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サザンカの宿

登場人物:ろば太(夫)、せんた君(妻、趣味「洗濯」)、感謝くん(双子娘A、癇癪持ち)、めん・たい子(双子娘B、食欲旺盛)

気は確かか?優秀な君(=ろば太)が、どうして?

2010年02月28日 | 欧州留学時代の御学友の皆様へ
「本当に必要なことなのか?」
「今、すべきことなのか?」
「お前じゃなきゃいけないのか?」
「・・・」
「早まるんじゃないぞ。」
「、、、待ってるからな。」

2月11日の建国記念の日を前に、
ろば太は今年度初めての休暇願いを提出した。
どうやらその一手が
禁断戦法「四連休」の奥義であったらしく、
会社側を窮地に陥れることなったようだ。

上司は耳を疑った。
「何故、会社と一心同体に歩んできた君が、
 順風満帆に進んできた君が、
 き、君が、
 この時期、秋田に行くんだ?」

建国記念の2月11日。
尋常なる日本国人であれば、
建国をしのび、
国を愛する心を養うため、
といって態々(わざわざ)、
♪悲しみを囲炉裏で燃やす北の街♪(一部引用「襟裳岬」)
に向かったりはしない、
古い思考回路から抜け出せない
三流管理職がそう考えるのも無理はない。

ろば太は上司に真向かってニヤリと笑った後、
おでこのしわを伸ばしながらこう答えた。
「なまはげ、ですよ。」

♪北の街ではもう
 悲しみを囲炉裏で
 燃やしはじめてるらしい
 理由のわからないことで 
 悩んでいるうち
 四十路も過ぎるから
 默りとおした歳月を
 ひろい集めて暖めあおう
 秋田の冬は何もない冬です

 秋田の冬は何もない冬です
 寒い友だちが訪ねてきたよ
 遠慮はいらないから
 暖まってゆきなよ♪

「と、いうことで。
 行ってきまーす。」


(つづく)


2006年の今日


なまはげ

2010年02月24日 | 欧州留学時代の御学友の皆様へ
名ばかり新幹線のこまちに乗って
秋田に行ってきましたよー。

その話は、
追々ってことで。

(昨日、
 久しぶりに楽しいお酒のみをしたので、
 気分です。
 あー、
 もっと誰かと話がしたい。
 





山形新幹線スケッチ

2007年11月28日 | 欧州留学時代の御学友の皆様へ
家族に送られて駅東口に到着する。
開店直後の土産物店で麦せんべいを買う。
改札を抜け新幹線ホームへと向かう。
自由席乗り口には既に数名が並んでいる。
慌てて列に従うが、
乗り込んだ車内は閑散としている。
電光テロップで、
「山形新幹線開通15周年」
の文字が流れる。
鈍行列車は午前に2本きりで、
いずれも米沢駅止まりである。
しかもこの時間は、
すでに2本とも発車している。
車窓からの景色が
しばらくたっても変わらない。
山林を踏み分けて進んでいる。
新幹線というよりは
森林電車である。
カーブ手前で警笛を鳴らしている。
テロップの文字を眺め、
新幹線であることを確認する。
杉林が現れて、
やがてトンネルに入る。
抜けてすぐに谷側を見下ろすと
寂々とした沢が流れている。
気圧のせいか耳が詰まる。
急勾配ではないものの、
さっきからずうっと
登りっぱなしなのが気になる。
古びた隧道(ずいどう)が見える。
こんな所にどうしてあんな狭いトンネルが、
と思うまもなく、
こちらも景色が遮断される。
今度のトンネルは短い。
その短いものが断続的に現れる。
やがて線路が二股になって、
左側の行く手には、
車両整備工場が見える。
右手を選んだ新幹線は、
山の斜面をかろうじて避けながら走り続ける。
左側から迫る斜面を見上げると、
林業作業用のモノレールが見える。
右の谷側は切り落としになっていて、
杉の先端を見ながら、
新幹線は相変わらずとろとろと進む。
ようやく山間を抜けたあたりで、
「管公」の看板を付けた民家が
ちらほらと現れてくる。
刈り終えた田んぼを這うように
カラスが一羽飛んで行く。
幼い杉の幼苗が並ぶ苗畑を過ぎて、
車内アナウンスは、
「まもなく米沢」
を告げる。
ホームに喫煙場所が設けられていて
ブランドの袋を提げた若い女性が、
後ろ向きに煙草をふかしている。
米沢の空気を
すべて吐き出そうとしているようにも見える。
同じようにこちらも大きく息を吸いつ吐きつするうち、
いつの間にか前の席に女性が座っていて
新幹線が滑るように動き始める。
米沢名物牛肉弁当を売る売り子さんが、
中央の通路をよろけながら通り過ぎる。
そうこうするうちに
「まもなく赤湯温泉駅」
とのアナウンスが聞こえてくる。
前の席の女性が、
倒していたシートを元に戻す。
こんなところで
と訝しがっていると、
立ち上がって振り向いたその人と目が合う。
口元をやや引き締めて会釈をすると、
彼女も軽く頭を下げる。
その後の振動を立ってこらえながら、
小さなクシャミを一つして
彼女は鼻を押さえる。
きっと山形生まれの女性なのだろう。
こちらは再び外の景色へと目をそらす。
ずいぶんと
正直なものだ、
とひらけてきた風景に
笑みを重ねて車窓に映す。
女性は既に駅のホームに降り立っている。




