謎パーク

いろいろな謎を考える。宇宙とか地球とかに関する謎や中南米謎の古代文明だとか。それとあっちこちの白昼の徘徊夜話だとか。

♪謎パークというからには、いろいろな謎をとりあげねば・・・と

2018-03-23 18:00:44 | 日記

 実は、たくさんの謎を扱ったページは別サイトSui族館にありまして、以下にそのSui族館語られている謎の全タイトルをご紹介します。

 で、まず地球の謎として

1. 地球はいつ生まれたか?

2. 原始地球はこうして生まれた

3. 地球の海はいかに誕生したか?

4. 最初は一つの超大陸だったって本当?

5. 現在の五大陸はいかに形成されたか?

6. 地球の内部はどうなってる?

7. 重力は場所によって違うか?

8. 地球上の酸素は超大昔につくられた?!

9. 日付変更線はなぜ日付を分けるのか?

10.海の水はなぜしょっぱいのか?

11.海の満ち干きはどうして起こるのか?

12.北半球と南半球の季節が逆になるのはなぜ?

13.異常気象の原因は何か?

14.大陸移動の生き証人,大西洋

15.地震が太平洋岸に多いワケ

*上図は内閣府防災情報のページより引用

16.海が干上がらなかったのは、大陸ができたおかげ

17.日本列島誕生秘話

18.地球温暖化は防げるのか?

19.なぜフロンガスは、戻らないブランコといわれるのか?

20.酸性雨で,髪の毛が赤や緑や黄色になる?!

21.地球の危機を救うか、バイオテクノロジー

 といった謎に迫っています。次に宇宙の謎として

1. 最初はからかわれた宇宙開闢ストーリー、ビッグバン理論

2. ビッグバンが残した宇宙の化石とは?

3. ビッグバンは本当に「始まり」なのか?

4. 宇宙の始まりの二大仮説

5. [始まり」を特定する必要のないホーキング宇宙とは?

 

*上図は「POPな宇宙論」(佐藤勝彦監修、同文書院刊)より引用

6. 時間は逆流するか?

7. ただ飯理論といわれるインフレーション宇宙の秘密

8. 宇宙の物質はいかに生み出されたか?

9. 銀河と星の誕生ドラマ

10.星の「死」が生命を「誕生」させた

11.見えない物質「ダークマター」の正体

12.宇宙にも万里の長城がある!

13.宇宙は無数に誕生した?!

14.宇宙の年齢は実のところ何歳?

15.宇宙の「年齢」が、宇宙の「果て」であり「大きさ」でもあるってどういうこと?

16.ブラックホールは蒸発する!

17.超ひも理論は、二一世紀の新しい物理学か?

18.銀河はやがて、ひっそりと死ぬ

19.私たちの銀河系はこうなっている

20.この銀河系には、知的生命体の住む星がいくつあるか?

21.人間原理の宇宙とは何ぞや?

そして、<なんでも徹底比較「地球と惑星」>といったテーマで

1. 太陽の寿命はあとどれくらい?

2. 太陽も公転している?!

3. 月は地球のかけらって本当?

4. 月は地球からだんだん遠ざかっている?

5. 月は人工衛星か?

6. 月には、地球の二〇〇〇年分もの電力資源が眠っている!

7. 火星はなぜ赤い?

8. 火星の運河騒動はどうして起きたか?

9. 第二の地球「火星」に人類が降り立つ日

10.はたして火星に生物はいるか?

11.水星の1日は2年ってどういうこと?

12.ビーナスのベールの影には灼熱地獄が・・・金星の正体

13.太陽になりそこねた星、木星

14.木星の衛星「エウロパ」には生命体が存在する?!

15.水に浮く惑星、土星の秘密

16.天王星は一番のひょうきん者

17.冥王星は惑星なのか?

18.太陽系の放浪者、彗星

19.太陽系のオデッセイ、ボイジャーの旅はいつまでつづく?

さらに、<地球の生き物>として

1. 生命起源の五大仮説とは?

2. 私たちの先祖はバクテリアだった!

3. 進化のビッグバンって何?

4. 海の魚は大昔、淡水にいたことがある?!

5. 地球がもっとも神秘的であった時代とは?

6. 生物の九〇%以上が絶滅したときがあった!

7. クジラは大昔、陸で生活していた!

8. 最初のヒト・・・それはルーシー?

9. いや、最初のヒトはイブである!

10.原人は猿人を食べて育った!

11.突如として闇に包まれる人類の系統樹

12.私たちは、最初に花を愛したヒトを祖先にもちそこねた

13.人類進化の中心はシベリアだった?!

14.進化論の新潮流、細胞内共生説とは?

15.進化はウイルスによる伝染病だった?!

16.恐竜って超巨大なトカゲのこと?

 

17.恐竜は恒温〔温血)動物だったのか?

18.数え上げればきりがない恐竜の不思議

19.生物の大絶滅は二六〇〇万年周期?

20.動物園でマンモスに会える日

21.マンモスとサーベルタイガー、どちらが強い?

22.絶滅した恐竜の唯一の生き残りがいる?!

23.鳥は恐竜の子孫ではないのか?

24.シーラカンスの刺身はうまくない?!

25.ダーウィンの進化論は、本当に正しいか?

26.ウィルスが、現代日本人のルーツを明らかにした!

27.人類絶滅の日はくるか?

そして最後に<21世紀は宇宙ツアーの時代>と題して

1. ロケットがなけりゃ何も始まらない

2. 実用ロケット第一号を開発した男

3. 人工衛星や探査機の軌道投入はどうやるの?

4. いまや常識のスイングバイ航法とは?

5. スペースシャトルの背中にのってる小亀は何ていうの?

6. 宙を舞う一三〇kgの牢獄、宇宙服!

7. 宇宙は苦労がいっぱい

8. 史上最大のピースな国際プロジェクト、宇宙ステーション

9. 宇宙宙飛行士は二一世紀の花形職業

10.スペースコロニーで、人類の未来はバラ色!

11.宇宙帆船は奇想天外なアイデアか?

