下記の記事は日刊ゲンダイヘルスケアオンラインからの借用(コピー)です
「病気が治る」という言葉があります。また、「症状が良くなる」という言葉もあります。
たとえばお腹が痛い方がいて、原因が末期がんであるとします。末期がんが治ってお腹が痛くなくなれば最高ですが、そういうことはほとんどありません。
しかしながら、末期がんは治らないけれど、お腹の痛みを改善することは医療者側の努力で可能です。これを私たちは「良くなる」という言葉で捉えています。
医療者としての経験が長くなるほど、治らない病気がいかに多いかということをしばしば認識させられます。
誤解を恐れずに言うならば、私たち医師は病気を「治す」ことはできない。あくまでも、患者さんが自分で良くなっていこうとするお手伝いをしているだけなのです。
特に在宅医療では、医師が病気を治そうとすると、逆に患者さんに負担がかかってしまう。患者さんが穏やかに過ごしたいと望む、残された貴重な時間を台無しにしてしまうケースもままあります。
医療漫画の金字塔ともいえる手塚治虫の「ブラック・ジャック」に、「ちぢむ!!」というタイトルの話があります。ここには、「治せる」と考える医師のおごりと、自然の運命との乖離が描かれています。
恩師に呼ばれてアフリカの奥地に赴いたブラック・ジャックは、人間を含むあらゆる生き物が細胞レベルで体が縮んでいく「組織萎縮症」という奇病の治療に当たることになります。組織萎縮症の血清を作り出したブラック・ジャックは、発病し病床に伏せる恩師に注射をしようとしますが、その時、恩師から奇病の意味を告げられます。
それは、人口が爆発する危惧から、限られた食糧を分かち合うためには生き物が体を小さくしなければならないという、神の警告であるということを、です。医者は病気を治して命を助けた気になっているけれど、それが人口増加、やがては食料危機を招き、何億人も飢えて死んでいく。その不条理な物語は、医療は治療ではないことを物語っています。
また現在放映中のNHK連続テレビ小説「おかえりモネ」には、在宅医療を行う田舎の診療所が登場します。
ここで働く若い医師は、自分のキャリアとして在宅医療に進むかどうかの岐路を迎える中で、がん患者さんを「治せない」事実を目の当たりにし、「治す」医療ばかりをやってきた不遜な今までの自分自身と向き合っていきます。
そのがん患者さんと話す場面で、医師は患者さんに語りかけます。
「日々考えることが変わるのは当たり前です。迷うことがあって当然です。迷う時間を確保するためにできる治療があるならやってみませんか」
これは、人生の最期が近づき、自己決定が困難になった時も、自らの意思が反映された生活を送れるよう、医療関係者が支援する「意思決定支援」を描いたもの。
「医療=治す」ではない。「治らない」は医療の敗北ではない。このような若き医師の心境の変化が今後描かれるのではないかと、ドラマの展開も楽しみしています。
下山祐人
あけぼの診療所院長
2004年、東京医大医学部卒業。17年に在宅医療をメインとするクリニック「あけぼの診療所」開業。新宿を拠点に16キロ圏内を中心に訪問診療を行う。
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