愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題 313 飛蓬-166 梅が香を 夢の枕に 他一首 三代将軍・源実朝

2023-01-02 14:32:30 | 漢詩を読む

読者の皆さん 明けましておめでとうございます。昨年は慌ただしい年でした。安寧な世界を念じております。源実朝の歌の漢詩訳に挑戦しています。

 

  『金槐和歌集』から、春の訪れを告げる梅花の“花便り”に関わる源実朝の歌2首を漢詩にしてみました。一首目は、快い春眠の枕辺に“暗香”が漂い、私の目覚めを促し、安眠を妨げているよ と。春の訪れを喜ぶ想いを逆説的に訴えているようです。

  二首目は、梅の花はやっと咲いたが、相棒の鶯が未だ来ないよ。何故だ?早く来て、春の歌声を聞かせてほしい、と催促しています。「這えば立て 立てば歩めの親心」に近く、快い春の訪れを待ちわびる想いでしょうか。

  これら実朝の歌を口ずさむ間、王安石の「梅花」の情景が重なってきました。第二首目は、「梅花」の韻を借りた漢詩となりました。参考までに、末尾に「梅花」の詩の解説を添えました。

oooooooooooooo 

 [詞書] 梅の花、風に匂うということを、人々によませ侍りしついでに 

梅が香を 夢の枕に さそひきて 

     さむる待ちける 春のはつ風  (『金塊和歌集』巻上・春・15)

 (大意) 梅の芳しい香りが春の初風に乗って運ばれてきて、私の春の夜の夢

    の枕辺で漂っている、あたかも私の目覚めるのを待っているようである。

 

<漢詩> 

  妨碍春眠花訊    春眠を妨碍(サマタゲ)る花訊(カシン)    [上平声一東韻 ]

梅花若開前院中, 梅花 開いたが若(ゴト)し 前院の中(ウチ), 

隨風夢枕暗香籠。 風に隨(シタガ)いて 夢枕に暗香(アンコウ)籠(コモ)る。 

有如等待人覚醒, 人の覚醒するを等待(マツ)が如(ゴト)く有り, 

送馥正是春初風。 馥(フク)を送るは 正(マサ)に是(コ)れ春の初風。 

 註] ○妨碍:妨げる; 〇花訊:花だより; 〇暗香:どこからともなく漂

    ってくる梅花の香り; ○籠:こもる、こめる; 〇等待:待つ; 

   〇馥: ふくよかなかおり。

<現代語訳> 

  春眠を妨げる花だより 

前庭の梅の花が咲きだしたようである、そよ風に運ばれてきたか、夢の枕辺に微かな香りが満ちている。私が目覚めるのを促しているようだ、その香りを送っているのは春の初風なのだ。

<簡体字およびピンイン> 

   妨碍春眠花讯     Fáng'ài chūn mián huāxùn

梅花若开前院中, Méihuā ruò kāi qián yuàn zhōng,    

随风梦枕暗香笼。 suí fēng mèng zhěn àn xiāng lóng

有如等待人觉醒, Yǒu rú děng dài rén jué xǐng,  

送馥正是春初风。 sòng fù zhèng shì chūn chū fēng

 

xxxxxxxxxxxxxxxx  

  [詞書] 梅の花咲けるところをよめる

わがやどの 梅の初花 咲きにけり 

  待つ鴬は などか来鳴かぬ  (『金槐和歌集』 巻上・春・13) 

 註] 〇などか:どうして……か、疑問。下に否定が来る。

 (大意) 私の家では最初の梅の花が咲いたよ。待ち望んでいる鶯は、どうし

    て来て鳴かないんだ。  

<漢詩>

  和王安石 梅花

   盼望鶯来啼  鶯の来(キ)啼(ナ)くを盼望(マチノゾ)む [上平声十灰韻]  

我宿初花梅、 我が宿の初花の梅、 

忍寒到底開。 寒を忍んで到底(ヤット)開く。 

鶯啊翹首盼, 鶯(ウグイス) 啊(ヤ) 翹首(クビヲナガク)して盼(マチノゾ)むに, 

為何未来陪。 為何(ナニユエ)に未(イマ)だ来て陪(バイ)せぬか。 

 註] 〇盼望:待ち望む; 〇到底:とうとう、やっと; 〇啊:感嘆詞、

  よ!、や!、問い詰める意; 〇翹首:首を長くして、頭をもたげて; 

