「宗教はアヘンである」とか、
「宗教は百害あって一利なし」とか、
色々は否定的に言われているが…
本当に、そうなのだろうか?
神を信じるとは?
信心とは?
何なのだろうか?
一般的に、宗教を求める人は、
苦しみの真っただ中にいて、
苦しみから逃れたい者である。
宗教で苦しみから逃れられる訳は?
そもそも…苦しみとは?
例えば、人がある日ある時も突然に盲目となれば苦しむ。
しかし、生まれながらに全盲なら、
その両親が苦しむ事があっても…
当人は特に苦しむ事はない。
人は、それが当然の事だと受け止め・受け入れられれば、
そこに苦しみはない。
だから、神を信じ切れれば、苦しみは神が与えてくれたモノ。
それは、例え過去になくても、現在それがあるのは当然。
そう思えるなら、
その人にとっての苦しみは苦しみではなく、
普通の事となり得るのだろう。
でも…現代人が、そう簡単に神を信じ切れるモノではない。
それでも、苦しみの真っただ中の、その人が神を信じようと
もがき苦しむなら、それはそれで
「眼前の苦しみから逃れられ」、
「神を信じられない苦しみ」の中にいられる。
果たして、
「神を信じられない己の苦しみ」と「眼前の現実の苦しみ」と、
では、どちらが苦しいのだろうか?
目の前の息子の苦しむ姿を見る自分の苦しみより、
神を信じられない自分への苦しみの方が、耐えられる、のだろうか。