そろそろ義清(ノリキヨ、西行)の胸の内に“出家”の思いが具体的になりつゝあるようです。“心”は已に“身”から離れて憂き世を去り、山奥を彷徨している。一方、“身”は、未だ塵埃にまみれた憂き世に留まっている よと。
山深く 心はかねて おくりてき
身こそ憂世(ウキヨ)を 出(イデ)やらねども
西行の歌を読むと、“心”と“身”とを別次元の事象として捉えている例に、多々遭遇します。世を捨て出家して、修行の道に入り、精進を積もうとする人にとっては、やはり“心”と“身”の問題は中心となる課題なのでしょう。
和歌と漢詩
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<和歌>
述懐十首
山深く 心はかねて おくりてき
身こそ憂世を 出やらねども [山家集1504;述懐十首から]
[註]〇山家集中、「述懐十首」の2番目に挙げられた歌である; 〇かねて:以前に、かつて。
(大意) 身こそはまだ憂き世を出ていないけれども、心はすでに世を捨てて山の奥に入ってしまった心地だよ。
<漢詩>
出家決心 出家の決心 [上平声十五刪韻]
心已脱開世, 心は已に世を脱開(ダッ)している,
還如入深山。 還(ヤハリ) 深山に入ったようである。
身躯才照旧、 身躯(身体)は才(ソレコソ) 照旧(アイカワラズ)に、
住在現塵寰。 現(ゲンセ)の塵寰(ジンカン)に住在(トドマリス)んでいるが。
[註]〇脱開:脱する; 〇才:それこそ…だ; 〇照旧:相変わらずである; 〇塵寰:この世、俗世。
<現代語訳>
出家の決心
心は已に世を捨てており、
やはり山奥に入った思いである。
身は それこそこれまで通りに、
現世の塵に汚れた世の中に棲んでいるのだが。
<簡体字およびピンイン>
出家决心
心已脱开世, Xīn yǐ tuō kāi zī,
还如入深山。 hái rú rù shēnshān.
身躯才照旧, Shēnqū cái zhàojiù,
住在现尘寰。 zhù zài xiàn chén huán.
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本歌では、義清は、“出家”すべきか否か の迷いの中にあって、まず“心”は “決心”して“世を捨て”、それを追いかけるように“身”も“世を捨て”ようという段階にある。つまり“心”と“身”とは“遊離した”存在である と考えているようである。この“心”と“身”とが別次元にある状態を先人たちは、「遊離魂感覚」と称している と、筆者は理解(誤解?) しています。
このような考えは、万葉の頃の歌でも見られるという。歌人の深く、且つ鋭い“洞察力”にはむしろ驚きの感を覚えます。ましてこの問題を中心課題として捉え、義清は、31文字の中に歌い込み、問題を提起しているようにも見える。
「頭の体操」の積りで、“遊離魂”に関連して、以下の如く考えてみました。
今日の“動物(人を含む)”についての生物学研究結果の知識を基に考えるなら、凡そ次のように理解・解釈できるのではないでしょうか。
五感で得た外界からの情報は、大脳皮質の一部“感覚領域”で受け取られ、先に入手され海馬(タツノオトシゴ)に貯蔵されている情報に参照され、その結果は大脳皮質の“運動領域”に伝わり、身体への命令が形成されて身体各部に伝わり、体の反応・行動として外に表現される。
即ち“心”とは、“外界からの情報入手から、身体の行動に至る情報処理の全過程”を言い、その過程では、“志”、“考え”、“思い”、“悩み”、判断、“決断”……、と、脳内では激しい活動・葛藤が展開されて、“心”として表現される。但し、この過程の詳細は現代においてもなおblack-boxの中と言えますが。
一方、“身”は、“心”の指示に従い動き、“心”のコントロール下にある“構造体”であり、主体性があるとは言えそうにない。ただ歌の表現にあっては、“身”が、“構造体”と“心”の両者を含んだ“全体像”を意味する場合が多々あり、注意を要することである。例えば、「身は斯く思う」の場合がそうと言える。
“心”と“身”の関係をこのように捉えて、義清(西行)の歌を理解してみたいと思っております。
掲歌にあっては、≪詠っている“人・義清”自身は、“全体像”であり、歌の外にいて、鳥瞰的に“自身”を見ており、“心”は抜けたが、“身”は留まったままである≫と 自らを観察していることになる。
≪呉竹の節々-x≫ ―世情― (休題)
【井中蛙の雑録】
〇 恋の相手として、“待賢門院”の可能性は? 義清には、恋の歌が多く、しかもその多くが思いを果たせないという悩みの内容である。後の世では、その相手として、“待賢門院”を擬する考えが多く、現代に至るもなお物語の主題として取り上げられている。
鎌倉中・後期の軍記物語『源平盛衰記』には、次の歌が:
思いきや 富士の高根に 一夜寝て 雲の上なる 月をみむとは
[大意] 思ったであろうか、思いはしなかった。高貴な女性と一夜を過ごしてみると、雲居の君が そこにおられるとは (訳:『西行 歌と旅と人生』寺澤行忠著から)。
“高貴な女性”および“雲居の君”は、それぞれ、待賢門院および鳥羽天皇に擬せられているようである。尚、この歌は『山家集』等には見えない。
西行の若い頃の歌に、恋の相手を示唆する“片りん”を見出せるのではないか と恋の歌を幾首か読んできました。しかし結果的には、失望するものであった。前回<閑話休題457>に取り上げた歌では、むしろ、積極的に否定する内容の歌と思われた。
冷静に考えるなら、待賢門院とは、義清にとって・警護すべき鳥羽帝の后であり、・同じ年頃で親愛の情をもつ崇徳帝の母親である、そして・16歳ほど差のある年長者であり、・自ら仕えている大徳寺実能の妹である、等々。崇め、敬う気こそ起これ、恋愛相手とはあり得ないのではないでしょうか。
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