前にもちょっと書いたけど
5歳の時に父親を亡くして
母一人子一人の暮らしになった。
一番嫌だったのは1人で留守番することやったわね。
幼稚園等にいける境遇ではないし
まだ小学校に入る前で
アパートの部屋で煮込み料理を作ってるのがバレて
そのあとすぐに引っ越しして
普通の民家の2階に住むようになった。
母の職場へは歩いていける距離だったので
よく昼休みに母を訪ねていた。
ミシンで何かを作る仕事で、短い休みの間に
お人形の服や布団を作ってくれたのは
鮮明に覚えている。
段々と寒い季節になると
休み時間が終っても
暖かい場所を求めて工場内をウロウロ
ホンワカと暖かい煙突みたいなのがあって
壁と丸い煙突みたいなものの間に
(その場所の風景まだ覚えている)
体を忍び込ませて暖を取っているのを
会社の人が見たんだろうね。
次の日母を訪ねたら
今日はええけど明日から来たらあかん!
門も閉められたように思う。
5.6歳の子がウロウロするのは危険ということやったのかな。
仕方ないから、家の近所の子たちと遊ぶのだけど
夕方の時報が鳴ると同時に
○ちゃん、ご飯やで~と親が呼びに来て
それぞれが家に帰ってしまう。
ひとり残された私はしばらく母の帰りを待つが
真っ暗になってから下宿先に帰っても
寒いしお腹はすくし
りんご箱を寝かせただけの机に向かい
何をするでもなしに座っていると
背中に何かの気配を感じて
パッと振り向いたら・・・
借りている部屋の貸主宅の男の子が立っていた。
わたしより2歳くらい上だったかな。
それからの記憶はないんだけど
その部屋もすぐ出て
わたしは母の姉宅に預けられた。
イトコ達と遊ぶ毎日が楽しかった。
時々母はお菓子を持ってきたりして
自分の姉にご機嫌取っていたようだが
わたしを連れて再婚し京都に住まいを移した。
京都から大阪へ、1年生になったばかりなのに
電車通学していたのは何のため!!?
理由は聞けずじまい。
花世さんの現在から想像も出来ない生い立ちだったのですね。
胸が熱くなりました。
お母様の再婚で京都にお住まいだったのですね。
小学1年生の小さい子に京都から大阪へ電車通学
本当に何故なんだったんでしょうね。
生い立ちの事、今が幸せだから話せるのですよね。
隣の子が 一人っ子で うらやましく思っていましたよ。
お菓子などがあっても 4人で分ける。
隣の子はこんな時 一人で全部食べられるんだ~ いいな~。
と こんな事を思っていました。
ちなみに 隣の子も 母一人 子一人の 女の子でした。
隣にいとこたちがわんさか住んでいたので、
物凄いにぎやかな中で育ちました。
だから、時々、一人っ子がいいと思った事がありますよ(笑)
無いものねだりですね・・・(*^。^*)
京都から大阪へ通学・・・
なぞは解けずじまいですね。
私も振り返れば、もっと知りたかったと
いう事が多々あります(笑)
従業員さんの息子さんが、訪ねて来たので
色々思いを馳せたのでしょうか。
私の方も同じようでごめんなさい。
子供の頃の生活を思うと雲泥の違いですね。
未だに毎晩フカフカのお布団で寝られることに感謝しながら
苦労多かった母を偲んでいます。
子供の時の事を書きだすと次から次と書きたい事が押し寄せてきますね。
母は再婚して3人の子供を授かりりましたが
わたしとは全く違う顔なので少し寂しいですね。
苦しい生活で、私はどんなものを食べて育ってきたのか
食べ物に対して全く記憶がありません。
人が美味しそうに食べるのを羨ましく思ってましたよ。
一人子だと、親に忘れられているんですよ。
私はおとなしい子供だったので、おばあちゃんもいたんですが
公園に遊びに行って忘れられて置いてけぼりくったことも((+_+))
社員さんの息子を連れてきてもいいよと言ってやりたいですが
夫はけじめの厳しい人なんで(>_<)