(当ブログをみて行きたくなったと)知人がお孫さんを連れて行ってきたよ、と。
その際のやり取り(line)で「茅の輪」もあったし、「花手水」の花も変わってたよと。
なぬ、それは再び行きたいではないか、ということで再度訪問。
今度こそしっかり「両部鳥居」を撮るぞ!と勇んで酷暑の中出かけました。
ほんまにギラギラの炎天下ですが、映えてました「鳥居」…
では例の「花手水」…
なんて涼しそうな、風まで吹いてきました、
「青もみじ」が清涼感を醸し出す、我が家でもしてみようかな。
じっと覗いていると何やら動くものが…
「蛙が主人公」のようです、
さて ↓ ここに は何匹いるでしょうか?
しばし、蛙の追っかけをしていましたが、そうだっ!
頼朝建立の最初で最後と言われる「岡八幡宮」(白樫)、
ここの『茅の輪』もお参りしておかないと…
目的はほかにもあったので、「猪田」→「南山城道の駅」→「白樫」のコースを走りました。
長田から島ヶ原、そして「石打」に抜けるその道沿い、なんと「ネムノキ」の多いこと。
今の時期、あの花の色が目立つ!んでしょうね。
薄っすらだけど「赤い花」が咲き誇るのを見ていると、、、
また誘惑されちゃいそうになります。
では「ネムノキの花の不思議Ⅱ」へ、
その際のやり取り(line)で「茅の輪」もあったし、「花手水」の花も変わってたよと。
なぬ、それは再び行きたいではないか、ということで再度訪問。
今度こそしっかり「両部鳥居」を撮るぞ!と勇んで酷暑の中出かけました。
ほんまにギラギラの炎天下ですが、映えてました「鳥居」…
では例の「花手水」…
なんて涼しそうな、風まで吹いてきました、
「青もみじ」が清涼感を醸し出す、我が家でもしてみようかな。
じっと覗いていると何やら動くものが…
「蛙が主人公」のようです、
さて ↓ ここに は何匹いるでしょうか?
しばし、蛙の追っかけをしていましたが、そうだっ!
頼朝建立の最初で最後と言われる「岡八幡宮」(白樫)、
ここの『茅の輪』もお参りしておかないと…
目的はほかにもあったので、「猪田」→「南山城道の駅」→「白樫」のコースを走りました。
長田から島ヶ原、そして「石打」に抜けるその道沿い、なんと「ネムノキ」の多いこと。
今の時期、あの花の色が目立つ!んでしょうね。
薄っすらだけど「赤い花」が咲き誇るのを見ていると、、、
また誘惑されちゃいそうになります。
では「ネムノキの花の不思議Ⅱ」へ、
ご近所の方に教えられ(多分、お手伝いをされていたと思われます)、
「天神さんの『茅の輪』作りしてますねん」って、
「用事が終わったらお参りに行きますわ」と別れ、夕刻伺いました。
すでに可愛いお子さん連れの家族などお参りされており、
「天神さんって老若男女問わず愛されてるんだなぁ」と。
そういえば、幼子を連れて毎日お散歩してた頃を懐かしく思い出したりして(笑)、
昔は(ほんの40年ほど前)、「鳩さん」がいっぱいいた記憶。
あの「鳩さんは一体どこへ行ったのでしょう??」
そうそう、「茅の輪」でした。
「楼門」から、「拝殿」前から
どうしても「花菖蒲」と一緒がいいなぁと…
「くぐり方の説明」、毎年お伺いしてても「えーっと」と考えてしまいます
作りたてほやほやなので「茅(萱)」の新鮮な香りがいい感じ。
「撫で牛」さんも待ってますよ。
ちょっと右側の「一字」が抜けてしまいましたが、この手水舎に書かれている言葉、
マジマジ見てみたけれど、難しいお言葉ですよ。
『有 孚 顒 若』(ユウフギョウジャク)、と読み、
以下、菅原神社HPより
≪「孚」は(まこと=信)であり「顒若」は(おごそかなさま)=(厳正な状態)を示す語である。
従って全体の意味は、『信実の心を持っている者は、その態度も厳正である』という意である≫とのこと。
すなわち、「神を祀る前に手を清める」。
「茅の輪くぐり」、ぜひ…
ではまた
「天神さんの『茅の輪』作りしてますねん」って、
「用事が終わったらお参りに行きますわ」と別れ、夕刻伺いました。
すでに可愛いお子さん連れの家族などお参りされており、
「天神さんって老若男女問わず愛されてるんだなぁ」と。
そういえば、幼子を連れて毎日お散歩してた頃を懐かしく思い出したりして(笑)、
昔は(ほんの40年ほど前)、「鳩さん」がいっぱいいた記憶。
あの「鳩さんは一体どこへ行ったのでしょう??」
そうそう、「茅の輪」でした。
「楼門」から、「拝殿」前から
どうしても「花菖蒲」と一緒がいいなぁと…
「くぐり方の説明」、毎年お伺いしてても「えーっと」と考えてしまいます
作りたてほやほやなので「茅(萱)」の新鮮な香りがいい感じ。
「撫で牛」さんも待ってますよ。
ちょっと右側の「一字」が抜けてしまいましたが、この手水舎に書かれている言葉、
マジマジ見てみたけれど、難しいお言葉ですよ。
『有 孚 顒 若』(ユウフギョウジャク)、と読み、
以下、菅原神社HPより
≪「孚」は(まこと=信)であり「顒若」は(おごそかなさま)=(厳正な状態)を示す語である。
従って全体の意味は、『信実の心を持っている者は、その態度も厳正である』という意である≫とのこと。
すなわち、「神を祀る前に手を清める」。
「茅の輪くぐり」、ぜひ…
ではまた
本日のコース、順路的にはここから
お寺の長い石段の下に「蓮鉢」があるのは知っていたのです、
いつ咲くのか?と待っていたら、一輪散ってました、残念。
でも今にも咲きそうな大きな蕾が待っててくれたので
長田・西蓮寺の蓮と仁王さん
今度こそ、花を見たい!