一昨年の11月28日
昨年の11月28日







6 テューリプさんのお話(その1)

2007年11月26日 | 欧州留学時代の御学友の皆様へ
(予めお断りしておきます。
 今回は、
 イマイチしっくりこない内容なので、
 時間が出来たとき、
 こっそり書き換えるかもしれません。)



先輩に声を掛けられたのは、
夢ではなかった。

社内の男たちに掛けていた期待が薄れ、
そろそろ外に目を向けようかと、
カルチャースクールのチラシを眺めていたときのことだ。

「この席、空いてるかな?」

サラリと乾いた声で現れた先輩は、
スーツの縦縞がすべて平行に並ぶような
真っ直ぐな姿勢で立っていた。

「あ、どうぞ。」

慌ててチラシをバッグに仕舞いこむと同時に
手早くコンパクトを開け
バッグを覗き込むような格好で
口元をチェックした。
どうしてこんな時に、
ナポリタンなんて頼んでしまったんだろう。

「ここのナポリタン、
 おいしい?」

先輩の笑顔からは
ミントの香りが漂ってくるようだった。

「ええ。
 でも、私が作る方が、、、」

自分でも驚いたが、
同時に手を叩いて喜ぶ自分もいるのだった。
もし、私に興味があるなら、
何かそれらしい言葉を返してくれるだろう。

「ああ、そう。
 ところで、
 さっきチラシ見てたようだけど、
 何か習い事するの?」

「いえ、ただ何となく、、、
 何か、いつもと違うことをしようかって、、、」

「じゃあ、一緒に旅行に行かない?」

私は耳が詰まってしまった。
いや、自分でそうしたかったのかもしれない。
出口を塞いで、
今の言葉を自分の中に閉じ込めておきたかったのだ。
ジンジンという鈍い鐘のような響きが
音もなく身体の中から湧き上がってきた。

「え?」

はい、と即答しないで済んだのは、
少しでも理性が残っていたからだと信じたい。
でも、先輩、、、
そんな、いきなり、、、

「山形なんだけど」

「え?」



どうも違うなあ。
書きたいことと違うなあ。
まあ、仮置きってことで、、、。

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一昨年の11月26日
去年の11月26日


5 岩タッチのお話(その1)

2007年11月21日 | 欧州留学時代の御学友の皆様へ
「プリンスー!」

山形新幹線のリクライニングを倒し、
ウトウトと仕掛けた私の耳に
女性の声が届いた。

私はまた現実に引き戻されるのかと思うと、
振り向くことがひどく躊躇われた。

「プリンスぅー。」

二度目の声に女性の悲痛な叫びが混じり、
私はまなじりに力を込め、
声の主を確かめるため、
大袈裟な仕草で振り向いた。

「やっぱり。
 プリンス倉田ねー!」

「イエ-ス。」

私が眠りから覚めると、
あたりにはバラの香りが立ち込め始め、
乗客の顔に歓喜の表情が浮かんだ。

そうだ。
ここではまだ、
私はプリンス倉田なのだ。


世田谷の100坪坊ちゃんと言えば、
近所で分からない人はいない。
祖父の残した莫大な財産と
その管理に長けた父のお陰で、
私は何不自由ない少年時代を過ごすことができた。

