花粉の飛散が本格的となり、一度くしゃみのスイッチが入ると中々止まりません。スイッチの入るタイミングは場所を選びませんので満員電車の中ということもありますが、今年は例年以上に周囲からの視線が集まるように感じます(もちろんマスクをしていますが)。くしゃみ(=鼻の粘膜の神経が刺激を受けて急に息を出す反射運動)と咳(風邪を引きかけたりむせたりした時などに肺の中から空気が急に強く吐き出される現象)は異なり、花粉症は前者だと思うのですが、今はどちらにしても嫌がられてしまいます。
私的成田街道の続きです。見慣れない形の道標を後に県道137号線は上り坂となり宗吾へ向かいます。ここまで幾度も坂を歩いてきましたが、この上り坂は何もない坂で、ラジオを聴きながら黙々と上りました。
標高差は30メートルぐらいあるでしょうか、ほぼ上り切った先から一段高い場所に鳥居が見えました。七社神社です。県道を外れて鳥居へ向かうと、その手前に「双体道祖神」がありました。
(七社神社と県道137号線 -酒々井町柏木 2020/01/05-)
双体道祖神は2体あり、左は1802(享和2)年に当時の柏木村が建立した像で、右は1933(昭和8)年に柏木区が建てた像です(by酒々井観光ナビ)。酒々井町には双体道祖神が数か所にあり、酒々井観光ナビでは5か所紹介されています。
(可愛らしい道祖神 -同上-)
いろいろネットを斜め読みすると、「双体道祖神は長野・山梨・静岡・神奈川・群馬の5県に限定されると言われるほどで、県内(千葉)では珍しい存在・・」とありましたが、栃木県の粟野町で見たことがあり、当店営業開始から日も浅い12年半前にご覧いただいていました(こちら)。
その先には七社神社の鳥居があり、小さな拝殿がありました。七社神社というのは7つの神社を合祀したり7つの神を祀る神社としての名のようですが、酒々井町企画政策課が作成した「酒々井町の寺社」というサイトに依ると、創建は1720(享保5)年で、天太玉命(あめふとだまのみこと)という、天岩戸で活躍した神様を祀っているそうです。
(この中に7つの神様がいらっしゃる? -同上-)
鬱蒼とした境内には人の背丈ほどの石柱があり、各面に「天照大神」「倉稲塊命(うかのみこと=穀物の神様)」「大巳貴命(おおなむちのみこと=大国主の別名」「少彦●●」と彫られていました。最後は「少彦名命(すくなひこのみこと=五穀豊穣)」でしょうね。
(修復跡が見える石柱 -同上-)
そうか、粟野町の道祖神をご覧いただいたのは12年半も前なのか・・・・。
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標高差は30メートルぐらいあるでしょうか、ほぼ上り切った先から一段高い場所に鳥居が見えました。七社神社です。県道を外れて鳥居へ向かうと、その手前に「双体道祖神」がありました。
(七社神社と県道137号線 -酒々井町柏木 2020/01/05-)
双体道祖神は2体あり、左は1802(享和2)年に当時の柏木村が建立した像で、右は1933(昭和8)年に柏木区が建てた像です(by酒々井観光ナビ)。酒々井町には双体道祖神が数か所にあり、酒々井観光ナビでは5か所紹介されています。
(可愛らしい道祖神 -同上-)
いろいろネットを斜め読みすると、「双体道祖神は長野・山梨・静岡・神奈川・群馬の5県に限定されると言われるほどで、県内(千葉)では珍しい存在・・」とありましたが、栃木県の粟野町で見たことがあり、当店営業開始から日も浅い12年半前にご覧いただいていました(こちら)。
その先には七社神社の鳥居があり、小さな拝殿がありました。七社神社というのは7つの神社を合祀したり7つの神を祀る神社としての名のようですが、酒々井町企画政策課が作成した「酒々井町の寺社」というサイトに依ると、創建は1720(享保5)年で、天太玉命(あめふとだまのみこと)という、天岩戸で活躍した神様を祀っているそうです。
(この中に7つの神様がいらっしゃる? -同上-)
鬱蒼とした境内には人の背丈ほどの石柱があり、各面に「天照大神」「倉稲塊命(うかのみこと=穀物の神様)」「大巳貴命(おおなむちのみこと=大国主の別名」「少彦●●」と彫られていました。最後は「少彦名命(すくなひこのみこと=五穀豊穣)」でしょうね。
(修復跡が見える石柱 -同上-)
そうか、粟野町の道祖神をご覧いただいたのは12年半も前なのか・・・・。
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