愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題12 漢詩を読む 賀知章「年とってふるさとに帰る」(1)

2015-08-16 16:34:13 | 漢詩を読む
  賀知章

回郷偶書 二首   郷(キョウ)に回(カエ)りて 偶(タマ)たま書す

  其一
少小離家老大回   少小(ショウショウ) 家を離れて 老大にして回(カエ)る
郷音無改鬢毛催   郷音(キョウイン) 改まる無く 鬢毛(ビンモウ)催す
児童相見不相識   児童 相(ア)い見て 相い識(シ)らず
笑問客従何処来   笑って問う 客(カク)は何処(イズコ)より来たると

現代訳
  若いころに故郷を離れ、年をとって帰ってきた。
  お国なまりは昔のままだが、髪の毛は白さを増した。
  子どもたちは私と出会っても、顔見知りでないので、
  ニコニコしながらこう問いかけてきた、
   「お客様は、どちらからいらっしゃったのですか」
     [石川忠久 監修『NHK新漢詩紀行 ガイド』5, 2010;92ページより]

[私感]
故郷に帰って、見知らぬ子らに会うと、実際に「お客さんはどちらからきたの?」と声に出して問われることはない。しかし、今にも「あんた誰?どこから来たん?」と言いたそうな、胡散臭そうな目つきで睨んでいることは確かである、と感じてきた。そのたびに賀知章のこの詩を思い出すのである。

筆者が社会に出たのは、池田勇人総理の「所得倍増計画」が打ち上げられた’60年代である。その後、実際に目に見える形で社会が‘進歩している’ように感じられた。やはり経済的な変化が著しく、人の活動も‘エコノミック アニマル’という語が生まれるほどに活気に満ちていた。

科学技術の面では、欧米技術の模倣の時代があり、‘銅鉄主義’という語も生まれた。TVも普及し始め、“アメリカ生まれ”、“ドイツ生まれ”の製品というCMが耳目によく触れた。やがて、‘オリジナルな’技術の開発に力を注ぐ時代を迎え、“欧米に追い付け、追い越せ”の勢いが風となっていく。今日、我が国は、‘グローバル’な世界で冠たる位置を占めるに至っている。

その間、一時期、若い力は、“金の卵”として地方から中央の都会へ‘集団就職列車’で運ばれた。今日、さすがに‘集団就職列車’は昔語りになったが、地方から中央への人の動きは加速されている感がある。日本の人口は、総じて減少傾向にありながら、中央・都会ではむしろ増加しており、地方での減少が著しいのである。

筆者の故郷は、鹿児島の田舎である。かつては道路といい、ちょっとした広っぱでは子供たちが群れを成して、騒いでいたものである。今日、故郷に帰っても、広っぱで遊ぶ子供に出くわす機会が非常に少なくなった。小学校、中学校の統廃合も進められている。全国規模の現象である。世の流れに掉さしてここまで辿り着いて、振り返ってみると、旧新の変容の大きさに驚かされるのである。(つづく)

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ビデオ紀行 7 「カナダ ハイライト8日間」7 最終章ビクトリア

2015-08-06 14:39:21 | 旅行
5日目の午後、カルガリーからロッキー山脈を越えてバンクーバーへ約1時間半、1時間の時差。バンクーバー空港に着くと、トロント空港やカルガリー空港でもあったように、時計の時針を再調整するよう添乗員のお声がかりがある。筆者は、短期間滞在の旅行の場合、時計そのものの時針の調整をしたことがなく、この旅行でもそうであった。時差への対応は、‘架空の文字盤’を自分の頭の中で設定することにより行っている。1時間単位の時差の場合は、特に支障なく対応できる。

6日目の主な観光は、フェリーでビクトリア(Victoria)に渡り、市内ブッチャート ガーデン(Butchart Garden)訪問、およびオプショナル ツアーである馬車によるビクトリア インナーハーバー巡りとクレイクダロック城(Craigdarroch Castle)訪問であった。

ブッチャート ガーデンでは、22ヘクタール(約7万坪)という広大な敷地内に沈床庭園(サンクン ガーデン Sunken Garden)や日本庭園など6区域の、庭師により整備された庭園の他、多くの憩いの場が設けられている。中でも特徴的なのは沈床庭園で、この敷地の持ち主、ロバート ピム ブッチャート(Robert Pim Butchart)が経営するセメント工場(1904、設立)でのセメントの原料である石灰岩の採石場跡ということである。採石跡の盆地状(沈床)の荒れ地を整地して花を植え、また住まいとの間に植樹を行ったのが始まり(1908)で、そこの整備は奥方ジェニー(Jennie)の仕事であったようである。以後、後継者が節目節目で新しい施設・設備を整えていき現在に至っている。なお100周年(2004)には、‘カナダ国家史跡’として指定されている。

庭園内を散策していると、微風に乗ってほのかに甘い香りが漂ってきた。何度となく。観光客の香水の香りか と疑い周りを見渡しても、心当たりはない。ブッチャート庭園の中の一区域にバラ園がある。見事なバラ園であり、諸種のバラが咲き誇っていた(写真1)。甘い香りの基が気になり、バラのトンネルを通りつヽ周りの各種のバラの花に顔を近づけて香の基を探ったが、突き止めることはできなかった。きっと園内のバラが基であろうと思ってはいるが。

