「徳永寺」から「成田山柘植不動明王」へ、そして「都美恵神社」へ戻る?

2021-01-22 01:08:50 | つれづれ思うまま
【成田山柘植不動明王】って、どんなとこかな??

≪「都美恵神社」の奥にある「天満宮」の灯籠がある階段を登ると「秋葉社」があり、
その横の道を15分位歩くとこちらにたどり着きました。≫(google map口コミより)
この口コミが頭の中に残っていたのは事実。

ワタシは、徳永寺さんの墓地を横切る感じで、不動明に上がる階段の途中に合流。
  なかなか長い石段に遭遇。
広場に石碑、
  まだ上ります!
上りきったら…正面に
  神々しく鳥居と祠
(西日のせいではなく、ほんとに輝いて見えた
冬でなければ、もっと綺麗な風景だったかもしれない、
でもワタシは、今の季節(冬)が好き。(∵歩きやすいから~~)

視線を変えると
   これが「椎の木」
デカいです、とてもユニークです、見ていて飽きない自然の造形です。
落ち着いて、説明を読むことにします。
 『成田山椎老木の由来』
≪この椎老木は樹齢、約750年余の歳月と風雨に堪え、第2次天正伊賀の乱にも戦火を免れ、
天正10年(1582年)6月、本能寺の変で織田信長が遂に果てた。
徳川家康は堺から河内を経て飯盛山(現四条畷)より伊賀を通って急遽三河に遁げ帰り、
信長の弔い合戦をすることで、僅かばかりの備え回りの補えなどで三河までの逃避行を決した。
道中一行がこの寺山(現成田山)の山裾の徳永寺で休息をとったと言われている。
この時に、この老椎木に見張りを立て、
伊賀の乱直後の世情の混乱の中、無事警衛護送したと伝えられている≫ なるほど、ね。

境内というか敷地というか、ここをぐるっと回ると、
  この山は標高253.9mだそうです。

さぁ、ここから山ん中、「都美恵神社」方面に向かって山道を進みます!
   この標識がなければ迷いそう…
いや、確かに迷った
大した時間、歩いたわけではないけれど、
やっぱり不安はありますよね、ここで迷ってしまったら、、、なんてね。
でも、ホッと一安心な
 社が見え、「秋葉社」に着きました

  お正月らしく整えられています。
ここから石段、降りますが…
  (写真は、登るように撮ってます
ここは、「都美恵神社」の裏手にある「天満宮」灯籠の建つところです。

「口コミ」の残像を逆回転!したコースを進むことになったワタシ。
どこまでもへそ曲がり(笑)。

要するに、徳永寺の裏山伝いに山道を「家康公の気持ち」で歩いてみたわけです。
杉の枯葉の積もる道、ふかふかで歩きやすかったですよ、
広葉樹落葉の滑る道より、うんとクッションが良かった

もちろん当時(1582年)家康公が歩いた道とは違うだろうし、事実かどうかもわからない話。
でもね、
同級生に『歴史はロマン』と言われ、なるほどね、嘘か誠を解き明かすのではなく、
今の世に生かされている我々は、ここに至ったその工程=歴史を楽しもう!と、思うわけです。

都美恵神社からの帰り道は「大和街道」、
   結局、ここに戻ってきたのです。

愛車は「徳永寺の駐車場」で待ってます。

出会いに感謝。
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