  〇為何:何故に; 〇陪:お付き合いする、此処では期待に応えて“鳴く”こと。 

<現代語訳> 

  王安石・梅花に和す  鶯の来て鳴くを待つ 

我が家の初花を付けた梅の木、寒に耐えて来て やっと初花が咲いたよ。鶯よ! 首を長くして待ち望んでいるというのに、何故に未だに来て鳴いてくれないのだ。

<簡体字およびピンイン> 

  盼望莺来啼    Pànwàng yīng lái tí

我宿初花梅, Wǒ sù chū huā méi

忍寒到底开。 rěn hán dàodǐ kāi 

莺啊翘首盼, Yīng a qiáoshǒu pàn,

为何未来陪。 wèihé wèi lái péi. 

 

oooooooooo  

  梅花     王安石   [上平声十灰韻] 

墻角数枝梅, 墻角(ショウカク) 数枝(スウシ)の梅, 

凌寒独自開。 寒(サム)さを凌(シノ)ぎて 独自(ヒトリ)開く。 

遙知不是雪, 遙かに 是(コ)れ雪にあらざるを知るは, 

為有暗香来。 暗香(アンコウ)の来る有るが為なり。 

 註] ○墻:塀、壁; ○為有:…があるためである;  

<現代語訳> 

庭の塀の角に、数本の梅が寒を凌いで白い花を咲かせた。遥か遠くからも、それが雪ではないと分かるのは、どこからともなく漂ってくる香りがあるからだ。 

                   (白梅雪 『詩境悠游』に拠る)

<簡体字およびピンイン> 

   梅花         Méi huā

墙角数枝梅, Qiáng jiǎo shù zhī méi,

凌寒独自开。 líng hán dú zì kāi.

遥知不是雪, Yáo zhī bù shì xuě,

为有暗香来。 wèi yǒu àn xiāng lái.

xxxxxxxxxxxx  

 

  王安石(1021~1086)は、地方官を歴任後、朝廷に入り、宰相に至る。北宋の人、 “新法党”の領袖として大胆な政治改革を断行し、伝統を重んじる“旧法党”と対立する。のちに隠棲して著述に専念する。

  蘇軾(1036~1101)は、後輩に当たる。「安石の改革は急進に過ぎる」との立場の“旧法党”であったため、睨まれ、投獄や度重なる左遷の憂き目に遭わされている。詩文化の面では、両者は肝胆相照らす(?)関係であったようである。ともに唐宋八大家に数えられている。

 

歌人・源実朝の誕生 (7) 

 

 『金槐和歌集』の成立後の作歌活動は、明らかに緩やかになっている。京都歌壇の活動は、『後鳥羽院秋十首歌合(ウタアワセ)』および『後鳥羽上皇四十五番歌合』の記録を、それぞれ、1214および1215年に入手し、後鳥羽院との関係は密に保たれている。

  お膝元の鎌倉でも、『観桜和歌会』(1217)、や右大臣就任に伴う昇任祝いの和歌会(1218)も催されている。しかし活発な作家活動を思わせる記録は見当たらない。

  因みに、『金槐和歌集』の“定家所伝本”と“貞享(ジョウキョウ)四年本”の歌数差(56首)を、単純に同集成立(1213)後、没する(1219)までの6年間に作られた歌数と仮定した時、本格的な作歌開始(1206)から同集成立までの7年間の歌数(663首)に比較して極端に少ないことが解ります。

  恐らくは“政務”に忙殺される日々であったのでしょうか。最近の研究によれば、随時随所で的確な政治的判断がなされていたことが明らかにされているようである。さればこそ、周りから煙たがれる存在となっていったのでしょう。

  正岡子規は、《……あの人をして今十年も活(イ)かして置いたならどんなに名歌を沢山残したかも知れ不申候。……》と、『歌よみに与ふる書』の巻頭で、嘆息し、書いている。

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