宿題だった「大日堂(ダイニチドウ)」(西高倉)へ行きました。(「和銅の道」⑤)

2022-01-24 14:46:39 | 和銅の道補陀洛寺跡丁石巡り
「和銅の道」のおまけと言ってはタイヘン失礼ですが、
1/16当日は見所が多く端折ってしまいました、とても気になっていたので
本日1/24、改めてお参りに…

家を出発、鍵屋の辻の池に差し掛かって何気に見たら「鳥」、
ここで「鳥」さんに出会えるとは思わなかったのでラッキーと
  白鷺さんですね、
ご夫婦か親子かはわかりません、水面に映る姿が愛らしかったです(笑)。

では、今年二度目訪問の「高倉神社」の駐車場着。
宮谷川にかかる「明神橋」を渡る、
  
その先に本来の参道があります、
多分伊賀コリドールロードが開通したことで変則参道になったと思われます。
  
「廃補陀洛寺丁(町)石」碑も一緒に建っています。

そして、例のお坊さんの案内「九丁石」から奥に進みます
  
峯庵寺(大日堂)
 ≪『伊水温故』によれば、江戸時代前期に高蔵寺の末寺であったとの記載がある。
 また、『三国地志』には、江戸時代中期に徳樂寺、地蔵寺、燈明寺とともに峯庵寺の存在が記載されている。
 地元では通称「大日さん」と呼ばれ、大日如来が祀られ、毎年八月二十八日が会式で夜遅くまで江州音頭で賑わった。
 今では八月二十八日前後の日曜日に徳栄寺の住職が、村人とともに会式を行っている
 大日如来は密教の教主で、地元では牛馬守護仏として 信仰が深い
 お寺の全体像は記録に残っていないが、東側の空地は本堂と庫裏と考えられ、
 江戸時代中期の『三国地志』に存在が記録されていることから考証すると、
 江戸時代後期の安政元年の大地震により、倒壊焼失したものと考えられる。
 現在のお堂は大正年間、稲森亀松、奥西勝三郎大工により 建てられたものである。≫

説明版の横に「石段」、その両側には「お地蔵様」のお出迎えです
 

 
階段と共に並んでいらっしゃるので、どんな風に撮っていいのか悩みました
石段を上から見ると、どうも御墓の「水鉢」風のものが使われている気がします
  
土や落葉が詰まっていたので、少し吐き出してみたのですが…

境内と「本堂」らしき建物です、
   
中を覗かせていただくと、輝いて見えた「大日如来」さま、
 
地域の方たちに大切にされていることがよくわかります。
いいお顔されてますね。

思い立って宿題を忘れずに訪問して良かったです。

 
手前に通っているのが「伊賀コリドールロード」、
向こう正面が「和銅の道」。
そして再び「九丁石」.、なんたってこれが「目印」です。

 高倉大神扁額
もう一度ここをくぐって参道(車通行可ですが、軽自動車くらいかな)から、
正面が「天吹山」(アマブキヤマ)ですね。
  

遠い昔(多分子どもの頃)、ココは「高倉キャンプ場」だった記憶があります、
そのバンガロー跡、かな

家人もキャンプの記憶がある…と。
「岩倉のキャンプ場」ができるまでは、ここは大にぎわいだったと思います。

次回は「熊野信仰、補陀落渡海(フダラクトカイ)」のことなど含めて「補陀洛寺跡」へ、
鋭意勉強中なんですけど、熊野はとおい…
ではまた




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