富岡町観光協会ブログ「夢咲くら」

警戒区域となった福島県富岡町の現在…
東日本大震災・原発事故・避難に関する新着情報などをお伝えしています。

ある家族のケース 3月16日(水)午後2時30分 常磐自動車道

2011-06-07 10:36:59 | 地震・津波・原発事故・避難
水戸市まで約30㎞を6号国道を南下。

水戸市より北は、ブロック塀が倒れていたり、
橋に段差があったり、コンビニの営業もなかったり、
トイレも借りる事が出来なかったり、
屋根にブルーシートがかけられていたりと、
被害がひどかったけれど、水戸市内は
比較的通常とかわらないような感じだった。
車も走っているし、お店も営業していた。

水戸市内を通過し水戸ICより常磐道経由でさらに南下。
16日の今日から水戸ICがあいたようで、
一日前だったら利用は不可だったことが後に判明。
谷和原ICまで残り70㎞。本当にラッキーだったかもしれない…

常磐道も被害を受けていたらしく、
速度規制がかけられていた。
段差やひび割れなどが所々あり、
気をつけないとあぶない箇所があった。

パーキングやサービスエリアでは、
量も少なく種類も限られてはいたものの、
飲み物や食べ物の他、お土産なども販売しており、
トイレも通常に使えて被災地とはまるで別世界のように感じた。
同じ日本国内なのかと思うほど…


ある家族のケース 3月16日(水)午後1時00分 昼食

2011-06-06 10:22:36 | 地震・津波・原発事故・避難
遅めの昼食をGS向かい側のレストランでとることに。
レストランは水がダメで、駐車場でテイクアウト販売中。

6日ぶりの食事らしい食事を、車中で食べたけれど、
避難生活での食事状況が影響し、
一人前のカレーを胃袋に入れるのはとても大変だった。

一方で「こんなに食べていいのかしら?…」
「避難所にいる人達は食べることが出来ていないのに…」と。
罪悪感を感じ…食欲など一つもわいてこない。
無理矢理押し込み、飲み込んだ。

72歳になる実家の父が昨夜からずっと車の運転をしていて、
すごく疲れているのが目に見える為、
昼食後にちょっとだけ仮眠をとることに…
水戸市まであと30㎞、谷和原ICまで100㎞、
なんとかなるかも…



ある家族のケース 3月16日(水)午前11時00分 給油

2011-06-05 10:05:28 | 地震・津波・原発事故・避難
毎日給油できるGSがあるらしいと弟から教えてもらい、
そこを目指してさらに6号国道を南下し、
日立那珂市まで車を進めた。
国道沿いのGSは至る所で大行列!!

教えてもらったGSは6号国道より少し横道の入った所で、
地元の人が利用しているらしく乗用車が多かった。
それでも40分以上は並んだが…
エンジンを切りながら待って少しずつ進む…

やっと給油できたが、2000円分しか入れてくれなかった。
もう一度最後尾に並んで2度目の給油を試みる。
他は長蛇の列で給油の可能性が薄い。
ここも2回目の給油は保証出来ないと言われたけど、
無駄なガソリンを使わないで済むかもしれない。

30分以上かけて2度目の給油が完了したのは、
12時30分を過ぎていたけれど、ラッキーだった。
満タンになったのが1台、半分くらい給油出来たのが2台。
井戸水があったのでGSでトイレも済ませることが出来た。

ある家族のケース 3月16日(水)午前9時00分 子供たち

2011-06-04 09:46:03 | 地震・津波・原発事故・避難
日立市大みか町のガソリンスタンド二軒をまわったが、
結局給油できなかった。
一軒は並んでいたものの営業しないことがわかり、
もう一軒は販売が終了してしまっていた。

弟は、もしもの時にと、
持ってきたガソリンの2リットルを1台に、
1リットルをもう一台に給油し、
一足早く弟の横浜の自宅に子供2人(中3・高3)を乗せて出発。

4人で住んでいる妹夫婦宅に、12人で押しかけるのは
さすがに大変と、子供2人を弟に預けることにしたのだった…

別れ際、不安そうに涙ぐむ中学生の娘を抱きしめ、
もしもの時にと、保険証を渡した。
(抱きしめたことなど、ここしばらくない)
「きっと横浜は楽しいよ。すぐ会えるから。」と
言葉をかけたものの、涙がこぼれてきてしょうがなかった…



ある家族のケース 3月16日(水)午前7時30分

2011-06-02 13:08:34 | 地震・津波・原発事故・避難
昨夜からの緊張がほぐれたのと、
弟が準してくれた朝食のおかげでお腹の調子が…

国道沿いの大甕神社の境内のトイレが故障中で、
仕方なく近くの民家のお宅へ…福島から避難している事情を話し、
「トイレをお借りしたい」とお願いするとと、
見ず知らずの私たちに快く貸して下さった。

この地域一帯はまだ水道がダメで、
訪ねたお宅は、たまたま井戸水が出る為、
なんとか生活できていたとの事。
自宅では生活出来ないので、実家に戻っていた娘さんが
対応してくれた。この家のお孫さんはちょうど出勤前で、
「福島第一発電所に、仕事で行ったことがある。
 人ごととは思えない」と。あたたかい言葉をかけて頂いた。

お礼を言って帰ろうとした時、アルミホイルに包んだ、
出来たてのあったかいおにぎりを6つ渡して下さった。
さらに、ペットボトルに入れた井戸水を4リットルも…

優しいお母さん(娘さん)の気遣いと心遣いに、
また涙がこぼれた…あったかいおにぎりは、
「あたたかい気持ち」そのものだったように思う。

家のそばに立っていた電柱の住所と、表札の名前をメモし、
清々しい気持ちで車列に戻った。

本当に、あの時はありがとうございました。
ご恩は一生忘れません…何度お礼を言っても足りないくらいです。

どこかでは、「福島」というだけで
いわれのない差別もあったと聴きましたが、
ほんの一部の報道と信じます。信じたいです。
多くの皆さんは、親身になり親切にして下さいます。
 
悪い事ばかりが大きく記事になっていますがこの場をお借りして、
応援して下さる多くの皆さんの「心」をご報告します。
  
一ヶ月後、ひたちなか市のお宅へお礼の葉書を書きました。
近況をお知らせするとともに、あの時のお礼を込めて…
本当に届くかどうかわかりませんでしたが、
2週間後、宅急便が仮住まいのアパートに届きました。
 
あのお母さん(娘さん)からの救援物資とお手紙でした…
またお世話をかけてしまったと反省しましたが、
ありがたく、遠慮なく使わせて頂く事に。
この縁を大事にしていこうと、心に誓いました。


ある家族のケース 3月16日(水)午前7時00分

2011-06-01 13:02:16 | 地震・津波・原発事故・避難
横浜から駆けつけた弟の先導で、
6号国道を日立市からさらに南へ移動。
川内村から走っきた3台の車のうち、
すでに2台はエンプティランプがついている。

ひたちなか市に入り大甕神社の近くのガソリンスタンドに並ぶ。
すでに車の行列はかなりの長さになっている。
給油出来るかどうかは店が開かないとわからないらしかった。