写真1(バラのトンネル)

イタリア庭園の側にGelateria(ジェラテリア?)という休憩所があった。軒下のテーブルに坐を占め、ソフトクリームを注文して舐めた。午前中ずっと庭園内を散策していたためでもあろうか、本当に美味であった。帰国後英語辞書に当たってみると、“gelato”とは、“イタリア風アイスクリーム”とあった。“イタリア風アイスクリーム”を標榜するお店であったのだ。

実は、当日の昼食は、元ブッチャート家の食堂であったというレストランで英国式アフタヌーン テイーが予定されていた。3段組合せの皿(写真2)に2人分のパン、ケーキやアイスクリームなどが盛られていて、ダベリを楽しみながら、紅茶とともに頂くのである。ソフトクリームを食した後であったためか、平らげることはできなかった。但し、もとより量が多く盛られていて、残った分は持ち帰り可能で、そのための紙小箱は予め用意されていた。

写真2(アフタヌーン テイーを楽しむ)

午後はオプションで、まず馬車によるインナー ハーバー観光である。ブリテイッシュ コロンビア州議事堂前を出発して約30分間(写真3)。ゆったりとした4人乗りの馬車に揺られていく、ポコッポコッ、ポコッポコッ とアスファルト道をヒズメの音がリズムよく響き、バスで回るのとは一味は違う。道の両脇に見える民家の造りは印象的であった(写真4)。御者は現地ガイドの役目も果たしており、その説明によると、外観は1860年代に入植した当時の造りのままである と。内装は住人が改装してもよいが、外観を変えることは相成らんとの規則がある と。やはり、これら街並み・建物も観光資源の一つであるということであろう。

写真3(馬車に揺られて)
写真4(入植当時の造りの民家)

次の観光スポットはクレイクダロック城(Craigdarrhoch Castle)(写真5)。“Castle”(お城)となっているが、実際は、炭鉱を堀り当てて財をなしたロバート ダンズミューア(Robert Dunsmuir)個人所有の大邸宅であった。敷地面積約2,300m2、4階建て、39室からなるという。1887-1890年に建設されたが、主人のロバートは、その完成を見ずに亡くなっている(1989)。後、奥方のジョアン(Joan)および息子たちが完成させ、1908年まで住んでいたようである。以後、他の個人所有、軍病院、ビクトリア カッレッジ、ビクトリア音楽学校校舎等を経て、1979年以来、歴史博物館協会が管理しており、1992年に‘カナダ国家史跡’に指定されている。

写真5(クレイクダロック城)

目下、かつてダンズミューア一家が住んでいた状態への内装の復元が進められているようである。日常生活に必要な設備ばかりでなく、ステンドグラスの飾り窓、ビリヤード室、ダンス ホール等を備えた、まさに大邸宅であり、今様の“複合○○施設”を思わせる。なお、建設資材のグラナイト(御影石)はブリテイッシュ コロンビアから、タイルはサンフランシスコから、また予め整形された階段などの板材はシカゴから貨車xx台で運んだ、など語り継がれているようであり、いかに豪勢であったか伺い知れる。

“ボナンザ キャッスル(bonanza castle)”という言葉があることを知った。”bonanza”とは、ラテン語のボーナス(bonus)に由来するようで、[富鉱帯、大当たり、(思いがけない)福運]の意味を有する。つまり“bonanza castle”とは、 “鉱脈を当て、財をなして建てた大邸宅”を意味するようである。

19-20世紀にかけて、北米大陸で開拓・開発が進む中、建設資材やエネルギーへの需要が増し、その流れで富を得た人々。ロバート ピム ブッチャート、ロバート ダンズミューアともにスコットランドから移住して、それぞれ石灰岩採掘場の発見からセメント工場経営、石炭の鉱脈の発見から採炭業の経営へと発展させ、夢を叶え、また歴史を作った人々と言える。

終わりに
このツアーは、幸運の重なった旅行であった。まず8日間、毎日好天に恵まれたこと。添乗員や特にナイアガラおよびロッキー周辺についての現地のガイドさんなど、当を得た案内をして頂いたように思う。また帰路バンクーバーより関空への直行LCC便、5月より就航とのことであった。かねて「LCCはサービスが…..」と聞いていた中で、思いのほかのサービスを提供してもらった。天に、ツアーのスタッフに、またバンクーバー・関空便のスタッフの方々に感謝致します、とともにそれぞれの機関のますます繁盛・発展されることを願っています。

筆者が参加したツアーの概略スケジュールは次のようであった。(月日・曜は現地時間)
1日目(6/24・水)伊丹→羽田→トロント(移動) (バス)→ナイアガラ
2日目(6/25・木)ナイアガラ、ナイアガラ‐オン‐ザ‐レイク観光
3日目(6/25・金)トロント→カルガリー(移動) (バス)バンフ 観光
4日目(6/27・土)カナデイアン ロッキー 観光
5日目(6/28・日)カナデイアン ロッキー 観光
カルガリー→バンクーバー(移動)
6日目(6/29・月)(フェリー)→ビクトリア 観光
7日目(6/30・火)バンクーバー市内観光 
バンクーバー→(関空)(移動)
8日目(7/1・水)関空 帰着
(「カナダハイライト8日間」完)
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