12.宇宙旅行の予約受付け開始! 費用は九万八〇〇〇ドルなり

・・・謎の迷宮<Sui族館>へは以下のリンクからどうぞ。

Sui族館

 

♪八王子の川口町とその周辺がなかなか面白い

2018-01-07 12:18:57 | 日記

 去年(2017年)の2月ごろ八王子の北浅川渓谷(渓谷ってほどのもんじゃないけど)のヘマ・レポートをアップしましたが、この渓谷は上壱分方町というところにあります。

  この町の南側には弐分方町があり、風変わりな町名だなと前から気になっていました。ネットで調べると、この両町があった地域は鎌倉期から戦国期にかけては由比本郷と呼ばれ、1313年に領主が死ぬとせがれ二人がお定まりの遺領争いを演じ、一方が遺領の3分の2、もう一方が3分の1を相続したそう。そこで前者の所領を弐分方、後者の所領を壱分方と称したのがその始まりだといいます。このあたりの一帯には遠く平安時代、由比牧という国営の牧場があったそう。

 この由比(由井)という地名ですが、現在の八王子市には由井町というのは存在しません。由井村というのは明治時代まで存続していましたが、この村は由比牧があったエリアとはまったく無関係の地域(小比企村、片倉村、宇津貫村、北野村、打越村、西長沼村)が合併してできた村です。

 由井村の一部である小比企村というのは現在の小比企町なのですが、おもしろいことにgoogleで「由井企町」と検索すると以下のように結果が出てきます。

 たぶん、由井と小比企がひっからまってありもしない町名として登録されてしまったのでしょう。町名というより駐車場の名前とされているようです。

 ただ由井を冠した名前の小中学校は八王子に存在して、由井第一小学校は打越町、由井第二小学校は片倉町、由井第三小学校は小比企町(以上3校は明治時代創立)、そして由井中学校は片倉町にあり、各町はみな旧由井村にありました。また、八王子市役所の出先機関である由井事務所というのが片倉町にあります。

 さて、本題の川口町についてですが、この町は上壱分方町の北を流れる北浅川の対岸に広がっています。去年の11月7日と11月29日の2回に分けて訪れました。以下が11月7日に歩いたコースです。

 一悦庵瞽女宿跡→八王子市最古の馬頭観音→桜株の首無し地蔵→浅川稲荷神社→川口中学入口→川口兵庫介館跡→調井神明神社

 はは、初めて行ったのでこれくらいしか行けませんでした( ;∀;)。

 一悦庵瞽女宿跡というのは、戦後22、3年頃まで、川口に実際にいた三味線を弾きながら歌をうたい門付けをして歩く瞽女(ごぜ)さんたちのための専用宿舎跡です。

  以下の写真の右端にあるのが瞽女さんの墓。そばに「川口瞽女 イト タカ 墓」と読める板が立っています。 

  ちょっと切ない・・・。

 次に訪れたのが八王子市最古の馬頭観音というふれ込みの石像。

 なんか”最古”という感じがしません。なんでも元禄四年(1691年)の作だそうで、八王子市内に現存する最古の馬頭観音だということです。わたし個人としては、八王子にはもっと古い馬頭観音がごろごろあると思います。

 次は桜株の首無し地蔵。

 三体の地蔵さんに首がありません。このあたりは首切り場という処刑場があったと伝えられている心霊スポットらしいです。

 以下は地蔵さんの近くに店開きしているタコ焼き屋さん。

 店主いわく、心霊スポットを当て込んで商売しているそう。乞う商売繁盛。

 しばらく歩いて浅川稲荷神社へ。

 児童公園内にある神社。浅川神社を名のるお宮は八王子に3つほどあるみたいで、この神社はその一つ。他は裏高尾にある浅川神社、もう一つはJR高尾駅の南のこんぴら山頂に鎮座する浅川金比羅神社で、オーストラリア人女性の神主さんがいたことで知られています。

 この浅川稲荷神社の由来はわかりませんが、境内に「調井(ととのい)の生き石」という大きな石が置かれています。

 言い伝えによると、歳をとるごとに大きくなるそうでその名も生き石と呼ばれ、川口、元八王子あたりに多くの信者があったそうな(日本昔ばなし番外編)。

 川口中学入口の信号へとささやかにワープして、信号近くの小高い丘上にある「川口兵庫介館跡」というのに行ってみる。

 やけに立派な石碑が立っている。川口氏というのは室町時代の川口の地頭で、兵庫介の時代に最も栄えたといわれる。兵庫介は地元長楽寺の薬師如来像や上川町円福寺の大般若経など貴重な文化財を残しており、山村(失礼)にしては珍しく古い寺院が多いのもうなずける。

  この石碑の立つ丘は「調井(ととのい)台」というらしい。なんでも、豊臣軍が八王子城攻撃の時に、ここで甲冑を着用した(調えた)という。また一説には、豊臣勢が八王子城を攻略するにあたり、上杉隊の武将と城内に詳しい平井某とが調略をした場所なのだという。

 調井台の小道を南へ進み、途中から山林を分け入って下ると調井神明神社という社が鎮座している。住宅に埋もれて、ひっそりかんと音がしそうなほどにひっそりしている。

 

  お社。

 小生はこうしたひっそり・こっそり感ただよう風情をこよなく愛する者です。

 さて、ここから20日ほど経った1月29日の散策コースに入ります。予定としては

 延寿院→浅間塚→「子抱き土偶」(宮田遺跡)→第六天王→龍生寺→熊野神社→弁天池→勝軍地蔵→長楽寺→滝ノ沢の庚申塔と念仏地蔵→稲荷社→倶利迦羅不動→野辺の石仏集積コーナー→上ノ原縄文遺跡→釜の沢石仏群→八雲神社・熊野神社→三光院→森下の石仏<馬頭観世音・庚申塔>→幻境の碑

 などという盛沢山なメニューをネットを参照してでっちあげましたが、どうせすべては回れないでせう。

 さて、調井台の細い小道を南へ進むどこまでも(ってほどのもんじゃないけど)。すると延寿院というお寺に着く。

  当初、小石川白山指ヶ谷町(かつて文京区に存在した旧町名)に蓮華寺の塔中として創立され、その後荒廃期を経て昭和42年都市計画により現在地へ移転。下は本尊の大黒尊天の像。

 元禄年間の作だそう。

 延寿院の裏手の雑木林中の小道

をひたすら進むと踏み跡程度の伐採尾根に出る。ここからの景色の風情がなかなかよい。

 そうでもないか。ただ、何もない雑木林を抜けていきなりこういう風景に出くわすとけっこう感動するものなのよ。写真ではその風情がちょっと伝わらないかも。尾根道をなおもたどって左方を見ると

奥にカーブして延びる道がある。そこを入っていくと

こんな風な塚がある。浅間塚と呼ばれているがどうやら古墳らしい。昔はもっとでかかったのだろう。

 石棺の一部らしきものが露出している。

 人知れず埋もれる古代の息吹にうっとり。

 ・・・ほれっ、さっさとゆかんかい、次だ次。尾根道をなおもゆく。

 

 このあたりから北に下ったところに宮田遺跡ってのがあって、「子抱き土偶」という逸品が発掘されたという。

  

