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新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

宗教について…

2018-10-21 16:57:35 | 想い思い考える

「宗教はアヘンである」とか、
「宗教は百害あって一利なし」とか、
色々は否定的に言われているが…

本当に、そうなのだろうか?

神を信じるとは?
信心とは?
何なのだろうか?

一般的に、宗教を求める人は、
苦しみの真っただ中にいて、
苦しみから逃れたい者である。

宗教で苦しみから逃れられる訳は?

そもそも…苦しみとは?
例えば、人がある日ある時も突然に盲目となれば苦しむ。
しかし、生まれながらに全盲なら、
その両親が苦しむ事があっても…
当人は特に苦しむ事はない。

人は、それが当然の事だと受け止め・受け入れられれば、
そこに苦しみはない。

だから、神を信じ切れれば、苦しみは神が与えてくれたモノ。
それは、例え過去になくても、現在それがあるのは当然。
そう思えるなら、
その人にとっての苦しみは苦しみではなく、
普通の事となり得るのだろう。


でも…現代人が、そう簡単に神を信じ切れるモノではない。
それでも、苦しみの真っただ中の、その人が神を信じようと
もがき苦しむなら、それはそれで
「眼前の苦しみから逃れられ」、
「神を信じられない苦しみ」の中にいられる。


果たして、
「神を信じられない己の苦しみ」と「眼前の現実の苦しみ」と、
では、どちらが苦しいのだろうか?


目の前の息子の苦しむ姿を見る自分の苦しみより、
神を信じられない自分への苦しみの方が、耐えられる、のだろうか。




コメント (2)
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