久しぶりに連絡くれたお友達に刺激されたわ~!
今日は母のことをちょっと書いてみようと思う。
生きていれば89歳になる母。
10月10日の誕生日って忘れないでいいね。
母はとても小柄で色白で、コロコロと小太りの
かわいい人だった。
性格は明るくて、働き者で、お洒落な人。
妹達が幼くて働きに出られないので
自宅で工業用ミシンを2台月賦で買い求め
一番景気の良い時は内職で月に30万くらい稼いでいた。らしい・・
日本が高度成長期の頃かな~
でも、内職は良い時と悪い時が交互に来るから
生活は楽でなかったと思う。
贅沢した記憶がないもんね。
子供が私1人の時は大阪市内の縫製工場に勤めていて
ハイヒールを履いて通勤していた。
自作のワンピースを着て肘まである黒い手袋?
お洒落な母が羨ましくて
おかぁちゃん、私が大きくなったらその靴ちょうだいね!
着物も好きで、たくさん持っていた。
この着物もアンタにあげるさかいな!なんて言われて嬉しかった。
私は小六の頃には母を見下ろすくらい大きく成長していたので
何もかも身に合うものは無かったんだけどね。
歌も踊りも好きで先頭切って踊り出す位だったから
温泉旅行のお誘いが年に何回もあったくらい。
でも今思うとね~
母の一番良き人生を送っていた時っていつだったのかな~って!
今書いた華麗な頃の母の人生はほんの一瞬で
長い長い残りの人生は苦労に満ちたものだったと思う。
とにかく今夜と明日は輝いていた若き頃の母を思い出して過ごそう。
おかあちゃん、誕生日おめでとう、一緒に生きたかったよ。
お母さま明日がお誕生日なのね。
何だかうれしい、私お母さまのお役に立てたみたいで(^_^)v
私もお母さまのこと何となく憶えているよ。
いっぱいお話し聞かせてもらったもの^^
それとお母さまがいらしてからのこと、よーく憶えてる。
花世さん、ほんとに親孝行だもの。
いっぱい刺激されたよ。
楽しみだな~
明日の記事も待っているね!
その時代の女性は少なからず苦労していましたよね。
私の母は苦労しかなかったんじゃ~
とても花世さんのお母様が羨ましいです。
私が19歳、母は52歳で死んじゃったから親孝行も出来ませんでした。
チョットしんみりです・・・・
内職で 月 30万円は すごいです。
自分で縫った洋服を着て 颯爽と歩く姿が
想像されます うらやましいわ。
私 不器用で 何も縫えません。
母の人生は波乱万丈でしたが
最後に私の所に来てくれたのが一番嬉しかったことです。
秋の夕暮れに近くの公園に散歩して、ブランコに揺られて
こんな幸せな時間が持てるなんて夢みたいだと喜んでくれましたのにね。
何ヶ月もしない内に病に倒れて・・・
思い出すだけで涙です。前に色々書きましたけどね(^_^;)
いつもいつも苦しい事がついて回りました。
私は子供のころから自分が産まれて来なけりゃ母はこんなに苦労せずに済んだんじゃないかと思い続けてきて、
母との距離を置き過ぎました。
だからもっと一緒に生きたかったのね。
母子の会話し足りないのよ。それだけが悔いかな~
よく覚えているのは
母とペアルックで地味なのでポケットに真っ赤な花を刺繍してくれていたことです。
私も雑巾1枚縫いません。
自分の子供には手縫いしなさいと強要していた母親です(笑)
昨日、訪問したのですけど、なんだか母のことを思い出して辛くなって、コメントも残せず失礼しちゃいました。
さんざん苦労はしましたが、
晩年は、あちこち旅行して多少なりとも、
満足できた部分もあったのかなって思います。
お母様のことを思いださせてしまったようですみません。
昔の人は苦労人が多いのはだいたい皆同じだと思います。
その中で沢山の子供を産んで育てて・・・
頑張ってたのが私達の親の代なんですよね。
今あるのはそんな親の頑張りがあったから!
感謝しなくてはいけませんね。
いつかお写真でも拝見したことがありますが
若き頃のおしゃれで、頑張り屋のお母さんの姿・・・
浮かんできました。
お母さん、一生懸命ご自分の人生を全うしましたね。
苦楽を共にした長女の花世さんに対する愛情は格別だったのではないかと思います
私が経済的にもっと早く自立できたら
良い思いをいっぱいさせられたのにと思います。
今は何を思っても後の祭り!ですけどね~