しいたけの伊豆高原情報と放浪旅

(伊豆をバイクで回って10年、伊豆高原に住んで26年目に突入、いろんな事がおこりますねえ!)

松本城:見学は定番です!

2010年12月17日 | バイク&キャンカー&鉄道&船旅
・             【太鼓門:巨大な赤松でできている門です】

僕は過去にも見てますからママだけ見学してもらい、今まで見たことのなかった大きな門に取り付きましょう
大変立派な門は10年前に復元されたそうですが、木目も新しく壮大な門です、でもお城には悲しい
歴史が潜んでいます

ネットより

「正面石垣に高さ約4m、周囲約7m、の巨石が組み込まれているのがわかる。これが、玄蕃
 (げんば)石で築城工事の際、あまりの巨石(重量22.5トン)のため運搬人が不平を訴えた
 ところ、玄蕃頭康長は、その運搬人の首をはね、首を槍先に刺し、叱咤激励して運ばせたので
 玄蕃石と名前がついたという。その上に、石垣をまたいで建つ一の門(櫓門)は、総間口約10m
 桁行9間、梁間5間の堂々としたもので、屋根は本瓦葺きとなっている。」

こんな事許されるのでしょうか?封建制が色濃く残っているお城の歴史に思わず後ずさりしました



太鼓門は二の門(高麗門)と一の門(櫓門)で構成されています


・         【門の説明に「枡形」という言葉を使うのですね】

写真の文字は小さすぎて読めません、多分こんな内容だと思います

「櫓門の右手の北石垣の上には太鼓楼があり、太鼓と半鐘が置かれ、様々な合図が打ち鳴らされて
 いたので、この門の名称になったとのこと。しかし、1871年(明治4)12月末に取り壊され、石垣
 までもが崩されていたのを、松本城の保全と史実に基づく復元整備の一貫として、太鼓門跡の
 発掘調査と石垣の改修から着手された。それが、1970年頃から徐々に整備され、128年の時を
 越えて、みごとに蘇りました」

門だけでなく、松本城はお堀に浮かぶ名城に違いありません!



お城は現代の中央官庁ですから、お役人が勤務に励んでいました!


・              【松本城:二の丸の復元図です】

今は何もなくなって広場になっていますが、柱の位置などから復元図が描かれました

「太鼓門をくぐり、右手に進むとそこが二の丸御殿跡で、1978年(昭和53)までは松本地方裁判所の
 堂々とした建物が建っていた。それが、郊外に移転してからは、全面発掘が行われ、公園化されて
 平面標示による建物位置が示されている。ここにあった二の丸御殿は、城主の居館と正庁だった
 本丸御殿が、1727年(享保12)に焼失してから機能が移されたもので、以後、明治維新まで藩の
 正庁だった。廃藩置県後もここが県庁となり、筑摩県の中心官庁となったものの、1876年(明治9)
 6月19日の不審火によって焼失したとのこと。ここから見る天守閣も北アルプスを背景にして
 なかなかすばらしい」



肩肘張ったお城の歴史より白鳥さん見ている方がほっとします


・       【二羽の白鳥が夢中になって餌を食んでいました】

おとなしそうな雰囲気でやってきましたが、食欲は旺盛、長い首を掘りに潜り込まして
争うようにお堀の下にある餌を食べまくっていました

(現実世界でも生存競争はあるのですね!)



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