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清流を見ながら

川面に映る自然を見ながら時々に思うこと

メディアは専門知識も持って

2011年10月08日 | 報道
東日本大震災や東電福島原発事故の報道に問題はなかったか。先月末にマスコミ倫理懇談会全国協議会全国大会が開かれ、特に原発報道について多くの反省の声が上がった、という新聞報道を読んだ。素人ながら、こうした会議がいつ開かれるのかと首を長くして待っていた。

会議には福島原発4号機の原子力圧力容器の設計者をはじめ幾人かのマスコミ以外の参加者も意見を述べられたようだ。紙面で見る反省点には物足らなさもあるが、これから是正されることを願っている。

こうした災害時の速報報道は電波が新聞に勝るのは承知のこと。その電波情報に国民が惑わされたことについての反省が読みとれなかった。「詳細な情報が入らず十分な情報が伝えられずもどかしさを感じた」などといっているらしい。ひと言いいたい。それはあったかもしれないが、電波メディアの原発や設備の運転などに関する知識の無さをさらけ出したことへの反省が見られない。

「ベントで圧を下げれば安全になる」という解説員がいた。ベントの構造や設置目的を理解していたら、ベント操作とともに放射性物質が大気中に放出される恐れを指摘できたはずだ。情報の過多に関係ない。

電源が復旧すれば安全になる。どこの発表か知らないが、なんの検証確認もないままに報道している。こうした失敗は、原発の安全神話に胡坐をかいていたからだろう。ある時期、画面で説明した内容の間違い点を検証し、なぜそうなったのか、第3者の意見を取り入れた番組を流して欲しい。

あの事故以降、原発推進者以外を画面に出し意見を聞いている。これまでの偏った報道への反省かもしれないが、局としての原発論も聞かせて欲しい。

検証と分析を

2011年09月24日 | 報道
東日本大震災から半年以上が過ぎた。ここまでの復旧に関しては厳しいことが指摘されている。関係者の苦労を全く無視したような発言、それらはいかにも厳しそうな指摘や意見に聞こえるが、そのことの優先度が分からないので、適切な意見か否か分からない。時には何かをあおるようにも聞こえる。

また、阪神淡路大震災後の処置と比較される。阪神淡路のそれに比べ今回の被災復旧がどれほど遅れているか必要な項目について比較されている。項目ごとの遅れは説明を聞いてよくわかる。過去に似た経験を有しているのになぜ今回それが遅れているのか、検証して話してもらえると嬉しい。

決められた短い時間の番組でそんなすべてを盛り込むことは不可能かもしれない。しかし、それでは不完全な報道になってしまう。的を絞って検証しながら報道すれば、そこに解決の策やヒントが生まれるかもしれない。あまりにも表面的なことをしゃべらせているので、聞きあきてしまう。

庶民の隠しない気持をコメンテーターがただスタジオで同調応援するだけではなにも解決しない。コメンテーターらしい検証とそこから生まれる分析に基づいた提案型のコメントを期待したい。これは震災に限ったことではない。社会・教育・経済・労働、勿論のこと株価についても。

民放は新聞朝刊の紹介をする。各紙の論調などは比較できるが、局としての姿勢はどこにも出ない。新聞比較はTV局の仕事とは思わないが。

台風中継は安全に

2011年09月21日 | 報道
居座り続けた台風15号、予想どおり今朝からスピードを上げ東海から関東北部を進んでいる。台風被害といえば風と雨。家屋浸水、道路決壊、山崩れなど各地で発生しているが、その内容は進行中の台風に遮られ定かではない。

交通機関の運航中止が相次ぎ、首都圏の退勤ラッシュの混雑を伝えている。現役のころ、台風接近の情報を判断し、公共交通機関を利用する社員を早退さ、翌日に備えたことが何度かある。自家用車で通勤者からはブーイングを浴びせられた。

NHK総合TVの放送は台風情報一色だった。民放も今日はどの局もトップニュースは台風関連だった。夕方、事件や芸能界の話題をトップにする局も、今日は違った。各局の報道を比べると映像に差がある。

1歩前に出て撮るかそうでないかの迫力の違い。濁流のアップが多すぎ河川全体の様子がわからい映像。横殴りの風雨に倒れそうなライブ中継はNHKより民放に軍杯、といって進める訳ではない。

昔なら実況中継を最近はライブ中継という。放送機材が進歩したから実況なんて言葉を古く感じるのだろうか。その台風のライブ中継で女子アナも多く登場する。以前にも言ったが、ヘルメットは正しく被ってください。女子アナにはヘルメット着用なしもいました。局の姿勢を疑問に思います。いいニュースも安全の裏があってのもの、特にライブ中継では何が起きるか分からないのだから。


土砂ダムかせき止湖か

2011年09月14日 | 報道
台風12号の影響で大雨に見舞われた紀伊半島には多くの土砂崩れが発生し、川の水がせき止められた。それだけではなく、夕立ほどの雨でも川をせき止めた土砂とそこに溜まった水による下流での被害がシュミレーションされ、避難を呼び掛けている。

