しいたけの伊豆高原情報と放浪旅

(伊豆をバイクで回って10年、伊豆高原に住んで26年目に突入、いろんな事がおこりますねえ!)

僕達が新婚時代を過ごしたアパートが存在していました

2023年12月26日 | 遊び場

・       【我が家から市大病院に行くとき通っていくのです】

50年前は新築で綺麗でした、病院にいる長男はここで生まれたのです、とても横浜らしいとは言えない所でした

(学校は学園紛争のピークを過ぎていましたが、内ゲバ騒動が頻発して落ち着いた雰囲気はありません)

僕は学校には行かず寮でゴロゴロしている内に寮にも襲撃の魔の手の襲ってきました

・      【内ゲバ騒動の混乱から逃れるように寮をでました】

安らぎはママのいるアパートだったのです、子供が出来て慌てて結婚式を横浜の教会で挙げ、そのまま中華街に流れて

結婚式を上げました、小さな結婚式で遠くの九州からやってきたママの親戚には申し訳ない気持ちで一杯でした

50年前にいた大家さんは夫妻は亡くなっており、代わりに現在の家主さんに事情がきけました、先代の大家さんはこの近くで

家を建てて、現在は娘さんの一人が住んでいるそうです、アパートの裏に住んでいた僕の先輩だった人は現在も住んでいるようでした

(お会いしたかったですが、すでに卒業していた人ですから僕は知ってますが、僕の印象は残ってないと思います)

長男が病院に入って、長男が生まれたアパートに寄るのは運命的な気がします

・         【2階は2年間住む人はいないそうです】

まっすぐ伸びた階段は昔と変わりませんが、新しく階段は付け替えたそうです、新しい大家さんは気さくに答えてくれて

最後にはこれも縁でしょうと言ってユズを分けて貰いました、僕の青春時代の一コマでした

市大病院に行くには我が家から随分遠くなりますが、市大病院は二つの病院があって、新しくできた院所は南部地区の埋め立て地に

かなり遠方にあるのです、通うには楽な浦舟町だったので助かりました

・      【市大病院に転院して息子の容体が劇的に快復しました】

2週間近く入院していた病院も地区では大きな病院だったのですが治療効果は上がらずに悪化していきまして

最後には医者もギブアップのようで救急車でこの病院に担ぎ込まれたのでした

救急車に乗せられる時は顔色も悪く、言葉も交わせず、最悪の事態すら考えました、前の病院の先生も救急車に乗って付いて

来てくれました、何が良くて回復したのでしょうか、心筋症の症状は患者によって差があると思います、この間に元力士の

寺尾さんが同じ心筋症で亡くなりました、息子の身代わりになってくれたのでしょうか、これも運命的なものを感じます

(CCUでの治療は違った薬を投与され、カテーテルでの措置が取られたようですが、僕には全く分かりません)

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 外人墓地から山手界隈を散策... | トップ | 今日の市大病院は休日診療で... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

遊び場」カテゴリの最新記事