しいたけの伊豆高原情報と放浪旅

(伊豆をバイクで回って10年、伊豆高原に住んで26年目に突入、いろんな事がおこりますねえ!)

再び三陸道をおります、陸前高田だけはぜひ見ておきたい煮のです

2022年08月03日 | バイク&キャンカー&鉄道&船旅

・     【早朝の八戸から走って来ましたので眠気が襲って来ました】

セブンに寄って眠気覚まし飲料を飲みますが頭がふらふらします、ここで立ちごけです、後ろに荷物を積んでいるので

スクーターでも起こすのに重かったです、これで今回初めての転倒になります、目指す陸前高田は近いのでした

・      【宿のある気仙沼まではもうすぐですが】

陸前高田を見逃すわけにはいきません、この道の駅には津波資料館が出来ていました

・     【千昌夫さんのホテルが遺構になっておりました】

建物の中断(茶色のマーク)までに津波の位置が記録されていました、震災後3か月ではまだ高田の松原や野球場などの

残骸が残っていましたが、高い見上げる高さの防潮堤が出来て綺麗に整備されましたが人は住んでいません、人々は遠くの

高台に移転してしまったように思います

・       【防潮堤の後ろには空き地だけが広がってます】

旧市街には何も建物は建っていませんでした、ここに市街があったとは信じられなくなっています

・           【これは古いバイクです】

ヤマハの2サイクル250ccです、僕の高校時代のバイクでした、古いバイクをこよなく愛する人がいるのです

(この方とお話を交わしたかった、津波会館を出たらいなかったです)

・     【こちらが本当の奇跡の一本松でした】

震災前には野球場もあったし、松原も広がっていました、住民は高台に移転したのでしょうか

高い防潮堤の後ろは空き地が広がってました

・       【津波資料館の映像はショックでした】

見た事のある写真ですが改めて見るとすごい迫力です、瓦礫となって建物が運ばれていきますし、引き波に寄っても建物が動いて

瓦礫になって行くのでした、陸前高田は川に沿って建物が流れて行きました、かなり奥の方の村落まで海岸の建物が押し寄せていました

・      【頑丈であるべき消防自動車がぺしゃんこに変貌していました】

大きな橋げたを支えていた鋼鉄製の柱もぐんにゃり曲げられていました、建物も大型トラックのフレームもぐんにゃり

曲がって瓦礫を作っていました、僕の見た時は大型トラックがフレームごと曲げられてペシャンコに潰されておりました

(あれだけあった瓦礫の山も今は綺麗に片付けられていました)

ウクライナの国も東部ドンバス地域は親ロ派住民が多い事で知られています、住民の中にはロシアに併合を願ってる人もいます

ロシアと国境を接しているので仕方ありませんが、一度確定した領土を力づくで侵攻したロシアに見方するわけにはいきません

ウクライナがロシアより良い国であることが大事だと思います、プーチン独裁の何時までも大統領が変わらない政権が良いのか

民主的な選挙が確立しているウクライナが良いのか親ロ派住民の選択に掛かっています、プーチン政権が欧米からの天然ガスや石油の

資源が売れなくなり外貨が入ってこないとするとプーチンも親ロ派住民への援助もままならなくなれば住民の気持ちを買えることが

出来るでしょう、ウクライナ側の親ロ派住民への援助も重要だと思います

 


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