しいたけの伊豆高原情報と放浪旅

(伊豆をバイクで回って10年、伊豆高原に住んで26年目に突入、いろんな事がおこりますねえ!)

8月7日フェリーは「福島沖」ではないでしょうか!(北の旅も最後です)

2014年10月01日 | バイク&キャンカー&鉄道&船旅
・                   【日が昇って明るくなると遠くに陸地が見えて来ます】

金華山沖ではないと思います、フェリーは福島の原子力発電所を掠めて大洗港へ進んでいます、この辺りに来ますと
船足が遅くなるようです、いつも性能一杯の全速力で走るわけには行きません、余裕のあるスピードで遅れたダイヤの
調整の意味もあるようです、船は定刻通りに大洗港に着岸でした!



長い間、船内に閉じ込められますから子供達は喜ぶでしょう


・                    【キッズコーナーです、朝が早くて遊ぶ子供達はいません】

マットがベット代わりにもなります、夏の混雑時には乗客の中に狭いマットを嫌って、ここで寝る人も居ます
狭い寝床ですし詰めになるより開放感があります、室内のソファーで眠る人もいます

(従って寛ぎたい人が寛げません、迷惑行為ですがフェリーは夏の一時期だけ混むので僕は黙認です)



貴重品も預かります、フロントでも預かってくれます


・                    【ロッカールームも有ります】

フロントに依頼せず有料のロッカーを利用するには事情があると思います、ここで小柄だけども精悍で顔は真っ黒に
日焼けした人と会いました、彼は気が付かないけれど同室の人です、部屋に戻ると静かに一人で酒を飲んでいました
「どちらへ向かうの!」と聞けば「急な仕事が入って川崎に向うのです」と言ってウイスキー小瓶の僕に
「つまみ」を放り投げてくれます

住まいは川崎だけど、生まれは秋田県本庄です、「寒風山」の麓のような所で育ちましたと言います、
僕も今回の旅行では男鹿半島の付け根にある「寒風山」を回ってきました、と話が合って話題が
次から次へと繰り出されて来る自然人でした

(一人でブスッと酒を飲んでいても退屈なだけです「シイタケ」によもやま話の一つでも聞かせて下さい!)



船内では孫たちへのお土産を購入しました(喜んでくれるかな!)


・                     【これが最後の売店になります】

この人は冬に道東の弟子屈町の雪深い所に1人で籠る人でした、冬にはハンターとしてエゾシカを獲るそうです、
山歩きの達人でもあって北海道の名だたる山は全て登ったよ!バイクでも走ったよ!とさらり言いまして、
知床半島の先端まで、海岸沿いの道なき道を奥様と一緒に2日掛かりで歩いて渡ったと言います、
先端には漁師さんが非常の際使用する港が出来ているそうです、僕も先端から道路が無くなる終端の相泊港との
中間点「ペキンの鼻」という所まで漁船で行きました、大岩や断崖があって歩く距離は迂回や高まきを強いられて
知床半島先端まではかなりの苦労があったと思います、軽く野山を行くように話してくれます、
スキーも趣味としてやりますが、あくまでもゲレンデスキーでは無く、ノルデイックの
山スキーに拘って滑ります、苦労して5時間掛かって山を登っても30分で降りてくるのです

(昔は「シール」と言うのが有りました、雪の中でも後ろに滑らないようスキーの裏側につけるアザラシの毛皮なんです!
 今でも使っていますか?勿論使っているよと嬉しい事を言ってくれます)

それにしても「弟子屈駅」が「摩周駅」に変わったのはいつの事でしょうか?、俺が知らない内に変えるとは
ケシカッラン事のようでした!僕もある日突然に変わっていたのでびっくりでしたね

(1990年に観光目的の為に「弟子屈駅」から「摩周駅」に変更ですから20年以上も前の事です)



石鹸、垢すり、タオル2枚、歯ブラシ、歯磨き粉、カミソリ、ヘアーブラシ等を入れた
お風呂セット籠はjフェリー乗船時でなくとも北海道では必携です


・                     【朝ぶろは使用できます、でも僕は1回の入浴で良いのです】                 

いつも枕元に用意していますが入浴はフェリーに乗船した直後と決めております、従って朝ぶろは入った事がありません

最近のスキーヤーについて嘆きます、マナーがなっていないよ!特にスノーボードの連中は視覚的な状況からか山側に
視線がいかない為に衝突が多いのだよとキッパリ言います、それなのに彼らと来たらどこにでも出没してきます、
多分山スキーの同行者とぶつかっているのでしょう

(北海道人でも住みたく無い様な所に家を借りて一冬過ごすと言うのが判りませんが、
 寒さや雪や冬の孤独感を愛す人って少数ですが生息していますね)



15分位遅れて出発したはずですが、遅れを取り戻して定刻に大洗港に着岸です

(船はこの後夕方には大洗港を発って再び苫小牧港を目指します)

出港→航海(仮眠)→下船→清掃(休憩)を1日で繰り返し、クルーは20日連続勤務で
20日連続休暇というシフトで働くそうです、一人が何役もこなしますから結構大変だと思いますが、
20日連続休暇は魅力的でもありますね


・                     【やっと大洗港まで戻ってきました】

僕はこれからお袋がいる栃木県に向い、おやじのお墓に行って好きだったお酒をついでから
お袋さんに会うのが例年の通りなのです、今年は病もあって、原付バイクで寄って行きますが
夕方には真岡に到着するでしょう、北関東自動車道路を使用すれば早いのでしょうが
原付バイクでは高速道路は利用できません!



翌日です、東京都内の高層ビル街を抜けていきますが、去年までは頻繁に通っていた所です


・                      【新橋汐留界隈のビル街を通っていきます】

仕事でなく旅人として通過する町はどこか違って見えます

横浜には昼過ぎに到着でした、栃木からだと200km位ありました


・                      【孫が迎えてくれました】

(この孫とも今年でお別れです、この時点ではずうっといるものだと思っていました、スープが冷めない距離だからいつでも会えますが・・・・)

伊豆行の2倍位時間が掛かりました、何の感激もなく到着でした、元々が北海道へ向かって出発した訳ありません、
横浜から北海道を経由して横浜に向う旅だったのです、旅は行っていない所に興味が湧きますが、
絶景なんて5分見れば飽きるのです、岬に行っても何も無い所で一回行けば満足です、旅は人との出会いです、
仕事でも出会いはあるけれど個性豊かでユニークな人物にお会いした事はありません



横浜についてまず心配だった事は伊豆の状況です、雑草で庭がめちゃくちゃになっている事の方が心配になります


・                       【原付バイクでも重い荷物のせて】

良く走ってくれました、トランクの蓋を飛ばした位でバイクはノントラブルで良く走りました、
これから伊豆まで走って原付バイクの旅装を解いて身軽にしましょう、庭の掃除もやりましょう

(その前にバイク屋さんに寄って報告がてら、借りていたシートマットの返却とオイル交換をしましょう)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« いよいよ400年伝統「片貝... | トップ | 花火の翌日は上越市に行って... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

バイク&キャンカー&鉄道&船旅」カテゴリの最新記事