ここから山裾の道を走り旧国道25号線に出て、
白樫・岡八幡宮の鈴鳴大辯才天社池の睡蓮と折鶴
駐車場から真っ先にこの辯才天さんにお参りしました
【岡八幡宮】の「茅の輪」
おっ、真新しい神社です
「源頼朝社」(ライネンノ 大河ドラマモ 楽シミデスネ)
さて、ここ「一之宮敢國神社」では「茅の輪」はなく、その変わり
もみじの種、デッカくてビックリ
おっ、ここも新しい電飾掲示板
指でタッチすると場面が変わるアレですよ、なかなかおしゃれですね…
最後に目ざすは山畑「勝手神社」(ヤバタ・カッテジンジャ)
駐車場を共用している「普門寺」さんの名残の紫陽花…
青のグラデーションが綺麗です
「勝手神社」茅の輪
朝刊から(2026/6/29付記事)
ここは、境内のお庭が粋!
龍さん、鯉さん、燈籠・五重塔と池
鯉さんを見てると悠々としてて心が落ち着きます…
駆け足の「茅の輪くぐり」ならぬ「茅の輪巡り」(笑)、
こんな周り方で、身についた半年間の穢れを祓い、無病息災を祈るなんて、叱られそう
でもね、ちゃんと回り方を守ってお参りはしてきましたよ。
他にも「茅の輪」のあるところあれば教えてくださいね~~
きっと来年なら行ける…
お寺の長い石段の下に「蓮鉢」があるのは知っていたのです、
いつ咲くのか?と待っていたら、一輪散ってました、残念。
でも今にも咲きそうな大きな蕾が待っててくれたので
長田・西蓮寺の蓮と仁王さん
今度こそ、花を見たい!
ここから山裾の道を走り旧国道25号線に出て、
白樫・岡八幡宮の鈴鳴大辯才天社池の睡蓮と折鶴
駐車場から真っ先にこの辯才天さんにお参りしました
【岡八幡宮】の「茅の輪」
おっ、真新しい神社です
「源頼朝社」(ライネンノ 大河ドラマモ 楽シミデスネ)
さて、ここ「一之宮敢國神社」では「茅の輪」はなく、その変わり
もみじの種、デッカくてビックリ
おっ、ここも新しい電飾掲示板
指でタッチすると場面が変わるアレですよ、なかなかおしゃれですね…
最後に目ざすは山畑「勝手神社」(ヤバタ・カッテジンジャ)
駐車場を共用している「普門寺」さんの名残の紫陽花…
青のグラデーションが綺麗です
「勝手神社」茅の輪
朝刊から(2026/6/29付記事)
ここは、境内のお庭が粋!
