・ 【洗顔、トイレと朝のお勤めは完了です】
朝4時にキャンカーをコンビニ前に横付けします、近くにコンビニがありますと朝のお勤めが完璧にできます
遠くで「りんご屋」さんと思しき軽トラックを発見です、違ってました久留米ナンバーでした!
(「りんご屋」さんは軽トラでなく軽ワゴン車でナンバーも「福島ナンバー」なのです)
やがて携帯電話に連絡が入って、「相変わらず早いね、今どこにいるの?」「お隣のコンビニ」ですと連絡したら
すぐにやって来てくれました、山登りは嫌いというので車で山を登って市内を眺めましょう!
(朝から決められた行動に入るにはまだまだ不十分、気持ち的に相手のペースに乗れないのです
「りんご屋」さんは本日、仕事を休んでまで案内人を引き受けてくれるので、感謝したい気持ちに変わりありません!)
いつも早朝、ママは後ろのベットでスヤスヤです、僕一人で寂しく出発でしたが、自分のペースでの
行動開始だったので「主導権を奪われる戸惑い」と言うのでしょうか?
南アルプス「北岳」に登って、翌日には「富士山」も登頂した超自然人の「りんご屋」さんとバイク乗りでは人種が違います!
(バイク乗りはせっかちで「ゆっくり行動」が苦手なのです、バイク乗りでも僕は異端の方で
温泉に関しては血圧が高いのに長湯&熱湯好きです)
・ 【僕の散歩コースがあるんだけれど山に登らない!】
登っても良いけれどできるだけ車でね、標高は200m位だけれど指宿市内が手に取るように判るよ
土地勘のない僕に前もって指宿の全体像を見せる腹積りに関心しました、途中で良い展望が見れるのだけれどね
朝の散歩には丁度良いよ!判ってますが車での登山コースでお願い致します
(彼は「開聞岳」も普通の作業用の長靴で登って登山者をびっくりさせます、時々散歩で歩いて登っているのは
指宿の錦江湾側にある「魚見岳」という頂きでした)
道は細いですが、標高が上がるにつれて左側には錦江湾が広がり、干潮時には陸続きになるという「知林が島」も見えてきました
ご丁寧にも行き帰りは違うコースでした、帰りのコースは道が車幅一杯で対向車があれば通行不可です、「りんご屋」さんの
軽ワゴンを追いかけて、ギリギリ何とか通れましたが!やはり対向車があってすれ違いができません、バックで下りて戴きましょう!
(このコースはやがて海側へと抜けていくのです、そこにも悲しい歴史があったのです)
・ 【薄い雲海を通して大隈半島の山々が遠望できます】
薄い雲の効果により高い山ははっきり、盆地や低い所は雲がより白く堆積しますので山の形が一層くっきり
水墨画のように重なって浮かんでいます、指宿から大隈半島へは山川港からフェリーが出ていて直ぐにも到着なのです
帰りはダイヤを調べてフェリーを使って大隈半島から桜島コースでもと考えます?
(この案は良かったのですが、さらにもう一泊をとの進言に簡単に乗ってしまうのでした)
砲台跡のような場所があります、ここに砲台を構え、錦江湾を通る英国の艦船と戦った薩摩藩の意気込みが伝わります
薩摩武士は血気盛ん、当時の大国英国を相手に戦おうというのは向こう見ずなのか、相手を知らないだけなのか?
これに先立って横浜:生麦事件(麒麟麦酒工場前)があって薩摩藩士が英国人が殿様の前を横切ったので
切り捨てご免の仕打ちでした、当然英国から軍隊が出て薩英戦争が勃発です
(襲った藩士達は罰せられずに維新後も活躍したと言われてます、海江田さんもその末裔かもしれません)
伊豆:城ヶ崎海岸の遊歩道にも下田からやってくる黒船を狙ったのでしょう、砲台跡が残っています!
(薩摩半島と伊豆半島距離は離れていますが、幕末から開国前後は外国船に緊張していたのです)
鹿児島方面を眺めますとうっすら「桜島」が写ってました!(今日は噴煙までは見えません)
・ 【鹿児島県の象徴;「桜島」です】
噴煙は上がっていませんが、いつでも爆発を繰り返している山です
鹿児島から指宿までは40km位離れてます、鹿児島で見るような大きな山には見えません
(桜島も開聞岳も1000m位ですが、指宿まできますと象徴は「開聞岳」なのです)
「知林が島」には大潮の干潮時、歩いて渡れるようです、堂ヶ島ではトンボロ現象と言ってます
・ 【頂上まで上がると「知林が島」が手に取れます】
「りんご屋」さんは島の左手には「ぶり」の養殖場がありますと丁寧かつ仔細に説明してくれます
このまま指宿観光ガイドさんにもなれそうです、一度本当のガイドさんが案内していて間違っている事に気が付いたそうです!
(多分「りんご屋」さんの事だから見過ごせず黙っていなかった事でしょう!)
今度は海側でなく市内を覗いて見ましょう!
