今年の花粉飛散は昨年より少なめということで安堵しておりますが、流石にそろそろ鼻や目がその気配を感じつつあり、「キターッ」という気分です。今週あたりからまたゆううつな日々が始まるのでしょうか?さしあたって本日の関東は「少なめ」の予報ですが・・。
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東金駅前から自転車に乗って九十九里鉄道線路跡を辿り、約2時間で片貝駅跡に着きました。ひと息ついたら東金に戻らねばいけませんが、せっかく片貝まで来たので、ちょっと自転車で彷徨しました。
最初に訪れたのは、片貝駅前の県道を道なりに約5分北上した地に建っている「溺鬼(でっき)供養塔」です。説明板が建っていましたが、そのすぐ後ろにあるのは貯水槽で、そこに橋がかかって奥に鎮座するのはお地蔵様であり、供養塔は左奥に建っていました。
供養塔が建てられたのは江戸時代後半の1842(天保13)年、1703(元禄16)年の暮れに発生した元禄大津波以来の海難犠牲者の霊を慰めるために建てられました。

(貯水槽と地蔵様と供養塔 -九十九里町北ノ下 2012/01/28-
ここから海まではすぐです。今まではこのような供養塔を見ても「ふうん」で終わっていましたが、東日本大震災の大津波を知って以降は、「もし今大津波が着たら・・」ということが脳裏を横切るようになりました。
2011/02/27の一品・・・892)千葉散歩 春のおすそ分け(勝浦ビッグひな祭り)
2010/02/27の一品・・・657)岩手散歩 洋野町(八戸線と太平洋)
2009/02/27の一品・・・お休みでした
2008/02/27の一品・・・191)栃木散歩 那須町(伊王野城跡)

東金駅前から自転車に乗って九十九里鉄道線路跡を辿り、約2時間で片貝駅跡に着きました。ひと息ついたら東金に戻らねばいけませんが、せっかく片貝まで来たので、ちょっと自転車で彷徨しました。
最初に訪れたのは、片貝駅前の県道を道なりに約5分北上した地に建っている「溺鬼(でっき)供養塔」です。説明板が建っていましたが、そのすぐ後ろにあるのは貯水槽で、そこに橋がかかって奥に鎮座するのはお地蔵様であり、供養塔は左奥に建っていました。
供養塔が建てられたのは江戸時代後半の1842(天保13)年、1703(元禄16)年の暮れに発生した元禄大津波以来の海難犠牲者の霊を慰めるために建てられました。

(貯水槽と地蔵様と供養塔 -九十九里町北ノ下 2012/01/28-
ここから海まではすぐです。今まではこのような供養塔を見ても「ふうん」で終わっていましたが、東日本大震災の大津波を知って以降は、「もし今大津波が着たら・・」ということが脳裏を横切るようになりました。
2011/02/27の一品・・・892)千葉散歩 春のおすそ分け(勝浦ビッグひな祭り)
2010/02/27の一品・・・657)岩手散歩 洋野町(八戸線と太平洋)
2009/02/27の一品・・・お休みでした
2008/02/27の一品・・・191)栃木散歩 那須町(伊王野城跡)
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