愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題108 漢詩を読む 酒に対す-28;蘇軾:月夜与客飲杏花下

2019-06-08 10:02:43 | 漢詩を読む
この一対の句!

衣の裾をかかげて花影に足を踏み入れると、
 まるで流水が青い浮き草をひたして弄んでいるようだ。

蘇軾(東坡)の詩「月夜 客と杏花の下に飲す」の中の二句です。冴え渡る月光の下、杏の花びらが月光を反射しながらひらひらと舞い散っている情景を詠ったものです。非常に幻想的で、印象的な場面です。

作者は、錯覚して、小川の流れに浮かぶ青い水草がかすかに揺れ動き、月光をきらきらと照り返している情景として表現しています。花影に足を踏み入れるのに、“衣が濡れないように”と注意して、衣の裾を掲げたのでした。

お酒の肴に、月、さらに花(杏)が加わりました。月下に杏花の清香な気が満つる中、「田舎の酒、味は落ちるが、杯に写る月を吸い込むつもりで飲んで下さい」と。なんと風流な!! 気心の知れた仲間との一席です。少々長いが、下記の詩をじっくりと読んで頂きましょう。

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 月夜与客飲杏花下 月夜 客と杏花の下に飲す  蘇軾

杏花飛廉散余春, 杏花 廉に飛んで余春を散じ、 
 明月入戸尋幽人. 明月 戸に入りて幽人を尋ぬ。
褰衣歩月踏花影, 衣を褰(カカ)げ月に歩して花影を踏めば、
 炯如流水涵青蘋. 炯(ケイ)として流水の青蘋(セイヒン)を涵(ヒタ)すが如し。
花間置酒清香発, 花間に酒を置けば清香発す、
 争挽長条落香雪. 争(イカデ)か長条を挽(ヒ)きて香雪を落さん。
山城酒薄不堪飲, 山城 酒薄くして飲むに堪えず、
 勧君且吸杯中月. 君に勧む 且(シバラ)く吸え 杯中の月を。
洞簫声断月明中, 洞簫 声は断ゆ 月明の中、
 惟憂月落酒杯空. 惟だ憂う 月落ちて酒杯の空しきを。
明朝捲地春風悪, 明朝 地を捲(マ)いて春風悪(ア)しくば、
 但見緑葉棲残紅. 但だ見ん 緑葉の残紅を棲ましむるを。
註]
散余春:残り少ない春が尽きつつある
幽人:俗世を避け静かに暮らす人。ここでは作者のこと
褰衣:裾が濡れないように衣をかかげる
争:どうして~しようか、反語
挽:引き寄せる
長条:長い枝
香雪:香り高い雪、白い杏花のこと
山城:山の中の町;城は町(街)
洞簫:尺八に似た管楽器

<現代語訳>
 月夜に 客と杏花の下で酒を飲む

杏の花びらが廉にふりかかり、残り少ない春が尽きようとしている、
 明月の明かりが戸口から射し込み、侘び住まいの私を尋ねてきてくれた。
衣の裾をかかげて花影に足を踏み入れると、
 まるで流水が青い浮き草をひたして弄んでいるようだ。
花影で酒を酌むと清らかな香りが漂ってくる、
 なにも高い枝を引き寄せ杏の花びらを杯中に落とす必要もない。
この山間の町の酒は薄くて飲むには堪えないが、
 月を愛でながら、杯中の月を飲んで頂きましょう。
洞簫の音が止むと、しらじらと冴え渡る月のひかり、
 ただ悲しいのは、やがて月も落ち、酒も尽きてしまうこと。
明朝砂塵を巻き上げて意地悪な春風が吹くと、
 緑の葉に散り残って赤茶けた花を止めているだけであろう。
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作者蘇軾(1036~1101)については、先に何度か触れています。中華料理のトンポーロウ(東坡肉)の創製者であること(閑話休題-以下休題-45)。名山・廬山も見る人の立ち位置で見える姿・形が変わるものだ(休題-1、2 & 3)と。

また官職を擲って田園に隠棲した陶淵明には心酔しているが、自分は彼には到底及ばない としながら、陶淵明の詩「飲酒二十首」に倣った詩を書いています(休題-74)。蘇軾の詩には、胸の底に重く沈む、唸らずにはおかないような奥深さを感じます。