龍さん、鯉さん、燈籠・五重塔と池
鯉さんを見てると悠々としてて心が落ち着きます…
駆け足の「茅の輪くぐり」ならぬ「茅の輪巡り」(笑)、
こんな周り方で、身についた半年間の穢れを祓い、無病息災を祈るなんて、叱られそう
でもね、ちゃんと回り方を守ってお参りはしてきましたよ。
他にも「茅の輪」のあるところあれば教えてくださいね~~
きっと来年なら行ける…
5月と7月に2回訪れた「敢國神社」ですが、ここは忍者回廊以外のご縁があります、、、
(我が家2人目の孫ちゃんのお宮参りをここで執り行っていただきました、
天神さんの拝殿が火事(2010/7/1)で焼失してしまったので 一之宮さんのご縁をいただきました
天神さんも今は立派な拝殿を建てていただきましたけどね、当時町中に住む者としては寂しかったもんです )
【敢國神社】(公式HP)
≪忍びの里伊賀・甲賀日本遺産
伊賀国一之宮。中世には諏訪信仰が広がり甲賀三郎を祀る小祠もある。服部一族による黒党祭は、忍び装束の発祥といわれる。≫
伊賀市寺田から北へ、一之宮を経て千歳へ抜ける道沿いにあります、道端に駐車場もあるのですぐに分かります。
資料によると、≪この道の歴史は古く、「壬申の乱」(672年)に大海人皇子(おおあまのおうじ・後の天武天皇)が
吉野を発って伊賀国に入り近江に攻め入る途中で通ったと言われている道です。≫
(歴史上、伊賀の国はなかなかミステリアスなことが多いんです、またいずれご紹介できればと思っています…)
駐車場に車を止めて、表参道と書かれた参道を進むと赤い鳥居が目に入ります、その前に芭蕉さんの句碑と境内案内図。
「手はなかむ 音さへ梅の 匂ひかな」 貞享五年芭蕉翁参拝の折の句です。
≪句意:花盛りの梅の傍らで、無造作に手鼻をかむ音がする。そんなはしたない音さえも、
野趣を感じさせて快い、静かな山里の春である。≫(昭和37年建立)
さて、境内へ入らせていただきます
玉石が敷き詰められた境内では、例大祭の折、獅子神楽(三重県無形民俗文化財)が奉納されています。
≪この獅子神楽は、遠く慶長年間の頃から続いており、昭和の初めまでは伊賀中を廻って演じられていた≫そうです。
ご挨拶
手水の龍さん
狛犬さん
「御神水井戸」 「桃太郎岩」(安産祈願)
南宮山上にご鎮座の木華咲耶比咩命(このはなさくやひめのみこと・安産の神)をお祀りしています。
石段を登って拝殿へ
お参りさせていただいた拝殿で「茅の輪」のご案内
ご神木の一つ、やはり幹で分かれているのですね…
別方面の裏参道から進むと、「むすび社」があります
新しい竹もぐんぐん育ってます、いいご縁がありますように~~
そうそう、駐車場では例のご案内
クイズ
答:
「敢國神社」の表参道を通り、赤い鳥居から100mほど進むと、、、南宮山入り口があるらしい。
伊賀富士と呼ばれる「南宮山」には「敢國神社」の末社浅間社が奉祀されているとのこと…
「南宮山登山」(知人が小学生の時の遠足のコースだったと言ってましたが(笑))の様子は、長くなりそうなので
次回13-3で~~
(我が家2人目の孫ちゃんのお宮参りをここで執り行っていただきました、
天神さんの拝殿が火事(2010/7/1)で焼失してしまったので 一之宮さんのご縁をいただきました
天神さんも今は立派な拝殿を建てていただきましたけどね、当時町中に住む者としては寂しかったもんです )
【敢國神社】(公式HP)
≪忍びの里伊賀・甲賀日本遺産
伊賀国一之宮。中世には諏訪信仰が広がり甲賀三郎を祀る小祠もある。服部一族による黒党祭は、忍び装束の発祥といわれる。≫
伊賀市寺田から北へ、一之宮を経て千歳へ抜ける道沿いにあります、道端に駐車場もあるのですぐに分かります。
資料によると、≪この道の歴史は古く、「壬申の乱」(672年)に大海人皇子(おおあまのおうじ・後の天武天皇)が
吉野を発って伊賀国に入り近江に攻め入る途中で通ったと言われている道です。≫
(歴史上、伊賀の国はなかなかミステリアスなことが多いんです、またいずれご紹介できればと思っています…)
駐車場に車を止めて、表参道と書かれた参道を進むと赤い鳥居が目に入ります、その前に芭蕉さんの句碑と境内案内図。
「手はなかむ 音さへ梅の 匂ひかな」 貞享五年芭蕉翁参拝の折の句です。
≪句意:花盛りの梅の傍らで、無造作に手鼻をかむ音がする。そんなはしたない音さえも、
野趣を感じさせて快い、静かな山里の春である。≫(昭和37年建立)
さて、境内へ入らせていただきます
玉石が敷き詰められた境内では、例大祭の折、獅子神楽(三重県無形民俗文化財)が奉納されています。
≪この獅子神楽は、遠く慶長年間の頃から続いており、昭和の初めまでは伊賀中を廻って演じられていた≫そうです。
ご挨拶
手水の龍さん
狛犬さん
「御神水井戸」 「桃太郎岩」(安産祈願)
南宮山上にご鎮座の木華咲耶比咩命(このはなさくやひめのみこと・安産の神)をお祀りしています。
石段を登って拝殿へ
お参りさせていただいた拝殿で「茅の輪」のご案内
ご神木の一つ、やはり幹で分かれているのですね…
別方面の裏参道から進むと、「むすび社」があります
新しい竹もぐんぐん育ってます、いいご縁がありますように~~
そうそう、駐車場では例のご案内
クイズ
答:
「敢國神社」の表参道を通り、赤い鳥居から100mほど進むと、、、南宮山入り口があるらしい。
伊賀富士と呼ばれる「南宮山」には「敢國神社」の末社浅間社が奉祀されているとのこと…
「南宮山登山」(知人が小学生の時の遠足のコースだったと言ってましたが(笑))の様子は、長くなりそうなので
次回13-3で~~