バイオリンやバレエを早くから習わせ、
西欧的教育を施すことに熱心だった母は、
私をイギリスの名門スクールに入れることを夢見ていた。
私もその期待に気圧されることなく
母から与えられたメニューをこなしていた。

私が小学4年生になった頃、
仕事の都合でしばらく帰れないと言って
父は家を出て行った。
代わって、
それまで通いで来ていた英語講師が
自宅で寝泊りするようになった。

イギリス生まれの
長身のその先生は、
紅茶を飲むときにウィンクをする癖があり、
私は自室で一人紅茶を飲みながら、
何度も何度も鏡で真似をしていた。

落ち着き払った表情でジョークを話したり、
自分の非に気が付くと
顔を真っ赤にして真剣に謝る、
私にとってまさに憧れの英国紳士だった。

1ケ月ほどたったある日のティータイムに、
先生はミルクたっぷりのおいしい紅茶を淹れてくれた。
私は先生に尋ねた。

「私はいつ、
 イギリスに行けるのでしょうか?」

先生はウィンクをしながらこう答えた。

「あなたは、
 日本人のお父さんと、
 イギリス人のお父さんと、
 どちらを選びますか?」



一昨年の11月21日
去年はおサボり!




「くりばやし」のくせに「りつりん」だと?

2007年11月19日 | 欧州留学時代の御学友の皆様へ
香川開催という現実を受け入れられず、
どこかを彷徨っている、
との噂もあった、
香川出身のご学友から、
「来年の同窓会、
 香川に決まりました。
 待ってマース。」
との連絡が入りました。

ありがとうございます。
そして、堂々とした開催表明、
ご立派でございました。
ジイは涙が止まりませなんだ。
この精神的困難を乗り越えたあなた様に、
そしてそのあなた様がプロデュースする来年の旅行に、
東北地方の誰かがまた、
「幸せ」によく似たノーモアユーモアをもたらすことでしょう。

さて、
その連絡メールに、
「香川の見所の一つ「栗林公園」は、
 ろば太さんのお気に入りスポットなので、
 案内は、ろば太さんにお願いします。」
と書かれていました。
それはそうでしょう。
香川紀行に栗林公園は欠かせません。

遡ること10年前、
美人秘書のような後輩とともに香川入りした私は、
わずか1泊の滞在にも関わらず、
怒濤の勢いで3回もその公園を訪ねたのでした。

前泊で「秋のさびしき夕まぐれ」に
道すがらの散歩で辿り着いたのが1回目。

朝焼けに染まる池も美しかろう、
これが見納めになるやもと、
朝食前に息せき切って経巡ったのが2回目。

某所で有能ビジネスマンとして所用を済ませ、
早く帰路につきたいというのに、
「いい所ご案内しますよ。」と
訪問先の係長に○ケベ心を掻き乱され、
「では、お言葉に甘えて。」
と新幹線の指定席を擲って付いて行った先が、
3度目の栗林公園、、、。

当時は公園内に動物園があって、
ナマケモノの緩慢な動きと腕時計を両にらみしながら、
売れないロック歌手のように
激しいビートを打ち始めたボクのマイハート。

「記念になるから」と、
来園者が入れる「人間」のオリに押し込められて、
係長にバッチリ写真を撮られ、
青天の下、
気持ちよく高笑いされた屈辱感。

思い出すだけで、
闘争心が沸いてくる
そんな特別名勝公園が栗林公園なのです。


1泊目は小豆島とかの小島に泊まって、
2泊目はスーパービジネスホテルとかもいいかもね。
来年が楽しみだなあ。



一昨年の11月19日
去年の11月19日



3 大石田ユウのお話(その1)

2007年11月10日 | 欧州留学時代の御学友の皆様へ
(出迎え)

♪俺はもっとデカくなる。
 ガラスの小瓶に閉じ込めて、
 目玉商品にするーな!
 ラララ。
 輝く頭頂部
 そこに未来があったりしてた。
 ルルルル。
 飛び散る粘膜
 振り返らないで。
 俺は、俺は、
 ん、ジャーン。
 ほんのり漂う、
 湿気った森の精。
 そうさ。
 走るナメコ。
 祈るナメコ。
 挫けるナーメコ。
 それが、俺だったりーしてー。
 センキュー♪