 実物は国立歴史民俗博物館の展示ブースに鎮座している。子供を扱った土偶としてはかなり有名なものらしい。

 宮田遺跡なる発掘跡へ行っても、畑とか住宅なんかに占領されているに決まっているから行かないことにする。

 えっと次の目的地は第六天王。これです。

 はは、石碑(石の祠)だけが路傍に無造作に置いてあるだけ。第六天王というのは織田信長もそれを自称していた天界の魔王で、仏敵とされています。信長は比叡山延暦寺焼き討ち、一向一揆殲滅、石山本願寺攻略など、仏教の武闘派を目のかたきにしていたから、自ら仏敵たる第六天魔王を名のったのでしょう。第六天を名のる神社(第六天神社、第六天魔王神社、第六天宮、第六天社など)というのは東日本にしかなく、西日本には皆無だといいます。これは信長の天下を簒奪した豊臣秀吉が信長の奉ずる第六天の神威を恐れ、自らが拠点としていた西日本の第六天神社をことごとく廃社にしたためらしい。

 なぜ仏敵とされた魔王を人々はうやまったのか。丁重に祀り上げて、その絶大な魔力をもって身辺にふりかかる災厄をふりはらってほしいという魂胆でもあったのか。今でも、この第六天王なる神は謎のままに祀られているようだ。

 第六天を名のる神社は八王子にもある。以下は片倉町の第六天宮。

 社は階段の上にあります。屋根がちょこっと見えている。ちっちゃな神社がたいていそうであるようにこの社も物置に毛のはえたような造りです。

 下は元八王子町にある第六天魔王神社。階段上に三角屋根の社があります。

  藤の花に似た白い花が印象的でした。小生は重篤な花の名音痴なので花の名前が言えません。第六天神社は犬目町にもありますが、こちらは大六天神社と名のっています。そのほかにもいくつかありますが、多くは末社として祀られているようです。また都内にあるものは、おおむね八王子のものより立派です。

 川口町巡りに戻って、次の目的地は龍生寺(りゅうしょうじ)です。ま、普通の禅寺です。

 次は熊野神社。

 龍生寺のお隣です。

 熊野神社はどこへ行ってもあります。ちなみに日本で最も多い神社は八幡様だそう。以下は日本の多い神社ベストテン。熊野神社は第5位です。

 第1位 八幡信仰 7817社. 第2位 伊勢信仰 4451社. 第3位 天神信仰 3953社. 第4位 稲荷信仰 2924社. 第5位 熊野信仰 2693社. 第6位 諏訪信仰 2616社. 第7位 祇園信仰 2299社. 第8位 白山信仰 1893社. 第9位 日吉信仰 1724社. 第10位 春日信仰 1072社

 龍生寺の前には弁天池があります。

 池中の島(中の島)に弁天様が祀られています。このあたりは十二社(じゅうにそう)と呼ばれる古い集落ですが、新宿区西新宿の四丁目近辺の旧地名・通称地名がやはり十二社でした。十二社池という池があり(もちろん今はない)、かつては隣接する十二社大滝とともに江戸の景勝地となっていたそう。近辺は色町でもありました。

歌川広重の「名所江戸百景」の角筈熊野十二社。十二社池が描かれている。(wikipediaより)。

 往古、ガキの頃、それがし、新宿に住まいしておった。十二社方面にもよく行った。熊野神社なんかもあったりしてな。十二社池もあったが、色里のすさんだ、さびれてくすぶり果てた淫靡な気配の投げやりな残り香みたいなものがただよって、ガキやジャリが気楽に入り込んでゆけるような雰囲気じゃなかったのを覚えている。

 川口町に戻って、お次は弁天池すぐ近くの勝軍地蔵。これです。

 これに念ずれば、戦いに勝ち、宿業・飢饉などを免れるといわれている地蔵さんで、近くは出征兵士の無事帰還を祈ったそう。この他に火防(ひぶせ)の仏として、災難除けの信仰や、痛みを伴う病気にご利益があるという。

 長楽寺へ向かいます。川口兵庫介の残した鎌倉期の薬師如来像で知られる寺です。いかにも里山のお寺って感じ。

 薬師如来像は住職の許しを得ないと拝観できないらしいのですが、その住職はほとんどここにいないのです(-""-)。いちおう写真だけでもネットから拝借して。

 では、いよいよ本日のハイライトである滝ノ沢に向かいます。途中の風景。

 なんか神仏関連の石造物の破片が捨てられているところがありました。

 滝ノ沢に入りました。まず庚申塔と念仏地蔵です。

 どちらも江戸時代中期のものです。花が供えられています(^^)。ネット情報によると左側の庚申塔には、いちばん上に月と太陽と雲、その下に青面金剛という手が6本ある神様、神様に踏みつけられた交合している猿、さらにその下に見ざる、言わざる、聞かざるの三猿が彫り込んであるそう。塔に刻まれた文字には、女たちの手によって建立されたことが記されているらしい。

 ああ、ダメな俺。上のような念入りな観察ってのは面倒でまったくできない。めくら同然。それでもこりずにこういうもんが好きなんだから、どうなってるんだろ。

 気をとりなおして、さらに進むと左手にお稲荷さんが見えてきました。

 さて、これから山中に分け入ります。

 なおも登ります。かなり急です。

  ハーハー、つ着きましたぜ、おぜうさん。これが本日の目玉なのだ!

 写真の上三分の一あたり、そのほぼ真ん中あたりに奇っ怪な石像があるのがわかりますか。こちらはそのどアップ。

 こんな山中に、な、何ざんしょう、こりゃまたいったい。もっとずっとよいお写真を、こちら倶利伽羅不動尊の像と碑から拝借しました。これです。

 上記写真拝借先リンクからの情報によると、この像は倶利伽羅不動尊といい、大きいほうが明治29年(1896伝聞)、小さいほうが安永 5年(1776伝聞)作ということです。湧水のあるところに祀られているらしい。そういえば、この像が安置されているところは沢沿いの傾斜地です。水神として祀られているのでしょう。

 山中でひっそり恐ろし気にあたりを睥睨している孤独な不動尊・・・いいなぁ。

  山を降りてしばらくゆくと野辺の石仏集積コーナーみたいなのがありました。金網で囲ってある。

  花がたむけられています。このあたりの人々は信心深いのでしょう。

 次の目的地は上ノ原縄文遺跡。金精稲荷という小さな祠の脇をのぼってゆくと広い台地に出ますが、ここから縄文期の敷石住居址やおびただしい数の石器・土器などが出土したのだといいます。

 今はただの畑。

 釜の沢の石仏群へと向かいますが、以下はその途中の風景。

 彼方に大岳山の特徴あるシルエットが浮かぶ。

 釜の沢石仏群といっても、石仏群ってほどのもんじゃない。先の石仏集積コーナーに毛の生えた程度のもの。道祖神・庚申塔・石塔・念仏供養塔などが並んでいる。

 森下のバス停へと向かう途中、八雲神社というお宮があったので寄ってみる。ところでこのあたりはもう、川口町ではなく隣接する上川町だ。

 ご覧のように低い鳥居の脇にひょろ高い木が立っている。この神社は素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祭神とするお宮で、スサノオが新婚の妻を厳重に護るための宮殿を作ったときの歌「八雲立つ出雲八重垣妻籠に八重垣作るその八重垣を」の八雲にちなむ神社だという。総本社は京都の八坂神社。ただし熊野神社とも合祀されていて、鳥居の扁額にも両神社の名前がある。

 古そうな石仏たち。

  そして紅葉。

 さて、八王子で八雲神社といえば、ほとんどの人が元横山町の八幡八雲神社を思い浮かべるのではないか。八王子創始の神として、八王子草創の地主神である八幡神社、そして八王子の地名起源の神である八雲神社とを合祀した豪勢な神社だ。八雲神社の祭神「素盞鳴尊(スサノオノミコト)」は牛頭天王と同一視され、その牛頭天王は八王子城の守り神として八王子神社(八王子権現)に祀られた。

 八幡八雲神社の由緒書きによると、八王子城落城の時、城兵は牛頭天王の神体を奉戴し、川口村黒沢の地に密かに逃れ、北条氏残党の氏神として崇敬していたという。ところが大洪水のため神体は流失し、ついに八王子新町(元横山町の東側)の北なる板谷ヶ淵に漂着。新町の百姓五兵衛という者がこれを発見し、後に八雲神社として八幡神社の社内に遷座したという。

 上で言う「川口村黒沢の地に密かに逃れた牛頭天王の神体」を祀ったのが八雲神社Aであるとすると、この神社が小生が訪れた上川町の八雲神社Bなのであろうか。黒沢は今は川口町に隣接する上川町に属しているが、この黒沢と八雲神社Bとは昔は川口村に含まれていたかもしれず、八雲神社Bがまさに黒沢の八雲神社Aのことなのだとしてもそう的外れではない気がする。ところが肝心の地元では、八雲神社にまつわるその手の伝承はないらしい。

 さらに不可解なのは、八雲神社Bと合祀されている熊野神社はかつては黒沢にあり、八雲神社Bへ遷座したあとは廃社となって今もその社跡が残っているということだ。この熊野神社とのかかり合いというのも何か気になるところである。

  さて少し先、坂を上がったところに三光院というお寺があったので行ってみる。

 

 晩秋の色に染まっています。

 ってことで今回のお散歩はジ・エンド。バス停に向かいます。バス停のすぐ近くに古い馬頭観世音と庚申塔があって森下の石仏と呼ばれているそう。

 森下には北村透谷ゆかりの幻境の碑というものがあるらしいのですが今回はスルーしました。

 

古代の砂漠に花一輪。女だてらに勇猛果敢、でっかい帝国おっ建てた。その花の名はパルミラ女王ゼノビア。だけど、ここに登場するゼノビアさんは、えっちょっと、とたじろうじゃうかもしんない女王さま・・・なの。⇒パルミラ幻想

アステカ帝国の興亡と帝国末裔の民が新国家「アストラン」を樹立し、435年後にオリンピックを招致・開催するまでにいたる物語⇒アステカ物語

宇宙の謎・地球の謎の迷路をへ巡る謎パーク別館⇒Sui族館

 

♪微妙にワンダーな八王子・泉町の湧水群

2017-11-25 08:48:19 | 日記

 ってことで今回は、八王子の泉町というところに行ってきました。北浅川沿いにある町です。ここはけっこう、一部の好事家のあいだでは知られた町です。まず湧水群があること、それから住所に「~丁目」という丁番がないこと、外国人が居留地外に滞留にすることが困難な時代(明治10年代)に外国人神父をいただいた教会が建てられたことなどでけっこう知られています。丁番といえば、わたしが住んでいるあたりも昔は丁番がなかったように思います。八王子の各地に丁番がついたのはそう古いことではなく、泉町はそういう流れからとり残された一角なのでしょう。

 で、今日は湧水群の探索です。近所の人に湧水群はどこかと尋ねると、知らない人と、知ってはいても近くの叶谷町の湧水源ととり違える人との二手に分かれて、肝心の泉町の湧水群については無関心な人ばかりです。地元だと往々にしてあること。しょうがないので、とりあえず北浅川方面に向かいます。すると一般家屋どうしの境目みたいなところにらしきものを発見。

 これ湧水だと思います。水面の白いのは太陽の反射で、水はほんとにきれいです。ちっこい小川といった風情。でも、水中に生えている水草が並みの小川とはちょっと違う雰囲気をかもし出しています。

 小川に沿って続く狭い隙間をたどってゆくと

とか、

とか、

とかの湧水風景が続きます。以下のような野菊が咲き乱れるるなかを流れる光景も。

でっかい鯉がお出迎え。

はは、尾っぽだけ・・・

 さらに流れ流れる湧水風景。

 民家の間をちょろちょろはい回って流れる風情がなかなかいいと思うんですが・・・。

 以下はすぐ近くの叶谷町の湧水源で、去年の4月に撮った写真です。

 これはこれでいいのですが、わたし個人としては、ちょっとした隙間をちょろちょろ流れる泉町の湧水のほうが好きです。

 さて、泉町湧水群のランドマーク的な水路を探して歩いてるのですがなかなか巡り合えません。このあたりは再開発地域のようで、大きな覆いをかけてたたずむ工事現場が目につきます。

 それと無住の荒廃した木造家屋がちらほらと目につきます。

 さて、昼になったのでコンビニで買ってきた握り飯をほおばりに北浅川の河原に向かいます。

 手前の河川敷の向こうに北浅川が流れています。

 このお化けのような木の近くでメシを済ませて、再び徘徊の途につきます。

 南松枝公園という公園を起点に歩き始めます。以下は近くの紅葉。

 泉町湧水群のランドマーク的な水路をこれから探すのですが、小生のような方向オンチにはなかなかホネです。一度などあちこち這いずり回ったあげく、元の南松枝公園に戻っちまうという体たらく。

 それでも人に聞き聞きやっとたどり着きました。なんと、南松枝公園とは目と鼻の先だったことが判明。

 ネット上で紹介されている泉町湧水群のランドマーク的な場所といえばたいてい上の写真です。

 

 これはランドマーク水路の一方の端っこ。今まで紹介してきた湧水路に近いたたずまいです。まあ、こういうほうが小生には性に合います。この水路の道をはさんだ向かい側では再開発が進んでいて、白い覆いをかけた中で作業が行われています。この写真を撮っているときにも、ニッカポッカ姿のお姐さんが路上を闊歩していました。

