『山家集』中、義清(ノリキヨ、西行)が、“出家”の志を初めて仲間たちに吐露した歌 ( “空になる心は春の”:閑話休題449)に続いて載せられてある歌2首です。並べて読みます。
これまでに迷い、葛藤も随分と語られてきて、“出家することこそ 身を助ける手立てなのだ”と詠っていました(前回)が、第2首で、「きっぱりと出家を果たしましたよ」と宣言しています。第一首では、少々未練が残っているように読めます。「せめて“世を厭(イト)い憂き世を捨てた人だったよ”と名だけでも残したいものである」と。
<和歌-1>
世を厭(イト)ふ 名をだにもさは とどめ置きて
数ならぬ身の 思い出にせん [山家集724]
<和歌-2>
世の中を そむき果てぬと 言ひおかむ
思いしるべき 人はなくとも [山家集726]
和歌と漢詩
ooooooooooooo
<和歌-1>
[詞書] “空になる心は春の” の詞書と同じく、[世にあらじと思い立ちける こころ、東山にて人々、寄霞述懐と云(イフ)事をよめる]
世を厭ふ 名をだにもさは とどめ置きて
数ならぬ身の 思い出にせん [山家集724], 新古今集十八
[註] 〇いとふ=厭ふ:出家する; 〇名:名声、評判; 〇さは留めおき て:そのように後の世に留めておいて; 〇思い出:人に思い出しても ら おう、又は自分の思い出にしよう。ここでは前者の意をとった。
(大意) あの人は世を厭(イト)い浮き世(憂き世)を捨てた人だったよと、名前だ けでもこの世にとどめおいて、ものの数にも入らないこの我が身(名)を 人々に思い出してもらうようにしよう。
<漢詩>
依恋現世 現世への依恋 [上平声六魚韻]
志願捨身草茅廬, 身を捨て、草茅(クサ)の廬(イオリ)に住むを志願(ノゾ)み、
留下至少此嘉誉。 至少(セメテ) 此の嘉(ヨ)き誉(ヒョウバン)を留下(トドメオ)くようにしよ う。
雖是我身微不算, 我身は微不算(モノノカズ)でないと雖是(イエド)も,
作為憑借懷起余。 余を懷起(オモイオコ)す憑借(ヨスガ)と作為(ナ)さん。
[註] 〇留下:留めおく; 〇至少:せめて、少なくとも; 〇嘉誉:“身を 捨てた”という喜ばしい評判、“誉”は両韻語; 〇微不算:小さく物の数 でない; 〇作為:~として; 〇憑借:よすが、手がかり;
<現代語訳>
現世への未練
出家して草庵に棲むことを望む、
せめて此の“出家を願う人であった”という評判は、留め置こう。
我が身は物の数ではないにしても、
私を思い起こす手がかりとなるように。
<簡体字およびピンイン>
依恋现世 Yīliàn xiànshì
志愿舍身草茅庐, Zhìyuàn shě shēn cǎo máo lú,
留下至少此嘉誉。 liú xià zhìshǎo cǐ jiāyú.
虽是我身微不算, Suī shì wǒ shēn wéi bù suàn,
作为凭借怀起余。 zuòwéi píngjiè huái qǐ yú.
<和歌-2>
[詞書] 世を遁れけるをり、ゆかりありける人の許へ言ひおく
世の中を そむき果てぬと 言ひおかむ
思いしるべき 人はなくとも [山家集726] 新後拾遺十七
[註]〇ゆかりありける人の許へ:俗縁のあった人の許へ。どのような人か 未詳。
(大意) 世を背き切ったと言い残そう、自分の振舞いをわかってくれる人は 無いにしても。
<漢詩>
给関係人留下 関係人に留下(トドメオク) [上平声十一真韻]
果断最近從世遁, 果断(カダン)に、最近 世 從(ヨ)り遁(カクレ)る,
欲留言給関係人。 関係のある人に留言(カキオキヲノコ)そうと欲(オモ)う。
誰能理解我胸臆, 誰か我が胸臆(ムネノウチ)を理解し能(ウ)るであろうか,
比喻無人領会臣。 比喻(タトイ) 臣(ワタシ)を領会(リカイ)する人が無(ナ)くとも。
[註]〇関係人:所縁のある人; 〇果断:きっぱりと; 〇留言:書置き を残す; 〇胸臆:胸の内; 〇比喻:たとえ; 〇領会:理解する。
<現代語訳>
所縁ある人に書き置く
最近 きっぱりと出家を果たした、
この旨 所縁ある人に書き遺したく思う。
誰か私の胸の内を分かってくれる人がいるであろうか、
たとえ、解ってくれる人はいなくとも。
<簡体字およびピンイン>
给关系人留下 Gěi guānxì rén liú xià
果断最近从世遁,Guǒduàn zuìjìn cóng shì dùn,
欲留言给关系人。yù liúyán gěi guānxì rén.
谁能理解我胸臆,Shuí néng lǐjiě wǒ xiōngyì,
比喻无人领会臣。bǐyù wúrén lǐnghuì chén.
ooooooooooooo
義清は、保延六(1140)年十月十五日(23歳)に出家、法名は円位、西行・大宝房と号する。なお“円位”という名は、心に月輪(ガチリン)、すなわち“満月” を想う真言密教の用語であるという。
【井中蛙の雑録】
〇西行の活動・活躍について、陸奥行きなど長旅に先立つ時期は、“出家前後”として論じられているようである。出家の時点を挟んで、この時期の歌には、義清から西行へと成長する、多岐に亘る面からみた西行の人間像に接することができ、興味を惹く歌が多く、“漢詩化”にも力が入ります。
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