ホテルのあたりを後にし、気仙沼の中心地へ向かいます。

フェリーターミナルなどがあるあたりです。

ここの復興商店街で生の冷凍フカヒレスープを購入しました。
まだ食べて無いので楽しみです。
そのお店のおじちゃんは、あの有名な、住宅街に打ち上げられた漁船が撤去されたことに関して「気仙沼の人はみんなバカじゃないのって思ってんだよ。あれを見に来る人がたくさんいたからね。」と仰ってました。
まだ残っていたらきっと私も見に行ったと思います。
でもそこに家があった人からすれば、見るだけでつらいのかもしれません。
でもそれによって人が集まってくる、難しい問題ですが、気仙沼は撤去を選んだのですね。
こんなものもありました。

誰もこんな大きな津波が来るなんて思ってもいなかったでしょう。
続いて、陸前高田へ。
ここも絶対に来たかった場所。
あの日テレビにかじりつきながら、「陸前高田市の市街地は壊滅状態です」と何度も繰り返されていたのが頭に焼き付いているからです。
街が壊滅状態なんて当時の私には信じられませんでした。
陸前高田に着くと、最近ニュースで見たベルトコンベアがたくさん。
あとは更地なので、未開の地に近代的なベルトコンベアの橋がたくさん建てられている、という光景。
ここに市街地が広がっていたとは到底想像できませんでした。
陸前高田に来たなら奇跡の一本松を見なければと思い、専用の駐車場から歩きます。

歩いてる途中、泥のにおいがきついところもありました。
しばらく歩くと一本松が見えてきます。

その横には無残な姿の水門。


看板の写真を見ると、このあたりにたくさんの松が生えていたのだとわかります。
しおさい橋と書かれた石も傾いてます。そしてその後ろにはベルトコンベア。

平成6年3月完成。松原は津波によって流されてしまいました。

根本だけ少し残った松たち。一本松だけじゃなく、まだ残っている松は実はたくさんあるのです。

人工の松になってしまいましたが、言われないとわからないぐらい本物そっくり。

後ろには奇跡の一本松と一緒に有名になった陸前高田ユースホステル。

在りし日のYHの写真を探すと、松原に囲まれたYHであったことがわかり驚きです。
今や海辺のYH。
かすかに見える室内と、エアコンの室外機。


献花台

この場で黙祷。
一本松とYH。

この立派な橋もベルトコンベアです。

地元の小学生によって「希望の架け橋」と名付けられたとのこと。
この技術で陸前高田の復興にスピードが出ることを願います。

フェリーターミナルなどがあるあたりです。

ここの復興商店街で生の冷凍フカヒレスープを購入しました。
まだ食べて無いので楽しみです。
そのお店のおじちゃんは、あの有名な、住宅街に打ち上げられた漁船が撤去されたことに関して「気仙沼の人はみんなバカじゃないのって思ってんだよ。あれを見に来る人がたくさんいたからね。」と仰ってました。
まだ残っていたらきっと私も見に行ったと思います。
でもそこに家があった人からすれば、見るだけでつらいのかもしれません。
でもそれによって人が集まってくる、難しい問題ですが、気仙沼は撤去を選んだのですね。
こんなものもありました。

誰もこんな大きな津波が来るなんて思ってもいなかったでしょう。
続いて、陸前高田へ。
ここも絶対に来たかった場所。
あの日テレビにかじりつきながら、「陸前高田市の市街地は壊滅状態です」と何度も繰り返されていたのが頭に焼き付いているからです。
街が壊滅状態なんて当時の私には信じられませんでした。
陸前高田に着くと、最近ニュースで見たベルトコンベアがたくさん。
あとは更地なので、未開の地に近代的なベルトコンベアの橋がたくさん建てられている、という光景。
ここに市街地が広がっていたとは到底想像できませんでした。
陸前高田に来たなら奇跡の一本松を見なければと思い、専用の駐車場から歩きます。

歩いてる途中、泥のにおいがきついところもありました。
しばらく歩くと一本松が見えてきます。

その横には無残な姿の水門。


看板の写真を見ると、このあたりにたくさんの松が生えていたのだとわかります。
しおさい橋と書かれた石も傾いてます。そしてその後ろにはベルトコンベア。

平成6年3月完成。松原は津波によって流されてしまいました。

根本だけ少し残った松たち。一本松だけじゃなく、まだ残っている松は実はたくさんあるのです。

人工の松になってしまいましたが、言われないとわからないぐらい本物そっくり。

後ろには奇跡の一本松と一緒に有名になった陸前高田ユースホステル。

在りし日のYHの写真を探すと、松原に囲まれたYHであったことがわかり驚きです。
今や海辺のYH。
かすかに見える室内と、エアコンの室外機。


献花台

この場で黙祷。
一本松とYH。

この立派な橋もベルトコンベアです。

地元の小学生によって「希望の架け橋」と名付けられたとのこと。
この技術で陸前高田の復興にスピードが出ることを願います。
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