 湧水巡りはここまでにして帰途につきます。バス停に向かう途中、十字架を見つけました。

 これがカトリック泉町教会です。この教会が建てられた経緯は「1876年(明治9年)、当時はまだ外国人が居留地外に滞留にすることが困難な時代であったが、山上青年(山上卓樹)はテストヴィド神父を自分の村、下壱分方に招いた。キリスト教の自由、平等、博愛の精神に、大いに共鳴していたからである。村人たちはこぞって神父を出迎えた。その様子を山上氏は晩年次のように語っている。「横浜より神父を請し、ひとたびその教理の講演を試みるや、聴衆はくものごとく集まり、たちまちにして志願者は続出し…」(以上、カトリック泉町教会のホームページから引用)ということだそう。

 山上卓樹は、被差別への差別に抗議して自由民権運動に参加し、1878年(明治11)に聖瑪利亜教会(現カトリック泉町教会)を建てたという。

 さてお次は、少し先にある相即寺に向かう。

 境内にある「ランドセル地蔵」のレプリカ。

 

 背中にランドセルをしょっている。本物は背後の地蔵堂に安置されている。以下は堂前の説明パネル。

  下は堂内に保管されている本物のランドセル地蔵。

 はーい、以上でThe endざーんす。

 

古代の砂漠に花一輪。女だてらに勇猛果敢、でっかい帝国おっ建てた。その花の名はパルミラ女王ゼノビア。だけど、ここに登場するゼノビアさんは、えっちょっと、とたじろうじゃうかもしんない女王さま・・・なの。⇒パルミラ幻想

アステカ帝国の興亡と帝国末裔の民が新国家「アストラン」を樹立し、435年後にオリンピックを招致・開催するまでにいたる物語⇒アステカ物語

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♪神話に生き、神話に殉じて滅んだ中世の古代帝国「アステカ」

2017-10-07 21:18:40 | 日記

 まやいんか、あすてからやりゃいいべ・・・ってな感じで延ばし延ばしにしてきたおさそいのページをやっと作りました。

 マヤ王国、インカ帝国、アステカ帝国など数ある「謎の中南米古代文明」のうち、いちばん最後にほぼ時を同じくして滅んだ(滅ぼされた)のはアステカ(1521年滅亡)とインカ(1533年滅亡)です。中南米古代文明というのは鉄と車輪を知らない、いわば新石器時代のままに大きく進化をとげた古代社会であり、世界のほとんどが中世の真っただ中にあるなか、唯一古代の衣をまとって中南米にひっそり生息していた冗談としか思えない奇跡の文明たちです。

 古代マヤでは、早く酩酊して神に近づこうと酒を浣腸していました。

 古代アステカでは、戦争の捕虜をピラミッドのいただきで生贄に捧げ、その心臓を太陽に献じるとともに、生贄の手足を食べました。

 文字を持たなかった古代インカでは、キープと呼ばれる結縄で情報を保存。キープの色、結び目の数・形・位置などで主に数字を表現しました。日本の相撲レスラーのサガリみたい。
 アステカ人は
「太陽は宇宙の暗黒を照らし、夜と死と悪の恐怖から人類を救ってくれる。この太陽の力が弱まれば、日照りや豪雨,雷、そして火山の爆発、地震などが襲い、人間が永遠の破滅に陥る。だから,太陽の力が弱まらないように、夜な夜な虚無の暗黒と戦う太陽に力を貸さねばならない。太陽は、夜の闇の中の無数の星と戦っている。その星の数のようにたくさんの捕虜を戦争でつかまえて、いけにえに捧げなくてはならない。一人一人の捕虜が、一つ一つの星に相当する。破壊的な宇宙の力ときわどい戦いをつづける太陽に栄養を与え、人間の世界の生存を確保するために、いけにえの捕虜はピラミッドのいただきで虐殺され、どくどくと流れるその血や、生身からとり出された心臓は,太陽に捧げられねばならない」
というきわめて強い固定観念をいだいていました。これは神話に由来するものです。現代の科学が明らかにしてきた客観的な宇宙の実像を知らなかったアステカ人は、いにしえより伝えられてきた神話によってしか神羅万象(宇宙)を理解することができませんでした。神話こそが彼らにとっては現代の科学と同等の無謬性を有していたのです。

アステカの首都「テノチティトラン」想像図
 
 そのアステカを滅亡の淵に追い込んだのはエルナン・コルテスというエスパーニャ(スペイン)人です。アステカの神話にはケツァルコアトルというかつて国を追われた神がおり、この神が自分はやがて帰還をはたすであろうと予言をしたまさにその年にコルテスが現れ、アステカの王は恐れおののいて、結局その思い込みがアステカ滅亡への引き金をひくことになったのです。
エルナン・コルテス
(the history notesより引用)
 
 そのアステカ滅亡に至るまでの詳しい経緯を偏執狂的なまでに詳細に生々しく書きしるしていた人物がいて、それはコルテス軍の一兵卒ベルナール・ディアス・デル・カスティーリョという男でした。このディアスの手記は日本でも翻訳されていて、「メキシコ征服記」というタイトルで岩波書店の大航海叢書エクストラシリーズの一環として出版されており、図書館で読むことができます。ただ中世人特有の語り口のくどくどしさ、冗長さ、デティールへの執拗なこだわりといったものにひたすら耐える覚悟が要ります。
ベルナール・ディアス・デル・カスティーリョ
wikipediaより引用)
 
 ところで、アステカ帝国の都(テノチティトランといいます)のあった場所は今のメキシコシティの中枢、大統領の執務する国立宮殿やカトリック教会の総本山メトロポリタン・カテドラルなどのひしめくソカロ(中央広場)のど真ん中にありました。テノチティトランは湖中に浮かぶ島の上に築かれた壮麗な都市で、エルナン・コルテスにひきいられたわずか600人ほどのエスパーニャ軍がこの都を破壊しつくしました。湖は都があった島もろとも埋め立てられ、その造成地の上にエスパーニャ人が築いたのが今や世界第7位の人口をほこるメキシコの首都、メキシコシティです。
 ここで「もし・・・」の話になります。もし、アステカの遺民たちがある指導者にひきいられてどこかしかるべき土地に移住し、そこで幾世代も生き延び、やがて独立して新国家を樹立したとしたら。アステカの魂はその国で脈々と息づいて現代に至り、しかも、その国でオリンピックが開催されたとしたら。そしてその国の所在位置が現在のテキサス州だったとしたら。
 テキサス州、そしてカリフォルニア、ネバダ、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコ、フロリダの各州は、かつてはメキシコ領だったのです。アメリカは武力と金(買収)にまかせてこれらの広大な土地をメキシコから奪取しました。だから、テキサスの一州ぐらい、アステカの子孫が自領として現在まで守りぬいていたっておかしくはないと思います。
上の地図の黄色い部分がかつてのメキシコ領
塩はうまくてまずいです」より引用
 