朝4時にキャンカーをコンビニ前に横付けします、近くにコンビニがありますと朝のお勤めが完璧にできます
遠くで「りんご屋」さんと思しき軽トラックを発見です、違ってました久留米ナンバーでした!
(「りんご屋」さんは軽トラでなく軽ワゴン車でナンバーも「福島ナンバー」なのです)
やがて携帯電話に連絡が入って、「相変わらず早いね、今どこにいるの?」「お隣のコンビニ」ですと連絡したら
すぐにやって来てくれました、山登りは嫌いというので車で山を登って市内を眺めましょう!
(朝から決められた行動に入るにはまだまだ不十分、気持ち的に相手のペースに乗れないのです
「りんご屋」さんは本日、仕事を休んでまで案内人を引き受けてくれるので、感謝したい気持ちに変わりありません!)
いつも早朝、ママは後ろのベットでスヤスヤです、僕一人で寂しく出発でしたが、自分のペースでの
行動開始だったので「主導権を奪われる戸惑い」と言うのでしょうか?
南アルプス「北岳」に登って、翌日には「富士山」も登頂した超自然人の「りんご屋」さんとバイク乗りでは人種が違います!
(バイク乗りはせっかちで「ゆっくり行動」が苦手なのです、バイク乗りでも僕は異端の方で
温泉に関しては血圧が高いのに長湯&熱湯好きです)
・ 【僕の散歩コースがあるんだけれど山に登らない!】
登っても良いけれどできるだけ車でね、標高は200m位だけれど指宿市内が手に取るように判るよ
土地勘のない僕に前もって指宿の全体像を見せる腹積りに関心しました、途中で良い展望が見れるのだけれどね
朝の散歩には丁度良いよ!判ってますが車での登山コースでお願い致します
(彼は「開聞岳」も普通の作業用の長靴で登って登山者をびっくりさせます、時々散歩で歩いて登っているのは
指宿の錦江湾側にある「魚見岳」という頂きでした)
道は細いですが、標高が上がるにつれて左側には錦江湾が広がり、干潮時には陸続きになるという「知林が島」も見えてきました
ご丁寧にも行き帰りは違うコースでした、帰りのコースは道が車幅一杯で対向車があれば通行不可です、「りんご屋」さんの
軽ワゴンを追いかけて、ギリギリ何とか通れましたが!やはり対向車があってすれ違いができません、バックで下りて戴きましょう!
(このコースはやがて海側へと抜けていくのです、そこにも悲しい歴史があったのです)
・ 【薄い雲海を通して大隈半島の山々が遠望できます】
薄い雲の効果により高い山ははっきり、盆地や低い所は雲がより白く堆積しますので山の形が一層くっきり
水墨画のように重なって浮かんでいます、指宿から大隈半島へは山川港からフェリーが出ていて直ぐにも到着なのです
帰りはダイヤを調べてフェリーを使って大隈半島から桜島コースでもと考えます?
(この案は良かったのですが、さらにもう一泊をとの進言に簡単に乗ってしまうのでした)
砲台跡のような場所があります、ここに砲台を構え、錦江湾を通る英国の艦船と戦った薩摩藩の意気込みが伝わります
薩摩武士は血気盛ん、当時の大国英国を相手に戦おうというのは向こう見ずなのか、相手を知らないだけなのか?
これに先立って横浜:生麦事件(麒麟麦酒工場前)があって薩摩藩士が英国人が殿様の前を横切ったので
切り捨てご免の仕打ちでした、当然英国から軍隊が出て薩英戦争が勃発です
(襲った藩士達は罰せられずに維新後も活躍したと言われてます、海江田さんもその末裔かもしれません)
伊豆:城ヶ崎海岸の遊歩道にも下田からやってくる黒船を狙ったのでしょう、砲台跡が残っています!
(薩摩半島と伊豆半島距離は離れていますが、幕末から開国前後は外国船に緊張していたのです)
鹿児島方面を眺めますとうっすら「桜島」が写ってました!(今日は噴煙までは見えません)
・ 【鹿児島県の象徴;「桜島」です】
噴煙は上がっていませんが、いつでも爆発を繰り返している山です
鹿児島から指宿までは40km位離れてます、鹿児島で見るような大きな山には見えません
(桜島も開聞岳も1000m位ですが、指宿まできますと象徴は「開聞岳」なのです)
「知林が島」には大潮の干潮時、歩いて渡れるようです、堂ヶ島ではトンボロ現象と言ってます
・ 【頂上まで上がると「知林が島」が手に取れます】
「りんご屋」さんは島の左手には「ぶり」の養殖場がありますと丁寧かつ仔細に説明してくれます
このまま指宿観光ガイドさんにもなれそうです、一度本当のガイドさんが案内していて間違っている事に気が付いたそうです!
(多分「りんご屋」さんの事だから見過ごせず黙っていなかった事でしょう!)
今度は海側でなく市内を覗いて見ましょう!
これが本当の「冷えとり」の手引書 | |
PHP研究所 |
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます