「和銅の道」のおまけと言ってはタイヘン失礼ですが、
1/16当日は見所が多く端折ってしまいました、とても気になっていたので
本日1/24、改めてお参りに…
家を出発、鍵屋の辻の池に差し掛かって何気に見たら「鳥」、
ここで「鳥」さんに出会えるとは思わなかったのでラッキーと
白鷺さんですね、
ご夫婦か親子かはわかりません、水面に映る姿が愛らしかったです(笑)。
では、今年二度目訪問の「高倉神社」の駐車場着。
宮谷川にかかる「明神橋」を渡る、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/30/eb/453d4bffa0e00cf19c4893a64dd7d5a1_s.jpg)
その先に本来の参道があります、
多分伊賀コリドールロードが開通したことで変則参道になったと思われます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4d/37/bf0a8a02cb82a30380689345abec018c_s.jpg)
「廃補陀洛寺丁(町)石」碑も一緒に建っています。
そして、例のお坊さんの案内「九丁石」から奥に進みます
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/59/6f/0e04b5273ba5434cb8ae18baff39ac74_s.jpg)
【峯庵寺(大日堂)】
≪『伊水温故』によれば、江戸時代前期に高蔵寺の末寺であったとの記載がある。
また、『三国地志』には、江戸時代中期に徳樂寺、地蔵寺、燈明寺とともに峯庵寺の存在が記載されている。
地元では通称「大日さん」と呼ばれ、大日如来が祀られ、毎年八月二十八日が会式で夜遅くまで江州音頭で賑わった。
今では八月二十八日前後の日曜日に徳栄寺の住職が、村人とともに会式を行っている
大日如来は密教の教主で、地元では牛馬守護仏として 信仰が深い。
お寺の全体像は記録に残っていないが、東側の空地は本堂と庫裏と考えられ、
江戸時代中期の『三国地志』に存在が記録されていることから考証すると、
江戸時代後期の安政元年の大地震により、倒壊焼失したものと考えられる。
現在のお堂は大正年間、稲森亀松、奥西勝三郎大工により 建てられたものである。≫
説明版の横に「石段」、その両側には「お地蔵様」のお出迎えです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0f/1a/19d59ceb873bf5f4c332a0e9c10b55b4_s.jpg)
階段と共に並んでいらっしゃるので、どんな風に撮っていいのか悩みました![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
石段を上から見ると、どうも御墓の「水鉢」風のものが使われている気がします
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/14/ed/3d95234245ad9083013957bdf4cadcf5_s.jpg)
土や落葉が詰まっていたので、少し吐き出してみたのですが…
境内と「本堂」らしき建物です、
中を覗かせていただくと、輝いて見えた「大日如来」さま、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/13/fa/12453b8bac93d5582a2bb09d3bf64f42_s.jpg)
地域の方たちに大切にされていることがよくわかります。
いいお顔されてますね。
思い立って宿題を忘れずに訪問して良かったです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/72/7e/9109712e58dba52be84e8b1eb542db1d_s.jpg)
手前に通っているのが「伊賀コリドールロード」、
向こう正面が「和銅の道」。
そして再び「九丁石」.、なんたってこれが「目印」です。
高倉大神扁額
もう一度ここをくぐって参道(車通行可ですが、軽自動車くらいかな)から、
正面が「天吹山」(アマブキヤマ)ですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/79/ba/030974db97ad45ed55e0375cba1f4868_s.jpg)
遠い昔(多分子どもの頃)、ココは「高倉キャンプ場」だった記憶があります、
そのバンガロー跡、かな
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/71/e5/be36161cf4a5b917d9d9eba9daf319be_s.jpg)
家人もキャンプの記憶がある…と。
「岩倉のキャンプ場」ができるまでは、ここは大にぎわいだったと思います。
次回は「熊野信仰、補陀落渡海(フダラクトカイ)」のことなど含めて「補陀洛寺跡」へ、
鋭意勉強中なんですけど、熊野はとおい…
ではまた
1/16当日は見所が多く端折ってしまいました、とても気になっていたので
本日1/24、改めてお参りに…
家を出発、鍵屋の辻の池に差し掛かって何気に見たら「鳥」、
ここで「鳥」さんに出会えるとは思わなかったのでラッキーと
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/69/60/58c85b967a8cc678a15d9b7fc0e95597_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/75/8d/974b9fee1e6ded8997fdca78b72c1771_s.jpg)
ご夫婦か親子かはわかりません、水面に映る姿が愛らしかったです(笑)。
では、今年二度目訪問の「高倉神社」の駐車場着。
宮谷川にかかる「明神橋」を渡る、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6d/a0/06abc40a2d73ce3e59518fdd421f6ac5_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/34/93/dc597fc1da1c99c6817b15a9ef212346_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/30/eb/453d4bffa0e00cf19c4893a64dd7d5a1_s.jpg)
その先に本来の参道があります、
多分伊賀コリドールロードが開通したことで変則参道になったと思われます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/47/63/8f5231fae7f43a3d35fa3c37c191d575_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/09/8e/c86b18ec8e7c4282dd233045b37dcfed_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4d/37/bf0a8a02cb82a30380689345abec018c_s.jpg)
「廃補陀洛寺丁(町)石」碑も一緒に建っています。
そして、例のお坊さんの案内「九丁石」から奥に進みます
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3e/18/6d8e5b664bc7b0eb852b8572b919bfd9_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/67/72/eaf63d66241caa9b684d59f47d679385_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/59/6f/0e04b5273ba5434cb8ae18baff39ac74_s.jpg)
【峯庵寺(大日堂)】
≪『伊水温故』によれば、江戸時代前期に高蔵寺の末寺であったとの記載がある。
また、『三国地志』には、江戸時代中期に徳樂寺、地蔵寺、燈明寺とともに峯庵寺の存在が記載されている。
地元では通称「大日さん」と呼ばれ、大日如来が祀られ、毎年八月二十八日が会式で夜遅くまで江州音頭で賑わった。
今では八月二十八日前後の日曜日に徳栄寺の住職が、村人とともに会式を行っている
大日如来は密教の教主で、地元では牛馬守護仏として 信仰が深い。
お寺の全体像は記録に残っていないが、東側の空地は本堂と庫裏と考えられ、
江戸時代中期の『三国地志』に存在が記録されていることから考証すると、
江戸時代後期の安政元年の大地震により、倒壊焼失したものと考えられる。
現在のお堂は大正年間、稲森亀松、奥西勝三郎大工により 建てられたものである。≫
説明版の横に「石段」、その両側には「お地蔵様」のお出迎えです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/20/86/3b101f980c3c7d8adf41ab1868bd30ff_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/44/b8/b21d2d67e20f681021f5f1f309a550e5_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0f/1a/19d59ceb873bf5f4c332a0e9c10b55b4_s.jpg)
階段と共に並んでいらっしゃるので、どんな風に撮っていいのか悩みました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
石段を上から見ると、どうも御墓の「水鉢」風のものが使われている気がします
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4c/6e/0f1623e281467f3800c78ce6c269c56a_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/35/e5/d6fc82ddd34760c30949ddfd30aba846_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/14/ed/3d95234245ad9083013957bdf4cadcf5_s.jpg)
土や落葉が詰まっていたので、少し吐き出してみたのですが…
境内と「本堂」らしき建物です、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/38/f1/8770d37e68961cbf20c737dabe0172e7_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/76/52/6babfaa04068a8ad2fcf44d847cd88c0_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/70/f3/62bdb98844e22f203702daefc352f44c_s.jpg)
中を覗かせていただくと、輝いて見えた「大日如来」さま、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0d/1e/104620749c775efae3098f8b5adbe6e9_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/13/fa/12453b8bac93d5582a2bb09d3bf64f42_s.jpg)
地域の方たちに大切にされていることがよくわかります。
いいお顔されてますね。
思い立って宿題を忘れずに訪問して良かったです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6e/5b/21fffe3b09274f03d2f4da978d7a5d3a_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/72/7e/9109712e58dba52be84e8b1eb542db1d_s.jpg)
手前に通っているのが「伊賀コリドールロード」、
向こう正面が「和銅の道」。
そして再び「九丁石」.、なんたってこれが「目印」です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6d/fb/8755adccbfe8749df27865008ae4017a_s.jpg)
もう一度ここをくぐって参道(車通行可ですが、軽自動車くらいかな)から、
正面が「天吹山」(アマブキヤマ)ですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2a/8b/9d6cdfe8edc8780abe856cdbd3036d70_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/68/92/b746c92f6dd83a71d1d78fe5d7bb4127_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/79/ba/030974db97ad45ed55e0375cba1f4868_s.jpg)
遠い昔(多分子どもの頃)、ココは「高倉キャンプ場」だった記憶があります、
そのバンガロー跡、かな
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/71/e5/be36161cf4a5b917d9d9eba9daf319be_s.jpg)
家人もキャンプの記憶がある…と。
「岩倉のキャンプ場」ができるまでは、ここは大にぎわいだったと思います。
次回は「熊野信仰、補陀落渡海(フダラクトカイ)」のことなど含めて「補陀洛寺跡」へ、
鋭意勉強中なんですけど、熊野はとおい…
ではまた
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