 で、そのアステカの遺民らによって建てられた新国家の名前は「アストラン共和国」といいます。首都はテハス(テキサスのスペイン語読み)です。この地で開かれたオリンピックとはですから、テハス・オリンピコ(オリンピック)ということになります。
 アステカ帝国の生い立ちから滅亡、そして共和国として再生し、ついにはオリンピックまで開催されるに至るまでの遠大な歴史小説を書いてみたいと思いました。はからずもアストラン建国の父となってしまった主人公にそれを語らしめるというかたちで。タイトルは当初は「テハス・オリンピコ」としましたが、やはりアステカのヒストリーなので「アステカ物語」に改題しました。
 この小説の大半はコルテス軍によるアステカ攻略にさかれており、そこの部分の記述は前記ベルナール・ディアス著「メキシコ征服記」の流れにほぼ沿っていて、ディティールなどもほとんどそのまま踏襲して話を進めています。
 ところで、コルテスが初めてアステカに接触した頃は、現地の人々はアステカとは呼ばず、メシトリ神に由来するメシカと呼んでいました(ずっと昔にアステカと呼ばれていたこともあります)。アステカというのはアストラン人という意味で、アストランとははるか北の辺境にあるというメシカ族発祥の地です。で、「アステカ物語」においてもアステカとは言わずメシカとしています。かなり長いですが興味を感じられた方は ↓ からどうぞ。

アステカ物語

 

 

♪潮の満ち引きはなぜ起こる

2017-10-05 18:06:11 | 日記

 潮の満ち引き(潮汐)はなぜ起こる。これは古くて新しいけっこうやっかいな問題なのだ。よく見られる説明としては、地球の月に面した側においては月の引力に引っ張られて海水が上昇して満潮になり、その反対側(裏側)では地球の自転の遠心力などによりこちらも満潮になる・・・といったものだ。この説で問題となるのは地球の裏側だ。地球の自転による遠心力といってるけど、残念ながら地球の自転の遠心力は地球の裏側だけではなく、地軸を中心とした地球の回転面すべてに及んでいるはずである。だからこの説はやっぱりおかしい。ま、これは小学生レベルの子供だましの説明といえるだろう。

 で、ちゃんとした説明としては次のようなものがあるようである。

1.月の真下の(月に面した)海面では月に最も近いため、月からの引力は地球の中心よりも強く働いており、より強く月に引きつけられる。そのため、上向きの力が働いて満潮になる。逆に月の反対側の海面では月から最も遠いため、地球の中心よりも弱い引力しか働いていず、そのため残りの地球のほうがより強く月にひきつけられ、海はあとにとり残されて海水がうしろに置き去りにされるようなかたちで見かけ上上向きに力が働いて満潮となる。

2.月と地球は共通の重心のまわりを周期27日で互いに公転している。地球の月に面している側の海面では、月の引力が最大となるので満潮となる。逆に月の反対側の海面では月の引力は最小となり、月ー地球共通重心に対する公転による遠心力のほうが月の引力よりも優勢になるのでやはり満潮になる。

 1の説も2の説も、月に面した側の海面と月の反対側の海面では上向きの力が働くという点で一致している。それならその両側においては、海面だけでなく地表上のあらゆる事物(人間も含めて)に対しても上向きの力が働くはずなのではないのか。海は液体で、しかもカスピ海なんかよりも圧倒的にでかいから見かけ上の力の作用も派手に現れるとでもいうのか。

 確かに地表も引っ張られはするけれど、さすがに月の引力程度の力では動かされない。しかし動きやすい海水は、その程度の力であっても上へ引っ張られてしまうのだ。カスピ海など、大きな湖沼においても規模は小さいが潮汐はあるという。

 まあ、それはおいておくとして、月の反対側における上向きの力の説明として、1の説では、引力からとり残された海面には見かけ上上向きの力が働くとしているが、これは正しいのかどうかはわからないけれど日常感覚とはどうもフィットしない。

 というわけで、2の説のほうがもっともらしい気がする(JAXA(宇宙航空研究開発機構)の運営する宇宙情報センターというサイトの月の引力が引き起こす潮の満ち引きという記事でもこの説をとっている)。確かにもっともらしいのだが、月ー地球共通重心に対する公転による遠心力なるものをどうとらえるかが問題だ。そう簡単なことではないので、そのへんのところを以下に解説していこう。

 宇宙の星というのはすべて何らかの運動を行っている。すべての星は公転(何かしらの周りを回る)をし、ごく一部の例外をのぞいてはほぼすべての星が自転(自分自身が回転する)をしている。

 月は地球の周りを公転しているといわれる。月の満ち欠けが周期的に見られるというのがその証拠というわけだ。その周期は29.5日で、旧暦(≒太陰暦)ではこれが1ヶ月の長さとなっている。

 しかし、実際の月の公転周期は29.5日ではなく27.3日である。では、月の公転周期とはいったい何なのか?

 順を追って説明していこう。まず月と地球は、両者の中心を結ぶ直線上の一点(共通重心)を中心として互いに回転運動をしている。つまり互いに公転し合っているのだ。この共通重心というのは、地球のほうが圧倒的に重いので地球の内部にもぐったところにある(地球半径の約27%の深さのところ)。下図のB点が共通重心である。月と地球は互いの引力によって引かれ合い、共通重心の周りを互いに公転し合っている。月が誕生する以前の地球は地軸が安定せず、グラグラ揺れていたという。その揺れが止まったのは、月ができて、月と地球とが互いの引力によって引かれ合い公転し合うことで地球の地軸が安定したからだ。

 ところで、下図を見るかぎり共通重心から最も近い地表面の遠心力が最小で、その裏側の地表面(共通重心から最も遠い地表面)では遠心力が最大となるような気がする。しかしことはそう簡単ではないのだ。そこらのことはもう少しあとで明らかにしていこう。

図1 

 さて、公転周期とは何かというと、共通重心の周りを月と地球が公転し合う周期のことだ。それが27.3日なのである。この周期にまったく同期して、月は1自転する。つまり月の自転周期=月の公転周期である。その結果、月は常に同じ面を地球に向けたまま地球を一周する。

 ではなぜ月の公転周期と月の満ち欠け周期は一致しないのか。月と地球とは、前述したように互いの共通重心を中心として公転し合っている。そしてこの共通重心は、太陽の周りを365日かけて1周する。これがいわゆる地球の公転である。地球が太陽の周りを公転するというより、月と地球の共通重心が公転するというわけだ。さて、月と地球とが公転し合う周期である27.3日の間にも共通重心は太陽の周りを回りつづけている。すると、下図で見られるように満月もその分だけ回った後に訪れることになる。