この現象を報道では土砂ダムとせき止湖の二つの呼び方がされている。どちらも定義は同じようだが、映像で見る状況からは土砂ダムがいい。起きてはならないが「土砂ダムが決壊」と表現されたらその状況はすぐさま思い描ける。

人工ダムも川をせき止めている。そこにできたのはせき止め湖である人工湖。人工の場合は利水など計画された水の用途が明確にされている。そのためにせき止めている。是非はあるだろうが、せき止湖という表現には紀州半島各地で心配される災害という緊張感を感じない。

湖、には大きな危険を感じさせない。古いが「静かな湖畔の森のかげから…」というようなイメージがある。いま、紀伊半島でできたのは土砂ダムではなかろうか。せき止めてできた水の塊ではない。どうしてもいうなら「せき止められ湖」だろう。


記者と大臣

2011年09月11日 | 報道
また失言で大臣が一人辞任した。ここ数年、こうしたことが当たり前の世にどの内閣でも見受けられるように感じる。選任する方もされる方も、ある基準に達していないことになる。最終的にはその人らを選んだ国民に跳ね返る。選ぶときには情実を排したしかっりしたいい人物を国会へ送ろう。

官僚として中央で記者とも接触があり、今は出身地の地方へ帰っている人、故郷へ帰ってもそれなりの人で、記者から取材されるなど記者と関わりが続いている方。今回の原発発言での辞任劇を生んだ記者の反応についてその方は経験からこういう感想を持っていた。

昔なら、擦りよられた記者が「大臣、その発言は問題ですよ」と囁く。それで大臣は気安さで、すり寄った行為を反省しただろう。こうした太っ腹記者がいた。最近は特ダネか何か知らないが、争点を暴きだすのが役目と思っている記者が多い。

すべて元官僚の話があたっているかどうかわからないが、記者は常に野党の好むことばかり見つけ出すのでは能がないことは確かだ。記者も幹部になると首相と会食などがある。そこでどんな会話がされたか見たり読んだことはない。食費は内容からして公費だろう。たまには会食の話題も報道してほしい。会食でなく懇談というのかもしれない。

時には大臣にもその場で慣れ合いでない注意や指摘の出来る記者の誕生を期待する。


共同会見の記者

2011年08月27日 | 報道
投票権のない人が、寄り集い来る人に向かって「あの人を支持する」という。寄り集いきた人らは全員がそれに従うのだろうか。何十回となく選挙投票をしてきたが、すべて自分の考えで行使してきた。こうして当選させてもらった赤絨毯を踏んでいる人は、誰かの一声でそれにながれるのだろうか、そう在って欲しくない。

5人の民主党代表選候補者の共同記者会見。質問は報道関係者、それもぶら下がりなどは大昔に卒業した人らが、最前列に並んでいる。首相とは会食するような人ばかり。それでは面白くないし、庶民としての素朴な質問は出ない。

政治経済防衛日米関係米軍再編原発大連立…と漢字を並べるような話ばかり。候補者がどれだけ庶民の生活を知っているのか聞くことはなかった。質問者は高度な質問と思っているかもしれないが、そんな質問ばかりが政治への関心を薄れさせる一つである。

医療費にどれだけ苦しんでいるのか、基地の轟音にどれだけ悩んでいるのか、公営交通手段を切り捨てられ通院に悩む人らのことなどなど、一つでも庶民の苦しみ改善へ連なる答えがきけたら、この人ならたよれる、となり、総裁選でも代表選でも関心は高まる。数合わせのひっつきもっつきは出来なくなるだろう。

景気を回復させ税収を上げる、素人でもわかること。与野党が協力して厳しい現状を改める、今言われなくても昔から言われたことなど、新聞や報道のタイトルを改めて言わせるが、そこには具体性はない。記者は閣僚らの発言に具体的ものがない、というが、それを引き出していないのは報道側にも問題がある。

首相と会食などに縁のない若い記者クラスに質問をさせると面白いかもしれない。キャップなどのチェック無しに。地方の町で取材している記者と話すこともあるが、よく地域を知っている。それが偉くなると、閣僚などと同等という振る舞いになる。権力を越えると記者の目は死す。

なさけない

2011年08月20日 | 報道
東日本大震災の被災者の負担軽減や復興支援目的に行われていた東北の高速道路無料化が打ち切りになるという。その理由は「被災地への物資輸送と無関係な車両が悪用し無料通行する車が横行している」というなんとも情けない理由。

これをTV各局は追跡レポートしていた。映像を見せられた運輸会社の幹部は「運転手が勝手にやっていること。会社としてやめろとは言わない」と話していた。高速料金は自分持ちなので辞めない、という運転手もいた。インタビューはその先を流してくれなかったが、追及はしたのだろうか。

