黄昏時になんとなく

I live my life my way

きっと忘れない・・・あの日

2010-12-14 07:25:37 | 日記
今日は休日

久々に尾崎豊のライブ映像を見て興奮冷めやらぬ状況です

私が尾崎を初めて聴いたのは中学生のとき
彼は当時 拘置所にいて復帰まもなく東京ドームでライブをやり生涯最初で最後のテレビ出演をした時期でした

私が最初に心揺さぶられた曲は「卒業」
当時カセットテープを擦り切れるまで聴いて半年も経たないうちにテープが駄目になった記憶があります


ですが当時同級生で尾崎について語れる友人がおらず 内に秘めていました
確か当時はバンドブームの真っ只中 クラス中がプリプリだ ジュンスカだ バクチクだ と熱を上げていて
尾崎の名を知っている人は少なかったような・・・それともあまり公にしていなかっただけで実は当時隠れファンはいたのでしょうか

現に当時卒業式の答辞で「あと何度自分自身 卒業すれば・・・」と歌詞をそのまま使っていた人もいましたから

私は高校に入ると尾崎の自伝的小説も購入していましたが 周りのクラスメイトはあまり関心を持っていませんでした


そして忘れもしません1992年の3月

当時高校1年生でしたが6月に鹿児島でツアーをやることになり 私はチケットを購入しました
そしてライブ当日まで楽しみにしていたんですが・・・尾崎と逢えることはありませんでした

4月の終わりに突然別れがきました

当時私は高校2年に進級していましたがあれはたしか土曜日の夕方の出来事
学校から帰宅した私に母が告げました


そう それは彼があの世に旅立った知らせでした



その瞬間 私の中の何かが壊れた音がしました
信じられなかった私は テレビのニュースを目を凝らして観ていました

しばらくして尾崎の訃報のニュースが

チャンネルを変えて別のニュースを観たら同じように彼のニュースを報じていました


・・・信じたくなかったけどそれが現実でしたね・・・

それからその日 何もする気が起きませんでした
気持ちを落ち着かせるため 音楽をかけようとしたのですが尾崎のCDのジャケットを見ると思わず手が止まりました

それから一ヶ月は彼の曲は聴けませんでした 心のどこかで受け入れられない自分がいたんです

ある日何かのきっかけで・・彼の遺作となったアルバム「放熱への証」の収録曲「汚れた絆」のメロディーを耳にしました


いつかまた出逢えるさ 俺たちを止めるものはなにもない


尾崎と鹿児島の地で出逢えるのを楽しみにしていたのですが・・・また出逢える・・・?

何かの衝動に駆られて アルバム「放熱への証」をかけてみました

今までは魂の叫びの歌が多い印象でしたが やさしい歌がそこにありました
魂の叫びに心を揺さぶられていた私でしたが このアルバムは尾崎の歌声が包み込んでくれました

それからは前回 文章を記したように人生のターニングポイントにおいて尾崎の曲に励まされてきたんです


そんな私も 自称 三十路の紳士ww

今日見たライブ映像で 最後に尾崎は「また会いましょう」と観客に語っています

今 私の心の中ではあの日の尾崎にいつでも逢えているようです

尾崎はライブ映像で 夢をみているかいと語っていますが

自問自答してみて 今の私にははたしてあるでしょうか
日々の仕事に忙殺されていないでしょうか


・・・まあネガティブになっては体に良くないんで 今日明日の連休を楽しみましょう


気持ちだけは16のあのときに戻っている今日この頃です