歌い終えた俺は、
1年前の出来事を思い出していた。

毎年会おうと約束した仲間たちは、
それぞれの仕事をうまくやりくりして、
大分県に集まっていた。

俺はその頃、
果樹園を手伝ったり、
居酒屋のバイトをしながら、
まだ、
夢を追いかけていた。

正職に就いてないのが恥ずかしいから、
というわけではないが、
イッパシの社会人面をして集まる仲間たちから、
ちょっと距離を置いてみたかったのかもしれない。
バイトが忙しくて、
と用件だけのメールで、
俺は早くから欠席を知らせていた。
誰からも落胆や再考や中止を窺わせる返事はなかった。

でも、
みんなは俺を放っておいた訳ではなかったようだ。
開催当日になって、
突然俺の携帯に
仲間から一斉にメッセージが入ったのだ。
俺は少しばかり、
「友情」ってことばを思い浮かべたが、
みんなにそんな心積りはなかったらしい。

「欠席したから、
 今度はあなたが幹事になりました。
 パチパチパチ。」
「山形って何かあるのかしら?
 ふふふ、楽しみだわ。」
「絶対に休み取っていくから。
 思い出に残る接待頼んマス。」
「逃げないでね。」

その後しばらくして、
湯布院だか別府だかの
宴たけなわの飲み屋から、
代わる代わるに携帯を回しながら
俺に励ましだか侮蔑だかの言葉を掛けて寄越したのだった。

帰国してすぐに、
縁を切っておけば良かった。
どうせ会わなくても困らない付き合いだし、
向こうだって、
俺に何かを期待するわけでもないだろう。

ふーっ。
俺は今日の再会の場面を苦々しくを思い浮かべながら、
ある決意を固めていた。

「俺、みんなと会うの、
 これっきりにすっから。
 ちょっと違う活動に
 専念しなきゃなんねから。」

いけね、
集中しねーど。

俺は久しぶりに依頼のあった、
地元のラジオ局のイベントに向かう車の中で、
キノコの着ぐるみについたゴミを掃除しながら、
オリジナルの歌の最終チェックを続けた。

♪ウォゥオー。
 ほんのり漂う、
 湿気った森の精。
 そうさ。
 走るナメコ。
 祈るナメコ。
 泣いた自分の汁でぇー、
 滑るナメコー。
 くじけ、くじけ、
 じけじけーに、、、、。
 挫けるナーメコ。
 それが、俺だったりーしてー。
 ホントにセンキュのありがとー♪



♪自分でも何書いてんのか
 分かんなくなってきたー♪
♪ろば太の話は後回しにして、
 次の餌食はだーれだー♪

一昨年
去年


2 お恋ちゃんのお話(その1) (注:フィクションです。)

2007年11月09日 | 欧州留学時代の御学友の皆様へ
(予めお断りする不始末をお許しください。
 勝手に物語を妄想するうちに、
 以下のような序章が出来上がってしまいました。
 モデルとなったご本人さまの事実には全く基づいていません。
 お恋ちゃんさんすいません。
 何やら過去を引きずって登場する羽目になってしまいました。
 不愉快でしょうが、
 どんなストーリーになるのか、
 私にも分からないので、
 しばらく続けさせてください。)



(出発)

思いのほか時間が掛かったことで、
私は却って落ち着きを取り戻していた。

あの事故は、
もう10年も前のことだし、
助手席にいた私には、
どうすることもできなかったのだ。

「リア左右ドラム脱着
 ブレーキ掃除・給油・調整
 下廻り締め付け
  6,500円
 値引き 650円」

整備工場の男が
笑顔で請求書を突き出していた。

「すんません、
 丁寧に点検してたもんで、
 遅くなっちゃいました。
 はい、これお願いします。
 お客さん美人なんで、
 ちょっと安くしますよって、社長が。」

いつもならわざと不機嫌な顔を返したくなるそんな世辞を、
今日の私はすんなりと受け入れていた。

「そんなこと言って、
 事故起こしたら、
 社長に全部責任取ってもらうわよ。」

お金を渡している私の声は、
いつもより伸びやかな気がする。

「大丈夫っしょ、お客さんなら。
 あ、そうだ。
 ちょっとタイヤの溝が減ってるから、
 カーブには注意した方がいいっすよ。」

「それも、社長さん?」

「ううん。
 これは、俺の個人的なサービス。
 無料点検っす。」

私は微笑み返しで鍵を受け取り
迎えの車に乗り込む男を見送った。

国道を南下するくらい
どうってことはないだろう。

宿に着いた後は、
幹事が用意するレンタカーで移動するのだから、
私は時間通りに
宿に着きさえすればいいのだ。

私は地図を広げ、
もう一度ルートを確認した。

目的地までちょうど200キロ。
宿に着いたら、
ゆっくりと温泉に入ろう。
後は、幹事さんにお任せだ。

カーブに注意?

