![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/1c/de45304065d11e625a86badf3cd0bb33.jpg)
・ 【御前崎には灯台がありました】
全国津々浦々に灯台があって岬の灯台はどれも同じようなのですが、一つ一つに歴史がありました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/18/0f9fecac1c72f9f144d3878047af726f.jpg)
・ 【観光スポットです】
観光スポットとしての灯台は魅力が無くなったようで麓の民宿は閉鎖でした、岬と言う所は何もない所でして、灯台があれば覗いて見るか程度です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/8a/9d7f5a4dd4f174db86399c426a28f62c.jpg)
・ 【岬の先端ですからどこの灯台でも海は丸く見えます】
我が家の近くの城ヶ崎海岸の灯台も海が丸く見えなくもありません、ただ「地球が丸く見える」という看板の石はありません
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/bb/3eb86d40031f1f5a891fd871f7c8a1e4.jpg)
・ 【灯台でも上がろうかなと思いました】
なんと御前崎の灯台観光は有料なのです、先日行きました志摩半島の安乗灯台も有料でしたので見ませんでした、どちらも灯台の直ぐ傍まで無料で行けます
(灯台から見える景色に個性は無く、ただ海が広がってます、御前崎のように島影がない大海原はどこでも同じに見えます)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/4b/086f90211f3387d88bfaef6b9317d740.jpg)
・ 【灯台の特徴は看板があれば良いのです】
御前崎灯台とは
「御前崎の最南端に立つ、白亜の塔形をしたレンガ造の大型灯台。日本の灯台50選に選ばれているほか、
歴史的・文化的価値の高さから、Aランクの保存灯台に指定されている。
周辺は、御前崎遠州灘県立自然公園に指定されていて、雄大な太平洋のパノラマが展開している。
なお、「御前崎」に設置されているが、灯台名は「御前埼」である。」
灯台がランク付けされているとは知りませんでした
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_please.gif)
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船は駿河湾の入り口を伊豆から回って来るのですね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/33/a892cdc2f2d836179c5274c0cf69fbee.jpg)
・ 【灯台の歴史は江戸時代から続いています】
灯台の歴史です
「1635年(寛永12年)この場所に徳川幕府によって、「見尾火(みおび)灯明台」が作られていたが、昔から、遠州灘は航海の難所で、この沖の岩礁で座礁、難破する船も多かったためである。
1871年(明治4年)4月8日、旧幕府が建造した軍艦が、 この沖合のセイゴ根に座礁したこともあって、洋式灯台の建設が急がれることとなった。
1872年(明治5年)5月26日に起工。
1874年(明治7年)5月1日に完成し、初点灯したが、2年もの工期を費やした。かの、「灯台の父」と呼ばれる英国人
リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計によるもので、当時の金額で2万5千円余りの
巨費を投じている。そして、回転式の第1等フレネル式レンズ(フランス製)が日本で初めて使用された。
1917年(大正6年)8月23日、1,000W白熱電灯が使用される。
1945年(昭和20年)7月24日から、太平洋戦争のためのアメリカ軍による艦載機と艦砲射撃によって、レンズや灯器が破壊され、
灯塔にも銃弾を浴びて、損傷してしまう。
1949年(昭和24年)3月24日に、戦災復旧工事が完成し、建設当初のレンガ造の灯塔を保ったまま美しい灯台に復元されたが、
レンズは第3等大型フレネル式レンズに変わっている。
1981年(昭和56年)、無線方位信号所(レーマークビーコン)を設置。
1983年(昭和58年)1月から3月にかけて灯塔の補強工事を実施。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_uru.gif)
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灯台の壁を伝うと海が見てきます、(僕にはこの景色で十分です)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/66/9abddf9a653b5e19fa8860c7cd930d63.jpg)
・ 【上の方から話声が聞こえてきました】
灯台の天辺まで上がるとライトの周りを歩けるのでした
果たして海が丸く見えるでしょうか
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/78/b24da6e2e24ca6255b4fa562c5611bdc.jpg)
・ 【人の視野の方が僕のカメラより広い】