追跡し無関係な車の多さを放送した。よくいってくれた、と思ったのもつかの間、コメンテーターが「違法ではないから無料通行をやめろとはいえない」「この無料化制度に問題がある」そんなことを言った。

震災支援のための無料化を悪用していることは間違いない。ICの出と入りさえ合致していれば悪用でないというのかわからない。コメンテーターの肩書が泣く。モラル、マナーからみても普通の人のやることではない。何故に「悪い」と言わないのか。映像のナレーションは庶民感覚でもっと追究して欲しいと感じた。

無料通行は早くから指摘されていた問題。国側にも足らざることがあったのだろうが、だからといってどんな抜け道でも使えるから抜け道を使って差し支えない、それを悪いといわないコメンテーター、いったいどうなっているのだろう。

国はトラックの適正利用を再三お願いしたという。が是正されないので打ち切りの検討するという。運輸業界自体としてはどのような対策を打たれたのだろう。刑が課せられなければ何をしてもいいとことはない。コメンテーターも含めて反省をして欲しい。


民放の検証番組

2011年08月18日 | 報道
夏休みも後半にはいり、最後の思いで作りかもしれない旅先で痛ましい事故が発生した。静岡・浜松市の天竜川で、船下りの遊覧船が17日転覆した。女性2人が死亡した事故は、行方不明の3人の捜索が続けられている。

関係者の話しなどからおおよその様子がわかってきた。といううことで、今回に限ったことではないが、民放では早くも事故の検証という番組が流されている。検証は実際に調べそれを証明することで、関係者の話だけで構成するのは怖い感じがする。

聞き違い、見舞い違い、思い違いなどが少しでも含まれてしまうと事実が事実でなくなる。捜査機関のそれがどこまで進んでいるのか知るよしもないが、家宅捜査の段階ででは事故は解明されていないだろう。

当事者の話から事件を組み立てるのは刑事ドラマに似ているが、そこに推測や間違いの入らないことを願っている。過去の冤罪のいくらかに報道も加担していたと思っている。検証番組は慎重になって欲しい。

代表選の候補者は

2011年08月14日 | 報道
菅総理が26日にも辞任表明される、という前提で政治が進んでいる。辞めろコールが嘘のように静かな週末で盆休みが重なった。

それにつれて激しくなるのが総裁選報道。候補者の名前が各局のTV画面に出る。共通した人もあるが、A局では出るがB局では候補に挙がっていない。候補になるといわれる人らは頻繁に画面登場している。

局、コメンテーター、解説者などなどどこで取材されたかわからないが、食い違いがある。大きな違いで候補は3人に絞られる、と言い切った方がいた。その人のなまを聞かれ「騒がせることになるので今は言えない」と、妙に落ち着いていた。

別の局では7人の顔をだし、さらに2人くらい手を挙げることもある、と観測気球を飛ばす。地方に住むと、議員らの車を見ることも、それを追っかける記者を見ることもない。どこの局がよく取材し、分析しているか、代表が決まるまで分からない。分からないから面白いのだろうが。

各局共通しているのは小沢派の動向がどうなるか、ということ。報道からは、小沢さんは候補になる人らの品定めをされている、言葉は悪いがそんな印象をもつ。選挙後の自派の居心地のいい人を探す。先日の「議員は自らの責任で」と行動をうながしたばかりだから、そうなって欲しい。

報道は増税は賛成か反対か、親小沢か反小沢か、大連立に賛成か反対か、こんな軸を組み合わせ、候補になるだろう人の顔を配置している。面白いが、配置の具合で国民の評価は分かれる。候補予定者について、総理を長く務めれるのは誰か、軸に並べ示してほしい。

放送事業者の資格

2011年08月05日 | 報道
地方なので見たことはないが「東海テレビ」の「ぴーかん」とかいう番組、報道や局の謝罪文を見る限り、放送事業者としてその資格なし、と思える。

原因が「仮テロップが、操作ミスで送出されたため」という極めて超簡単な文面。詳しくはこれから究明かもしれないが、放送できないようなテロップがそもそも作られていること自体が大きな問題である。そんなものが電波に乗る状態になっていることが理解できない。

繰り返すが、こうしたテロップが存在すること自体が理解できない。それが放送界という魔物殿では一般的なのだろうか。くだらん内容の放送を見せられるとチャンネルを変えるが、放送局のレベルはこれくらいのものか、特に民放の場合あきらめている。

多きな口を開け大げさな身振りをしながら高笑い、食べ物を粗末に、話術がないから相棒をこづいて笑いを誘うなど上げればきりがない。全部がこうではなかろうが、娯楽の域を離れている。そして見ても聞いても首を傾げざるを得ない出演者を「芸人」と呼ぶ。

少し外れたが、報道機関は免許のもとで成り立っている。報道権力に胡坐をかくことなく初心に帰って、番組の内容チェックをして欲しい。いい番組にはいいスポンサーがつく、そう信じたい。

新聞報道を見て、テレビ局にこれほどの失望を感じたことはあまりない。