広い国道を真っ直ぐ走るだけだから、
ハンドル操作もいらないくらいなのに、
ずいぶんと心配症な男だ。

朝からずっと曇りがちだった空を見上げて、
私は息を大きく一つついた。

そういえば、
10年前のあの日の前日、
綺麗な流れ星を見たことを思い出した。
どんな願い事をしたのか、
それもハッキリと覚えている。
それが次の日、
何の役にも立たなくなってしまったことも、、、。

今日のこの曇り空では、
星を見ることはできないだろう。

そのことがむしろ、
私の勇気を下支えしてくれていた。

あんなことは
もう二度と起こらないだろう。
起こるはずがない。
起こってたまるものか。



ということで、
去年のブログ
一昨年のブログ





1 薄着んちゃ君のお話 (その1)

2007年11月06日 | 欧州留学時代の御学友の皆様へ

(序文)

明日また会える、
そういう人たちではないからこそ、
労(いた)わり、
慈(いつく)しみ、
愛(いと)おしむ心が生まれるのでしょう。

私が描きたいのは、
少し可笑しく、
少し悲しく、
少し艶ある、
現実から生まれた本当の作り話です。

それぞれの物語がどんな方向に進むのか、
実は、私にも分かっていません。

現実を追い越せるのか、
次の現実を励ますことができるのか、
そんな心配を背負いながら、
みなさんと一緒に
もしかすると、
私が一番に、
楽しんでいきたいと思います。




(1 出発)

起きなくていいから、
と言っておいたのに、
妻は朝ご飯を用意していた。

昨日生協で買ったシャケが、
上手に焼き上がったらしく
卓袱台の一番いい場所に置かれた。

「私は後で食べるから。
 お先にどうぞ。」

そういいながら妻が箸をよこす。

「ありがとう。」

妻に答えた後、
となりの部屋で眠る赤ん坊に目をやる。

7ヶ月を過ぎたばかりの娘の寝息は深く、
簡単には起きそうにない。

「いただきます。」


 


「はい。お茶どうぞ。」

茶碗を下げ終えた妻が
卓袱台の向かいに座る。

ちょっと熱かったかしら、
といいながら指で耳たぶを挟む。

 僕は悪いことをしているんだろうか、、、。
 やっぱり、行くのやめ、、、。

「あなた、頑張ってね。
 みんな、楽しみにしてるんでしょ。」

僕の湯飲みにお茶を注ぎ足す妻。

「あらいけない。もうこんな時間よ。」

声に驚いて、
赤ん坊が顔をくしゃくしゃに動かす。

「やっぱり、
 パパ行かないでーって言って、、、」

「パパ頑張ってーって、
 言ってるのねぇ、きっと。」

妻がそういいながら、
僕の旅行カバンを持って玄関に向かう。

僕は娘の額を撫でながら、
小さな声で

「行ってきます、、、か?」

と言う。

赤ん坊は目を閉じたまま、
寝返りを打とうと身体をくねらせている。

家族をここに置いたまま、
たった3日間でも、
違う場所で過ごすなんて、
僕には耐えられそうにない気がする。

 やっぱり、行くのやめ、、、

「パパー。
 タクシーが来たわよー。
 早く、早くー。」

僕は卓袱台に置かれたビデオカメラを手に取り、
妻が編んでくれた手作りの首掛けに頭を通した。

「すぐに帰ってくるからね。」

玄関で妻にもまた、
同じ言葉で挨拶をする。

「うん、すぐに帰ってきてね。
 でも、いっぱい楽しんできてね。」

ビデオカメラの首掛けが捩れている
と言って、
妻が丁寧に直し始めた。

「この首掛け、よく似合ってるわ。
 ビデオにもぴったり。
 いい?
 これは、パパの金メダルなんだからね。
 せっかく持っていくんだから、
 楽しんで来なきゃだめだよ。」

「う、うん。
 ありがとう。
 それじゃ、行ってきまーす。」



と書き始めてみたものの、
こんな感じの文体では、
長くなってしまいそう、、、。
次回開催まで、
完結するんだろうか???