【地球と宇宙】 月の満ち欠けの周期と月の公転周期がずれる理由 ☜参考までに

 このずれ(2.2日)が27.3日に加算され、29.5日の月の満ち欠けの周期となって現れる。

 では、本題の潮の満ち引きについてはどうであろうか。図1において地球の公転というものをどうイメージすればよいか。地球は自転をしているが、この自転は回転軸(地軸)の回りをクルクルまわる回転で、その回転による遠心力は軸に垂直に外側に向かい全地表面に作用しているので、月に面した側とその裏側とで相殺しあって潮汐には関係ない。

 さて地球の公転はどうか。非常に誤解しやすいのが、共通重心を中心に地球が公転するイメージを、地球を丸いボール紙として、その共通重心に画びょうを差し込んでボール紙をグルグル回転させる様子を思い描いてしまうことである。このイメージでいくと、共通重心から最も近い地表面の遠心力が最小で、その反対(裏)側の地表面(共通重心から最も遠い地表面)では最大となる。だがそう考えてしまうのは、先ほども述べたごとくついおちいりがちな誤解なのだ。

 実は潮汐に関係する地球の遠心力は、現実には下図のようにその大きさも向きも場所を問わずどこも同じなのだ。

 

 以下にそれを説明しよう。実は、共通重心を中心とした地球の公転のイメージというのは下図2(gifアニメ)のようになるのだ(実際には地球は自転もしているがそれは無視している)。太陽だって、地球との共通重心に対して同様な公転をしている(図3)。ただ太陽と地球の場合、あまりに巨大な質量比をもつ星同士なのでその共通重心は太陽のごく中心ちかくにあり、その公転も超ごくわずか(ほぼゼロ)である。ただし、木星は質量が巨大なため太陽との質量比は地球の場合よりも小さく、太陽との共通重心は太陽の外側(太陽表面から約4万8000キロメートル離れたところ)にある。つまり両天体間のごく太陽寄りの空間にある重心を中心にして互いに公転し合っている。

図2 赤色の十字が共通重心。地球と月のような質量比の大きな天体どうしの場合。月の質量が太陽系全体から見れば超極小なので他の巨大惑星からの影響はほぼ無視できる)

図3 地球と太陽のごとく質量比が極端に大きな天体どうし(共通重心が太陽中心に近くなっている)

図4 同じ質量の天体どうし(とびぬけて質量の大きい木星と太陽の場合は、太陽との共通重心は太陽直近になり、その共通重の周りを互いに回転(公転)する。そして、他の巨大惑星(たとえば土星)も太陽との共通重心を中心にして公転することになるので、お互いに影響が出てかなり複雑な運動を行う(Everything in the Solar System orbits the center of mass参照、真ん中の白丸=太陽、内側の惑星=木星、外側の惑星=土星)

以上の図はすべてwikipediaバリセンター(共通重心)より引用

 さて、上図2の地球と月の場合の地球の公転のみをドアップした図が以下だ(回転の向きがマッチしていないがご容赦)。

図5 (wikipediaより引用)

図6 (海の相談室より引用)

 上図上段の図5において、地球中心が共通重心を中心に公転している様子を赤丸で示してある。上図下段の図6を見るとわかるように、地球中心が共通重心を中心に公転すると、地球の他のあらゆる位置も地球中心と同期して地球中心とまったく同じ公転運動を行う。これらの地球中心以外の位置での公転運動群は、共通重心に相当する仮想的な重心を中心として回っている。そして地球のあらゆる位置に存在する物体は、その公転運動に伴ってなされる上下運動はするもののその向きは変わることはない。その様子を示したものが図5である。

 さて、月は地球の引力に引っ張られて落ちつづけながら地球の周りを公転している。そして地球も同様、月の引力に引っ張られながら上図のような公転をしている。このとき、月中心と地球中心には引力とは真反対方向に遠心力を生じている。

 地球の公転運動は、月ー共通重心ー地球中心を結ぶ直線の回転運動(この直線を回転直線1と呼ぶ)ととらえることもできる。この回転直線の一方の端である地球中心には、月の引力とは真反対方向に遠心力が生じている。そして、先に地球中心以外の位置での公転運動群には共通重心に相当する仮想的な重心があると述べたが、それらの各運動群には仮想重心だけではなく仮想的な月ー共通重心ー地球中心(ここから遠心力が生じている)を結ぶ回転直線というものも考えられ、その回転直線群が回転直線1に同期して運動していると考えることもできる。さらに上図6を注視してみると、各回転直線は回転はするものの各直線相互間は平行関係にあることがわかる。で、この回転直線群のある一瞬を切りとった図が以下である。

図7 (潮汐力(起潮力) - FNの高校物理より引用)

 上図7において、Fは地球中心、F’(G)は共通重心、FーF’(G)を含む直線が上記でいう回転直線1である。そしてA’~E'は仮想重心、A-A’~E-E’を含む各直線群が、上記でいう地球中心以外の位置において互いに平行関係にある回転直線群だ。A~Fから月中心方向に向けて作用している力は月の引力、A~Fから月とは反対方向(真反対なのはFだけ)へ向けて各々平行に作用している力は遠心力である。これらの遠心力は皆同じ向きだが、大きさも皆等しい。仮想重心A’~E'を中心とした公転運動と共通重心F’(G)を中心とした公転運動とがまったく相似で速度も軌道もまったく同じだからである。これが、先ほど述べた「潮汐に関係する地球の遠心力は、その大きさも向きも場所を問わずどこも同じである」ということの理由である。

 潮の満ち引きを引き起こす力を潮汐力という。この力は上図7において、遠心力と月に向かう月の引力との合力である。下図は地球のさまざまな位置における合力(潮汐力)の様子を示したものである。

 潮汐力が最大になるのはA点とD点で、月から最も遠いA点での潮汐力は「遠心力ー月の引力」である。このA点では月の引力は最小で遠心力より弱くなり、海水は遠心力で上に引っ張られて満潮になる。地球の月に面した側のD点では、月との距離が最短となるため月の引力は最大となる。したがって、この点の遠心力は月の引力に負けて「月の引力ー遠心力」という上向きの力が働き、海水は持ち上げられて満潮となる。他のB、C、E点での合力(潮汐力)はA、D点でのそれよりは小さく、その向きも上向きとはならないので、その力はA、D点での合力よりもずっと弱くなる。

 結局、地球中心ー共通重心ー月を結ぶ線上の月から最も遠い点(A点)と、最も近い点(D点)で満潮が起こるというわけである。地球中心での潮汐力は、遠心力と月の引力とがつり合うためゼロになる。

