しいたけの伊豆高原情報と放浪旅

(伊豆をバイクで回って10年、伊豆高原に住んで26年目に突入、いろんな事がおこりますねえ!)

「魚見岳」から下りて最初に行くのは指宿:特攻記念碑なのです!

2013年06月03日 | アウトドアキャンプ
・               【「魚見岳」公園の案内図です】

(雲仙霧島国立公園でなく、雲仙錦江湾国立公園と言うのが正式名だったのです!)

ママは「あざみ」の茎が長いのは温暖な気候のせいね!と関心しています、それぞれに見る所は違って楽しいね
指宿に来て「魚見岳」に登る観光客はいないと思います

(指宿にきたら、「開聞岳」を眺めて「砂むし」に潜り混んでお終いが普通なのです)

あとは旅館のお料理を食べるか歓楽街に出かけるか?です、「魚見岳」は標高200m程度です、
観光のお客さんはここまで来て登る気は起こらないと思います



「魚見岳」に登る第2の自動車道路はとても狭い、キャンカーならば案内人がいない限り行けそうもない道路でした


・           【戦争中の防空壕か格納庫跡で入り口は閉鎖されています】

海沿いにありますから小型の飛行艇の格納庫だったと思います

この辺は大きな滑走路が「魚見岳」の麓を横切っていまして、航空基地になっていたのです

(今は松林となっています、昔は長い滑走路があったとは思えません)



指宿からも特攻出撃で82名の人が犠牲になりました!


・             【人数の違いでしょうか?こちらはひっそりでした】

松林の中にこんもりとした小山がありました、登っていくと歴史は風化していませんがちょぴり寂しくありました

観光客で一杯だった知覧;特攻平和会館と比べて訪れる人は我々だけです、知覧と同様に特攻として
命を投げ出した若者がいたのです!考えてみれば今日、平和の礎を築いた若人がいたのです

(指宿基地は飛行艇の基地でした、速度の出ない飛行艇に爆弾乗っけて片道燃料で飛び立ったのでした!)



こんな飛行艇で特攻の意味があったのでしょうか?人命軽視も甚だしいね

(特攻は玉音放送後も出撃していったそうです、無駄死に以外の何ものでもありません)


・              【日本は戦争へ突入していった社会悪を戦後総括したのでしょうか】

神風なんて吹く訳なかったのに・・・・、戦争犯罪人だった人でも代議士となって総理大臣にもなりました

(いかに優秀だった人とはいえ、戦争を遂行した側の人が復興日本を支えたなんて信じられないね)

極東軍事裁判は戦争勝利した側が一方的に裁いた裁判で、戦争へと突き進んだ反省ができているのかしら?
自らの国は自ら守る、軍隊も必要だと思うけれど憲法を変えてまで戦争を受け入れる体制にするのは
どうかと思うね、今の憲法は押し付けられたと言われてます、白州次郎などを読みますと
確かにマッカサーの意を汲んで拙速に制定したに違いありません、新憲法に反対した人もいますが前憲法擁護でした

(学者であっても民主主義、国民主権の考え方に異を唱える人たちがいたのです)

国の生き方として理想を追求するならば絶対に「戦争」をしてはいけません
武人として特攻で失った若い人の犠牲を忘れてはいけませんし、名を残さずに亡くなった多くの人たちの
犠牲の上に僕らがいることを忘れてはいけません!

(バブル崩壊、デフレ不況、リーマンショックで経済が揺さぶられても戦争犠牲者が大量に出るわけでありません)



16歳と9ヶ月で命を捨てて逝きました!


・                【こんな事は二度と繰り返してなりません】

遺書や出撃直前の手紙も悲しいし、悔しい!
戦争で犠牲になったのは兵隊さんだけではありません、空襲や戦闘に巻き込まれた民間人もいます
遠くの島や大陸で犠牲になった兵隊さんも沢山いてその数230万人と言われます
民間人は80万人、朝鮮、台湾、中国、アジア全体、相手国だって相当な犠牲を払いました



戦争なんてと思ってみても実際に体験した人の話は重みが違います、「戦争を知らない子供」でも
僕らの世代は親ならば体験しています、親父は戦争で負傷したせいか、戦争の話は全くしませんでした
でも戦争の悲惨さは語らずにも子には判ります、戦後親父の飲み方は尋常でなかったと思います

(高校生の頃、そんな親父さんのお酒を取り上げて台所に流してしまった事、今は少し後悔してます
 僕のお酒は親父の1/4も飲みませんし、胃潰瘍にもなりません、週2日の禁酒も守ってますし
 手も震えません、アル中依存でないことがわかった以上禁酒を続ける意味がないのではと思います)

戦争知らなくても戦争の雰囲気は判ります、僕の子供となるとどうでしょうか?さらに孫の世代になると
完全に忘れ去られます、だから平和憲法、戦争放棄の思想は必要だと思います

売られた喧嘩はどうするのでしょう、攻め込まれたらどうするのでしょう、回りの国には軍隊があるのに
平和ボケしていたらたちまち攻め込まれます、強力な軍隊は必要です、軍隊が民主政治を踏みにじらない
方法や制度があるのでしょうか?憲法で明記する必要があります!



これが本当の「冷えとり」の手引書
PHP研究所

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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そうなんですよね (城ヶ崎-見習い2号)
2013-05-28 20:30:09
改憲とだけ言って、本心はどこにあるのかが、とても怪しい。
 30年前にインドネシアに滞在していました。内陸部のバンドンという都市ですが、軽井沢の感じでしょうか。うっかり道を聞きに入ったのが駐屯地でした。ピストルがどこを向いていたのでしょうかね。
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見習い様:防衛戦争、国連戦争なら許せる! (しいたけ)
2013-05-28 21:22:15
のでしょうか?
常任理事国入り、日米同盟強化、戦争放棄の憲法を改正したいのでしょう
自衛隊を軍隊に格上げ、防衛庁は防衛省になりました、外堀が徐々に埋められてます

見習い様も怖い目にあったのですね!僕も学生時代寮が襲撃されて二人亡くなりました
鉄パイプが打ち下ろされる音、廊下のガラスが割れる音は一生耳から離れません
夜明けのことで何も抵抗できませんでした
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