昨年のお話。
一昨年のお話。





山形紀行

2007年11月05日 | 欧州留学時代の御学友の皆様へ
全国の山形ファンのみなさん、
こんばんはー。
(今回は約10人から大きな声で
 「こんばんはー」との返事がある、ようなないような。)

仕事でヒドイ目に遭ってますが、
山形紀行の思い出のお陰で、
何とか平静を保っているろば太です。

あまりにもてんこ盛りだったので、
山形で何をしてきたのか、
なんとなく「腑」にストーンと落ちてないような
気がしませんか?

そんなみなさんのために、
以下のテーマで
山形紀行を振り返っていきたいと思います。
次回開催までのおそらく1年間という長期に亘る企画ですが、
どうぞよろしくお付き合い願います。

どうしても
頭をぶつけたあの話題は困る(男性)とか、
「素潜り温泉」で書いてくれ(女性)とか、
そのニックネームを変えて欲しい(新人女性)とか、
要望があれば遠慮なくお寄せくださいませ。
(くくくっ。
 と言っても、
 今回参加した10人のうち、
 このブログ知ってるのは、
 2人しかいないはずだけどね、、、。
 だから、
 あんなことこんなこと書きたい放題なのだ!)

では、
構想段階にあるテーマを、
北から順に挙げてみましょうか、、、

 1 薄着んちゃ君の「ノンアルコールじゃビデオ撮らない」
 2 お恋ちゃんの「巻き添えドライブ1千キロ」
 3 ユウ座布団の「心胆エキササイズ2008」
 4 ろば太の「地味な変身ケンダマン」
 5 岩たっちの「寝てて悪いかスーパーホテル」
 6 ニューフェイスさいでんねんの「誤った選択」
 7 おめでたヘイショ君の「浴衣洞窟探検隊」
 8 マッチ警部の「バスに会いたい」
 9 砂丘(さく)りんの「温泉入って肩脱臼」 
10 ウドンドンの「来年はもっと酔ってやる」

では、
次回以降お楽しみに!

  
去年の11月5日
一昨年の11月5日




銀山温泉の流れ星が霞むほど濃厚な、、、

2007年11月04日 | 欧州留学時代の御学友の皆様へ
英仏留学御学友の皆様と
山形旅行に行って参りました。

今回の幹事は、
山形県出身のユウです。

ユウを育てた長閑で温かい山形を
一気に(車で)走り抜けた濃密な(注:車内空間のこと)旅。
凝った演出(ユウ本人が一番ビックリ?)と
気配り(勢い?)のお陰で、
「お替りどうですか」(@食べ放題そば屋)
の盛り沢山の思い出(トラウマ?)が出来ました。

記憶と写真を辿りながら、
もう一度咀嚼し直さなければ、
胃や脳にもたれて
山形は消化しきれるものではありません。

このブログでは、
約1年間(次回開催まで)に渉って
濃縮された3日間の出来事を紹介していきたいと思っています。

そうは言いましても、
今日は疲れておりますので、
また、後日。
追々に、ということで。


去年の11月3日11月4日
一昨年の11月3日11月4日




山形で、したいこと見たいもの

2007年10月25日 | 欧州留学時代の御学友の皆様へ

おこんばんは。
山形ツアーの準備進んでますか?
私はまだ、
山形がどの辺にあるかが分かったくらいです。

とはいえそんなに先の話ではありませんから、
したいこと見たいもの食べたいもの等々、
思いついたことを備忘用に書き留めてみることにしました。
みなさんも何か
心騒ぐ(あれ、いい意味では使わないはずだぞ!)
ことあればお知らせください。

1位 日本酒「十四代」を飲むこと、買うこと
   (福島(仙台も)ではなかなか手に入りません。)
2位 国重要文化財「文翔館」の喫茶コーナーで談笑すること
   (ラスクがおいしいらしい。)
3位 うーん
4位 うーん
・・・

結局、
みんなの笑顔が一番ってことだ、うん!

