梅雨の雲間を縫って、海へ。
国道16号線を自転車で走る。
京浜急行と併走しながら一路南へ。
ここらの駅は個性的な名前を持つものが多い。
金沢八景、逸見(へみ)、安針塚(あんじんづか)など。
安針塚には、徳川家康の外交顧問ウィリアム・アダムス(三浦安針)の
墓所がある。
祖国を遠く離れたこの異国で、
かのイギリス人は何を思って生きたのか。
道はやがていくつものトンネルをくぐることになる。
いよいよ三浦半島の本体に差し掛かっているのだ。
山がちな三浦半島では、坂とトンネルがいたるところで見られる。
いくつかのトンネルを抜けると、急に光が差した。
海沿いのヴェルニー公園に出たのである。
公園の名は、海軍技術者として幕府に協力したフランス人にちなむ。
幕末当時、幕府の下で働いたフランス人は少なくない。
世界で覇権を競っていたイギリスとフランスは、
幕府をフランスが支援し、薩長をイギリスが支援することで、
静かに対立をしていたのだ。
公園には夏の陽が降り注ぎ、バラが咲き乱れていた。
しかし、その向こうには、旧帝国海軍の軍艦を称える数々の碑が並び、
さらにその先には、海上自衛隊の護衛艦と潜水艦が雄姿を浮かべていた。
そう、ここ横須賀は、海軍の街なのである。
カレー、スカジャン、小泉純一郎、hide等々、
横須賀が全国に発信したものは数多かれど、
この街のベースは海軍基地にある。
街を走ると、いたるところで米兵とすれ違い、
海の荒くれ者を相手にする飲み屋が並ぶ。
それが横須賀だ。
そんな海軍の街を離れて、海岸沿いを風と競争して走っていく。
群青の海を見渡せば、
ぽっかりと猿島が浮かび、
房総の山並みが柔らかな背景画を構成していた。
猿島は、伊藤博文の別荘が置かれ、
明治憲法の起草が行われた地だ。
聞くところによると、検討段階で憲法の草稿が盗まれ、
しかし、盗人にとって価値がなかったためか、
すぐに見つかったという。
道はやがて、海と森の境界を走りだす。
相模原近辺の16号は、典型的な地方国道の景色をまとっているが、
ここにはその気配はまったくない。
木漏れ日とセミの歌を浴びて走ると、
16号の終点はもうすぐそこだ。
いくつかのカーブを超えると、小さな入り江が姿を現した。
終点、観音崎である。
丘にそびえる白亜の建物は、日本初の西洋式灯台。
最新の設備が導入されたのは、
この地が軍事上の重要拠点だったからだろう。
東京湾は、ここ観音崎で最も幅が狭くなる。
首都東京を守るため、
敵国軍艦の侵攻をここで食い止める必要があったのだ。
事実、観音崎には、砲台の跡が多数残されている。
(続く)
国道16号線を自転車で走る。
京浜急行と併走しながら一路南へ。
ここらの駅は個性的な名前を持つものが多い。
金沢八景、逸見(へみ)、安針塚(あんじんづか)など。
安針塚には、徳川家康の外交顧問ウィリアム・アダムス(三浦安針)の
墓所がある。
祖国を遠く離れたこの異国で、
かのイギリス人は何を思って生きたのか。
道はやがていくつものトンネルをくぐることになる。
いよいよ三浦半島の本体に差し掛かっているのだ。
山がちな三浦半島では、坂とトンネルがいたるところで見られる。
いくつかのトンネルを抜けると、急に光が差した。
海沿いのヴェルニー公園に出たのである。
公園の名は、海軍技術者として幕府に協力したフランス人にちなむ。
幕末当時、幕府の下で働いたフランス人は少なくない。
世界で覇権を競っていたイギリスとフランスは、
幕府をフランスが支援し、薩長をイギリスが支援することで、
静かに対立をしていたのだ。
公園には夏の陽が降り注ぎ、バラが咲き乱れていた。
しかし、その向こうには、旧帝国海軍の軍艦を称える数々の碑が並び、
さらにその先には、海上自衛隊の護衛艦と潜水艦が雄姿を浮かべていた。
そう、ここ横須賀は、海軍の街なのである。
カレー、スカジャン、小泉純一郎、hide等々、
横須賀が全国に発信したものは数多かれど、
この街のベースは海軍基地にある。
街を走ると、いたるところで米兵とすれ違い、
海の荒くれ者を相手にする飲み屋が並ぶ。
それが横須賀だ。
そんな海軍の街を離れて、海岸沿いを風と競争して走っていく。
群青の海を見渡せば、
ぽっかりと猿島が浮かび、
房総の山並みが柔らかな背景画を構成していた。
猿島は、伊藤博文の別荘が置かれ、
明治憲法の起草が行われた地だ。
聞くところによると、検討段階で憲法の草稿が盗まれ、
しかし、盗人にとって価値がなかったためか、
すぐに見つかったという。
道はやがて、海と森の境界を走りだす。
相模原近辺の16号は、典型的な地方国道の景色をまとっているが、
ここにはその気配はまったくない。
木漏れ日とセミの歌を浴びて走ると、
16号の終点はもうすぐそこだ。
いくつかのカーブを超えると、小さな入り江が姿を現した。
終点、観音崎である。
丘にそびえる白亜の建物は、日本初の西洋式灯台。
最新の設備が導入されたのは、
この地が軍事上の重要拠点だったからだろう。
東京湾は、ここ観音崎で最も幅が狭くなる。
首都東京を守るため、
敵国軍艦の侵攻をここで食い止める必要があったのだ。
事実、観音崎には、砲台の跡が多数残されている。
(続く)