ぷちログ

12匹の猫と9人の大家族の、なんてことない日々の適当な暮らしを綴る。

心から尊敬した人

2010-09-21 16:40:13 | Weblog

先日、父親が他界した。
突然の事だった。
仕事中に姉から携帯電話がかかり、
父が階段から転落して意識不明のまま救急車で運ばれたと言う。
私は大事な仕事を、あと20分もあれば終わるところだったが
それを放置して病院へ駆けつけた。

1~2日もすれば意識も戻るだろうと甘い考えでいた
私たち家族につきつけられた医師の言葉は
「非常に残念なんですが、もう二度と意識が戻ることはありません…」

頭の中が真っ白になるというのを、初めて味わった。
突然すぎて何が何やら、感情がついていけない。
集中治療室で面会した父は、人工呼吸機のお陰で心臓が動いているだけで
いくら呼びかけても、手を握っても もう応答はなかった。

そのうち親戚の人々や父の仕事関係者などが
次々と病院へ駆けつけて来た。

そして朝方、父の容態が変化した。
医者に呼ばれて全員がICUの、父のベッドの周囲を囲んだ。
血圧が12とか14とか、見たことのない数字になっていて
医者の先生はもうこれ以上、人工呼吸機をつけていても
蘇生することはないので…とか何とか懸命に説明をするが
その言葉は見事に耳を通り抜けていく。
ただ、先生が父の命を繋いでいる人工呼吸機を止めるのだと
いうことだけは理解できた。
もちろん、私たち家族の同意の上ではあるが。

子供の頃から、私が一番恐れていたこと
それは父、もしくは母を失うこと。
その最も恐れていた瞬間がやってきたのだ。

でも私は父の最期をしっかり看取ってあげようと、
先生が人工呼吸機を止めるその瞬間も、
先生が父の眼に光を当てて瞳孔の動きを確認している時も、
時計を見て死亡時刻を確認する時も、
溢れる涙を拭いながら、見届けた。
母も、姉も、甥や姪も 目を真っ赤に腫らして泣いていた。

岡山の姉一家が到着したのは、父が亡くなってから
2時間後のことだった。
姉と、その双子の娘たちは父の遺体と対面するなり
大声をあげて号泣した。

みんな父のことが大好きだった。
穏やかで優しくて、私たち子供等は父に怒られたことがなかった。
(母にはよく怒られたが)
私たちきょうだいは、1人として父への反抗期がなかった。
いい歳した大人のくせに、いたずらやくだらない冗談が好きで
よくみんなを笑わせてくれた父だった。

私が遊び盛りの頃、朝帰りをした事があったが
父は私が帰るまでずっと起きていたのに、一言も怒らなかった。
それがかえって私を深く反省させ、
私は父を心配させるようなマネは二度としないと誓った。


この日は父と交流のあった懐かしい人々が次々と訪れ
大の大人の男性が、父の安らかな寝顔を見ては声をあげて泣いていた。
あぁ、父はこれだけの人たちに愛されていたんだなと
改めて誇りに思う。


そんな父へ。
今までお疲れ様でした。
本当にありがとうございました。
生まれ変わったら、また貴方の子供にさせてください。


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