(無理にまとめるな、
 と言われそう、、、。
 山形で山形を山形だったら山形なのに山形ってやっぱり、、、
 今、、、考え中です。)


一昨年、、、、、。
子どもたちの小遣いが、
合コン会費に流用されているとは、、、。



大石?石田?大田? あいや、大石田でござる。

2007年10月24日 | 欧州留学時代の御学友の皆様へ
銀山温泉に向かうために、
私たちが避けて通れないのが「大石田町」。

まずは山形県の形を思い浮かべてみましょうか。
40代男性を対戦相手に、
こちら側からみて左側を指さして
アッチ向いてホイで勝った場面を想像してください。
左を向いてポカンとしている相手の横顔、
それが山形県ですね。

電車で銀山温泉に向かう場合、
大石田駅で下車することになりますが、
その大石田駅は、
40代男性横顔の
「こめかみ」のあたりに位置しています。
このことから推しても、
大石田がいかに重要であるかが伺い知れます。

大石田ってどこ

何でも「そば」で有名な地域のようで、
(以下、このページからの抜粋)
 平成13年11月に環境省のかおり風景100選に
 「大石田町そばの里」が認定されました。
 かおり風景100選とは、
 その地に住む人々や訪れる人々にとって
 心地よいと感じる「かおり」であり、
 自然景観はもちろん、文化、生活、歴史などの
 社会的背景を含め将来に残したい風景をいいます。
 この栄誉ある認定は、
 そば文化を大切に育んできた大石田の風土と、
 そばを愛する多くの人々が
 大石田をめんごがって(可愛がって)くださったお陰です。

とのことで、
今年は、10月27、28日に、
最大の呼び物、
新そば祭りが催されるそうです。
ん?
私たちが行くときは、
祭りの後なんでしょうかねえ。

で、
もっと書きたいことあるんですけど、
12時過ぎちゃったので、
また今度ね。
(旅行終わってからだったりして)


一昨年の10月23日24日


山形講座入門編(その1)

2007年10月19日 | 欧州留学時代の御学友の皆様へ
年に一度の同窓会が近づいて参りました。
既にご案内のとおり、
今年の開催地は山形県でございます。
(お客様にお願いいたします。
 モノを投げないでください。)

過去振り返ってみますと、
プレ同窓会が京都、
第1回が福島
第2回が北海道
第3回が大分
そして今度の山形が第4回目となります。

第1回目2泊3日の宿泊場所が
ろば太邸(小屋との話もある)でしたが、
第2、3回を欠席しておりましたので、
恥ずかしながらろば太にとっては、
今回の山形県が、
初めての国内ツアー参加となります。
(最初で最後との話もございますが、、、)

山形、、、
子どもだましの甘さでごまかそうという
現在の食の流通のあり方に背を向け、
無口な職人のように伝統を実直に守り抜く、
それが山形県なのでございましょう。
その独特な食文化に心惹かれまして、
みどものせんた君が毎週定期的に購入する食材は、
今ではほとんど全てのものが
山形県産となっている次第でございます。
つまり、
ろば太の身体は、
ほとんど全て山形県産で出来ている、
と申し上げてもよろしいくらいなのです。

ところが、
ほぼ完全に山形県産である筈のろば太は
果たしてどのくらい理解しているのでしょうか?
先ごろ初めて、
山形県の形が人の横顔であることが分かったばかりで、
山形ツアー幹事役のユウさまからいただくメールで
「銀山温泉旅館のバスが大石田駅まで送迎」
等々の有難い情報をいただいても、
山形県の横顔を向いた白地図のどの位置に
大石田駅を置いていいかも分からず、
?マークを刻むことしかできません。

そこで今日から少しずつ、
先ずは自分のために、
そして山形を愛する全世界約10人の皆様のために、
山形を理解するための講座を開くことにいたしました。

山形に関心のない方、
忘れてしまいたい方、
聞き覚えのない方は、
過去記事等でお楽しみくださいますようお願いいたします。

(という前口上のみで、
 講座本編は次回からスタートなのです。
 だって明日は、
 朝6時出発の休日勤務なんですもの。ふふふ。
 ちなみに地図の矢印の位置が銀山温泉ですよ。
 次回は手書きのイラスト等で
 標準語で
 分かりやすく解説しますね。(予定)
 と、思いましたけど、
 ろば太も業務多忙となり、
 また、誰も期待していないこともありますので、
 手書きイラストは止めにしました。(確定))



一昨年のせんた君
相変わらずだな。