを見て夜間の移動をすることは一般的でしたが・・・)。

実際にそれを証明するのは困難でしょうし、他にも多くに謎を秘めたコンマゲネ王国ですが、非常に私たちの好奇心をそそることは間違いありません。是非、一度この小高い丘に登って、当時の繁栄に思いを偲ばせてみてはいかがですか?
(川崎 大地)

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ネムルート山からの夕陽


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