黄昏時になんとなく

I live my life my way

猛牛去りゆく 中編

2010-03-21 05:24:46 | 日記
今回もバッファローズ談義です

1989年の日本シリーズは3連勝の後に4連敗をして日本一を逃しました。

4戦目で近鉄を完封したのは香田勲男投手。後に彼がエース阿波野とのトレードで近鉄に来るとは誰が予想したでしょう

奇しくも香田投手は2001年の日本シリーズに近鉄の選手として登板しています


前回の江夏の21球しかり 巨人に逆転の日本一を許したこの年しかり

日本シリーズの勝利の女神は一度もバファローズには微笑んでくれませんでした


そして1990年 日本人メジャーのパイオニア 野茂英雄の入団

4年連続最多勝 実績は申し分ありませんでした


当時のパ・リーグ名勝負で野茂vs清原の対決は見応えありました


ですが私が印象に残っているのは

確か1990年のオールスター戦で


現在中日監督の落合選手が野茂の渾身のストレートをバックスクリーンに叩き込んだ対決

テレビで観ていて武者震いしました


その後 彼がアメリカに渡ってからの活躍は私が述べるまでもありません


野茂投手がメジャーに行ってから私は近鉄をあまり観なくなったのですが


願わくは一度 藤井寺か日生球場で近鉄の公式戦を観戦してみたかったです


1997年の夏に初めて大阪ドームを訪れたのですが

実はこの時劇的なドラマを見逃してしまったんです…


私が観戦したのはロッテ戦 当時はこの2チーム最下位争いをしていました

私が観戦したのは3連戦の第2戦。実は第3戦が劇的な試合だったんです


大阪ドームで起こった大逆転劇


その試合は2回終了時点で10対0でロッテがリードしていました

あまりの不甲斐ない試合内容に近鉄応援団は怒りを露にし 横断幕を逆さに吊るし応援をボイコットしたそうです

それに発奮した近鉄ナイン 3回から徐々に反撃を開始し5回終了時点で10対6

7回で10対9

そして9回裏にはついに同点に追い付きました


延長戦に入りましたが当時のパ・リーグの規定では12回まで

12回裏ツーアウトランナー無しでで10対10

引き分け濃厚かと思われましたが

そう バッファローズはドラマチックなチームなんです

ここからまた攻撃を開始しました

総力戦なので選手を使いきっていたので 投手を代走に送り

二死満塁

そしてクラーク選手の右中間フェンス直撃のサヨナラ安打!!


この日は午後4時試合開始でしたが終了は午後9時前


まさに劇的な幕切れでした


私もこの試合の前には大阪にいたのに… と悔いが残りました


今回の近鉄談義はここまでです

次回は 劇的なリーグ制覇とプロ野球再編問題についてです