 そして上記の線と直角をなして地球の中心を貫通する線上にある海では、満ち潮に海水をもっていかれるために水位が下がり、引き潮(干潮)となる。
 いま、月に面した側で満潮となった海は、地球の自転とともに干潮点に達し、地球の裏側で再び満潮となり、さらにもう一つの干潮点に達した後、満潮点に戻って一日が経過する。一日に同じ海で、満潮と引き潮が二度ずつ繰り返されるわけだ。

 ところで、地球のみの公転をドアップした図5と、地球と月どうしの公転の詳細を表した図6を前に示したが、なぜあのような運動になるのかを別の視点から考えてみよう。下図を見てほしい。

 これは地球である。共通重心Gを中心として公転している。地球のあらゆる部位にはこの共通重心Gから遠ざかろうとする遠心力が生じているはずである。その様子をベクトル図で示してある。赤矢印が遠心力である。この遠心力は図からわかるように、月とは反対方向の成分と地球重心とは真反対方向の成分とに分解できる。これらの2力は遠心力の分力なのでやはり遠心力である。つまり、月とは反対方向の成分=月とは反対方向の遠心力、地球重心とは真反対方向の成分=地球重心とは真反対方向の遠心力である。そしてこれらの力は地球のあらゆる部位で同時に働く。

 さて、上図の地球円周上のH点におけるベクトル三角形HKIと地球内の三角形GFHとは相似だ。同様に、L点におけるベクトル図三角形LOMと地球内の三角形GFLとは相似だ。そして他の地球円周上のベクトル三角形についても同様のことが言える。よって、地球円周上の各々のベクトルにおける「月とは反対方向の遠心力」は、地球内の三角形の一辺であるGFに比例する。このGFは、どの地球内三角形の場合でも常に同じ位置・同じ長さだ。ということは、各ベクトルの「月とは反対方向の遠心力」は常に同じ大きさ・向きになる。これは地球内部、たとえば上図P点におけるベクトル図においても同じことが言える。

 また、地球円周上の各ベクトルにおける「地球重心とは真反対方向の遠心力」も地球内三角形の半径成分に比例し、よって地球円周上のどのベクトルでの「地球重心とは真反対方向の遠心力」も常に同じ大きさとなる。よって、「地球重心とは真反対方向の遠心力」というのは、地球円周上のあらゆる点において、地球重心とは真反対方向に向け同じ力で同時に作用することになるから互いに打ち消しあい、地球公転には無関係である。

 残るは先述の「月とは反対方向の遠心力」だけで、これだけが地球公転の産物であり、潮汐を引き起こす原因ともなる。

 またどのベクトルでもいいのだが、たとえば地球内部でのベクトル図におけるP点をどんどん地球中心に向けて近づけていくと、PQの長さ(月とは反対方向の遠心力)は変わらないが、Gに対する遠心力(赤矢印)はどんどん小さくなっていってやがてPQと一体となり、そしてそれは地球中心(重心)F点に働く「月とは真反対方向に作用する遠心力」と合致する。

 以上に説明した「月とは反対方向の遠心力=月とは真反対方向に作用する遠心力」とは、先にいろいろ解説してきた地球公転の産物としての遠心力を力学的な切り口で示したものである。こうした遠心力が働きうる地球の運動というのが先の図5、図6、図7に示した地球の公転図となるわけだ。

 地球が共通重心を中心に公転するというのは、共通重心周りを回っている月の運動に地球が追随して(つられて)回転するといった機構であるが、以下にその機構のイメージ図(gifアニメ)を示す。

潮汐についてより引用

 真ん中にあるのは地球。赤い小さな丸は共通重心。外を回っているのは月。水平に引かれた赤線は便宜的なもので、地球が自転していない(自転は無視している)ことを示す。地球は月の公転に追随して共通重心の周りを公転している。

 赤線上で回転している青い矢印は上述した遠心力である。地球の中心点(重心)に働く遠心力は共通重心の真反対向きに作用している。そしてこの図では省略してあるが地球のその他のあらゆる部分(点)には仮想重心が存在し、その点に対して真反対向きに一様に働く遠心力(地球中心の遠心力と等しい)が働いている。赤線の両端の矢印はそのごく一部の遠心力である。

 ところで、本記事の冒頭で潮の満ち引き(潮汐)はなぜ起こるかという問いに対し2つの答えを示しているが、あれの1のケースは、どうもうまくフィットしないという理由でうやむやにしてしまったが、実は間違いとは言えないのだ。遠心力を使わない潮汐の説明なのである。

 ところで話はこれだけでは終わりません。今まで述べた潮汐力の様子を図にすると以下のようになるのですが

 実は現実的には下図のようになっているともいわれているらしいです。

  90度(この角度はいろいろなのかもしれません)ひっくりかえっています。

 今まで述べてきた潮汐力の解説は、地球が一様な海水で覆われていて大陸・島嶼 は存在しない、また 海底と海水との摩擦はゼロという仮定(平衡潮汐論(海面がラクビーボールのようになるのはどうして参照))をもとにしたもので、現実の地球の様相とは大きく異なる。上記参照サイトによれば現実には

1.水深の分布は一様ではなく不規則まちまちであり、大陸や島嶼が散在 していて、それらが海水の移動を阻害する。

2.海水にも慣性や摩擦があるため、すぐには潮汐力が追従できないこと。

などがあるため、天文学的理論から導かれた潮汐力のとおりには潮汐は起こらない。

 ところで、太陽も地球に引力を及ぼしているから、太陽による海の満ち引きへの影響も当然ある。しかし、太陽の引力は月の引力にくらべて弱いので、海の満ち引きを起こす力(潮汐力)も弱い。月の潮汐力にくらべ、約半分だ。
 太陽-月-地球の順で一直線に並ぶときの月を新月という。この時期、地球の月に面した側では、月と太陽の引力による満潮が同時に起こるから、潮汐力は最大となる。これを大潮という。また、太陽-地球-月の順で一直線に並ぶときの月が満月だ。この時期、地球の太陽に面した側では、地球の遠心力と太陽の引力による満潮が同時に起こるから、やはり潮汐力は最大となる。これも大潮である。
 世界最大の大河、アマゾン河では、新月と満月の時期になると、河の流れと大潮とが激突し、河水が大音響を発して逆流するそうだ。そういえば、この逆流波に乗ってサーフィンするサーファーたちの映像をテレビで見た覚えがある。

 

古代の砂漠に花一輪。女だてらに勇猛果敢、でっかい帝国おっ建てた。その花の名はパルミラ女王ゼノビア。だけど、ここに登場するゼノビアさんは、えっちょっと、とたじろうじゃうかもしんない女王さま・・・なの。⇒パルミラ幻想

アステカ帝国の興亡と帝国末裔の民が新国家「アストラン」を樹立し、435年後にオリンピックを招致・開催するまでにいたる物語⇒アステカ物語

宇宙の謎・地球の謎の迷路をへ巡る謎パーク別館⇒Sui族館