御前崎は地理的になだらかですが海に突き出る格好になります、三角形の頂点ですから左側と右側に違った景観のビーチが広がります
海に向かって左側が今まで通ってきたややおとなしい女性的な海岸で右側はプロ級のウインドサーファーが集まる荒らしい男性的な海岸模様でした
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_night.gif)
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全国津々浦々に灯台があって岬の灯台はどれも同じようなのですが、一つ一つに歴史がありました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/18/0f9fecac1c72f9f144d3878047af726f.jpg)
・ 【観光スポットです】
観光スポットとしての灯台は魅力が無くなったようで麓の民宿は閉鎖でした、岬と言う所は何もない所でして、灯台があれば覗いて見るか程度です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/8a/9d7f5a4dd4f174db86399c426a28f62c.jpg)
・ 【岬の先端ですからどこの灯台でも海は丸く見えます】
我が家の近くの城ヶ崎海岸の灯台も海が丸く見えなくもありません、ただ「地球が丸く見える」という看板の石はありません
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・ 【灯台でも上がろうかなと思いました】
なんと御前崎の灯台観光は有料なのです、先日行きました志摩半島の安乗灯台も有料でしたので見ませんでした、どちらも灯台の直ぐ傍まで無料で行けます
(灯台から見える景色に個性は無く、ただ海が広がってます、御前崎のように島影がない大海原はどこでも同じに見えます)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/4b/086f90211f3387d88bfaef6b9317d740.jpg)
・ 【灯台の特徴は看板があれば良いのです】
御前崎灯台とは
「御前崎の最南端に立つ、白亜の塔形をしたレンガ造の大型灯台。日本の灯台50選に選ばれているほか、
歴史的・文化的価値の高さから、Aランクの保存灯台に指定されている。
周辺は、御前崎遠州灘県立自然公園に指定されていて、雄大な太平洋のパノラマが展開している。
なお、「御前崎」に設置されているが、灯台名は「御前埼」である。」
灯台がランク付けされているとは知りませんでした
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船は駿河湾の入り口を伊豆から回って来るのですね
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・ 【灯台の歴史は江戸時代から続いています】
灯台の歴史です
「1635年(寛永12年)この場所に徳川幕府によって、「見尾火(みおび)灯明台」が作られていたが、昔から、遠州灘は航海の難所で、この沖の岩礁で座礁、難破する船も多かったためである。
1871年(明治4年)4月8日、旧幕府が建造した軍艦が、 この沖合のセイゴ根に座礁したこともあって、洋式灯台の建設が急がれることとなった。
1872年(明治5年)5月26日に起工。
1874年(明治7年)5月1日に完成し、初点灯したが、2年もの工期を費やした。かの、「灯台の父」と呼ばれる英国人
リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計によるもので、当時の金額で2万5千円余りの
巨費を投じている。そして、回転式の第1等フレネル式レンズ(フランス製)が日本で初めて使用された。
1917年(大正6年)8月23日、1,000W白熱電灯が使用される。
1945年(昭和20年)7月24日から、太平洋戦争のためのアメリカ軍による艦載機と艦砲射撃によって、レンズや灯器が破壊され、
灯塔にも銃弾を浴びて、損傷してしまう。
1949年(昭和24年)3月24日に、戦災復旧工事が完成し、建設当初のレンガ造の灯塔を保ったまま美しい灯台に復元されたが、
レンズは第3等大型フレネル式レンズに変わっている。
1981年(昭和56年)、無線方位信号所(レーマークビーコン)を設置。
1983年(昭和58年)1月から3月にかけて灯塔の補強工事を実施。」
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灯台の壁を伝うと海が見てきます、(僕にはこの景色で十分です)
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・ 【上の方から話声が聞こえてきました】
灯台の天辺まで上がるとライトの周りを歩けるのでした
果たして海が丸く見えるでしょうか
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・ 【人の視野の方が僕のカメラより広い】
御前崎は地理的になだらかですが海に突き出る格好になります、三角形の頂点ですから左側と右側に違った景観のビーチが広がります
海に向かって左側が今まで通ってきたややおとなしい女性的な海岸で右側はプロ級のウインドサーファーが集まる荒らしい男性的な海岸模様でした
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