上掲の詩は、1079年春、蘇軾(44歳)が徐州(現江蘇省徐州市)在任中に書かれたものです。たまたま蘇軾の故郷蜀から張師厚が尋ねてきた。官舎に寄寓していた王子立・王子敏兄弟ともども杏花の下で設けた酒席の情景です。

なお王子立は、後に軾の弟・轍の娘婿となる人で、洞簫の名手である と。この宴席ではBGMを担当して、酒宴の雰囲気を一層和やかなものにしていたと想像できます。

1079年は、蘇軾にとって大きな転機をもたらした年と言えるでしょう。その7月には、“詩文を通して政治を誹謗した”という讒言があって、捕えられて投獄されます。取り調べは厳しく、“死”を覚悟した という。彼の生涯は、順風満帆、一直線ではなかったようです。

1057年(22歳)に科挙“進士”に合格しますが、同年母が亡くなり、服喪のため故郷の蜀に帰ります。25歳、服喪が明けて上京し、皇帝の面接を含む特別試験“制科”に及第、直ちに地方官として鳳翔府(現陝西省鳳翔県)に赴任、官歴第一歩を踏み出します。

1066年(31歳)、鳳翔府の任期が満ち、都・開封に帰ります。しかしこの年父が亡くなり、帰郷し、喪に服しています。なお前年には妻が亡くなっていました。1069年中央に復帰しますが、中央では、いわゆる“新法”派の猛威が奮っていた時でした。

唐末の混乱期(五代十国)を経て、国政の立て直しに迫られていた宋では、王安石(1021~1086)を中心に矢継ぎ早に新法を制定して国政改革が進められていた。変革が性急すぎるとする蘇軾は、“保守”派と目され、余儀なく政争の直中に身を置くことになった。

政争に嫌気をさした蘇軾は外任を乞います。1071年、杭州を皮切りに、密州(山東省諸城市)(1074年~)、徐州(江蘇省徐州市)(1077年~)の知事として、地方官を歴任します。上掲の詩は、この徐州在任2年目1079年の春に作られたものです。

同年7月、上に触れたように、讒言に遇い、投獄されることになります。獄中での取り調べは、死を覚悟するほど厳しかったようです。獄中での“懐い”を“詩”に綴り、弟の轍に届けてくれるよう、獄吏に託した と。

蘇軾の“懐い”は、獄吏を通して当時の皇帝神宗の耳に届いたようです。神宗の計らいがあって、8月、恩赦され、出獄できた。しかし黄州(湖北省)への流罪は免れず、1080年元旦に都を後にし、ほぼ一月を要して黄州に着いています。

ある意味、月夜、杏花の下で過ごした知人たちとの語らいは、最後にして、最も安寧な時間であったと言えようか。後出しジャンケン(?)のようですが、上掲の詩最後の四句は、黄州流罪に至る状況と重なるようにも読めます。

黄州での生活は、貧窮の中、非常に厳しかったようです。それでも今日“トンポーロー”として知られる中華料理を創製するなど、生活力旺盛な人であったと解されようか。紆余曲折した生涯を送った彼の“詩”は、読むほどに味わい深いものがあります。
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1 コメント

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Unknown (Rumi)
2019-06-20 20:11:31
蘇軾の詩、たまたま読んでいた本に出てきました。
あ、この詩人の名前を見た事ある!とこちらへやってきました。
出てきた詩はこちらです。

春夜  蘇軾
春宵一刻直千金
花有清香月有陰
歌管楼台声細細
鞦韆院落夜沈沈

春宵(しゅんしょう)一刻(いっこく)直(あたい)千金(せんきん)
花に清香(せいこう)有り月に陰有り
歌管(かかん)楼台(ろうだい)声細細(さいさい)
鞦韆(しゅうせん)院落(いんらく)夜沈沈(ちんちん)

春の夜のすばらしさは、ひとときが千金にもあたいするほど貴重なものだ。
花には清らかな香がただよい、月はおぼろにかすんでいる。
高殿から聞こえていた歌声や管弦の音は、
先ほどまでのにぎわいも終わり、今はかぼそく流れるばかり。
人気のない中庭にひっそりとブランコがぶら下がり、夜は静かにふけていく。

この方の詩、いいですね!

ネットで詩を検索すると、大概上記の解釈が出てくるのですが。
本の中では、詩の解釈が上記と多少違いがあり、それはそれで面白いです。
「音や声が聞こえなくなってきて初めて花や月の素晴らしさに気付き、そして気付いた頃には宵が明ける時分となっていて口惜しい」と。笑

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