ウィーンで研究留学!

以前はウィーンでの留学生活を綴っておりました。今後はクラッシック音楽を中心に細く長く続けていけたらと思っています。

遺伝子組み換え実験について~過剰な対応も無責任ではないか?

2008年04月16日 05時42分27秒 | 研究
神戸大学の話がはじめに出たときにどう考えても内部告発のようなのでなんというか気分が暗くなると同時に報道の不自然さに違和感を感じましたが、全学で遺伝子組み換え実験の停止と聞いて驚きました。今の時代遺伝子組み換え禁止と言われたらこの分野で実験なんて何も出来ません。自分で遺伝子導入をしたりしてなかったとしても細胞の培養なんかもだめなんでしょう、きっと。マウスとかどうするんでしょうか?もちろん問題の研究室での実験は停止されて当たり前と思いますが、学部も違うようなところでは本当に関係がないし、研究を停止されることによる被害は甚大でしょう。研究は基本的に国家予算にサポートされているわけですから、考えようによっては過剰な対応は莫大な研究費の正当な運用の妨害とも言えると思います。

法律で規定されていることは守らなければいけないことにはもちろんですし、私もそのようにしてきましたが、日本で実際遺伝子組み換え実験に関する法規制をどれくらいのレベルで各研究者が理解しているかどうかは正直疑問です。単なる遺伝子組み換えを大腸菌を使って行うことは現代的な研究をしているのであれば物凄く基礎的なことですが、それを行ううえでどのような危険性が考えられるからどのような対応をしなければいけないか、というような教育を大学で受けた覚えがありません。私は高校でP2レベル、P3レベルといった段階があって・・・というようなことを学んでいたので新味がなくて印象に残っていないだけかもしれないですが、少なくとも研究室に入って実験をするようになってから、放射性同位元素の扱いのような毎年の再教育のようなシステムは全くありませんでした。おそらく全国的にこのような状態だと思うので、管理体制に責任があるとすれば国のレベルで見直さなければいけないでしょう。そのようなことになるのではないかと思います。それで、ただでさえ雑用に抹殺されている日本の研究者の時間がさらに浪費されるようなことが無ければいいのですが。要は事務手続きでなく中身が大事です。

来訪者とのディスカッション

2008年04月16日 05時15分22秒 | Weblog
来訪者、と書きましたが要するに研究所でのセミナーに招待されたスピーカーのことです。

日本の大学や研究所で余りやらないことでこっちでとてもいいと思うことの一つに、セミナーのスピーカーとのディスカッションを誰でもできるということがあります。誰でも、というのは研究所内のすべての大学院生、ポスドク、グループリーダーを指します。

ちょっとわかりにくかったかもしれないですが、日本だと研究所に有名人が来てセミナーしたとしても、ホストの教授と直接関係のない学生やポスドクがその有名人と直接話をすることが出来るのはセミナーの直後に質問に行くくらいしかなく、あとは本当に内容がわかってるかどうか怪しいホストの先生のラボに行ってしまって食事にでも行ってしまう感じでしょう。今いるところでは、必ずではないにしてもほとんどのスピーカーについて、訪問の数日前に研究所内でアナウンスのメールがあり、希望を出せば30分から45分くらいの間、一対一で話すことが出来ます。多くの場合自分の研究の話を聞いてもらってアドバイスをもらったり、共同研究を申し込んだりします。私のように、要領よく英語で話が出来ないようなポスドクでも興味をもって聞いてくれます。自分の仕事に関連する分野のスペシャリストの意見を聞くことが出来ればそれは論文を出すときにも大いに参考になりますし、そこまで成熟していない仕事だったとしても方向付けをするうえで非常に参考になります。つまりこういう人は論文を出した場合にレフェリーになることも十分ありうるわけで、投げかけられた疑問は、論文を出したときにレフェリーに問われることと非常に近いのです。

もちろん外部の人間に自分の未発表のデータを話すことは危険と考えることも出来ます。実際疑心暗鬼になって、論文にするまで自分の仕事の話は絶対外には漏らしたくない、という人もいます。実際この前話を聞いてもらった人は「すごい面白い。どうもありがとう!もちろんあなたの話は他の人にはしないから大丈夫。私の周りにはあなたの競争相手になるような人は居ないしね。」と言っていましたから、逆に周りにべらべら話してしまう人もいるのでしょう。しかし上記のメリットに加えて、サイエンティストにとって、自分の研究の最新の話を題材にディスカッションすることは最も大きな喜びの一つです。相手が一流の研究者であればなおさらです。もちろん論文にした後にいろんなところで発表することは出来るしやらなければいけないのですが、既に論文になってストーリーが出来上がっている話と、最新のデータに基づいてさまざまな可能性を模索するような話はある意味全く別物です。そういった題材を同じ研究室の仲間としか話し合えないのではどうしたって視野が狭くなります。

日本の大学の研究室だと、学生が面白いデータを出しているのに、その本当の面白さを指導教官が理解することが出来ないなんて状況はいくらでもあるわけですが、日本のシステムだと、隣の研究室の教官とすら生データをもとに話しあうことは難しいでしょう。それどころか学生が別のラボで自分の研究の話をしてアイデアを得てしまったりすると気分を悪くするようなボスもいるような気がします。そんなことを考えると日本には素晴らしい研究が沢山あるけれど、本当にサイエンスをするという土壌がまだ根付いていないような気がします。

留学する前のラボでは地方にもかからわず結構頻繁に有名な先生方を招いていましたが、ほぼ毎回ラボのメンバーが仕事のプレゼンをさせられましたので、ある意味進んだ考えをもっていたと言えますが、やりたいやりたくないに関わらず強制的だったのと、一対一ではなくてラボのメンバー全員が参加するラボセミナーのような形を取っていたのが大きな違いです。やはり一対一だと自分の言葉で話が出来るし、招かれた先生も比較的にリラックスして率直な意見をくれるのではないかと思いますが、まあそれをさせてもらえないのは信用されていないということなのでしょう。相手が有名な先生だし、日本では普通のやり方でないことをするとかどがたちますからそれも仕方がありません。