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禅と薔薇

高島市 曹洞宗 保寿院 禅の話と寺族の薔薇のブログ

徳目

2015年02月02日 | 小さな法話
お釈迦様の最後の説法であるとされる経典を
「仏垂般涅槃略説教誡経(仏遺教経)」といいます。

ここには「八大人覚」が説かれています。
欲を少なくすること、足るを知るということ、努力を続けるということ、
座禅をして動じないこと、物事を正しくとらえる心の眼を持つこと、
一方的に偏った立場から論議をやめ心を穏やかすることなどが説かれています。

この八つは、基本的な徳目として、私たちにその実践を示されたものです。

薫習

2015年01月27日 | 小さな法話
あるお家にお参りした際に、「きょうはこの線香を使ってください」と持ち出されたのは、とてもよい香りのする線香でした。
火を点じるとかすかな煙とともに、その香りが広がっていきます。
お参りの後、いつものようにお家の方と世間話をして、自坊に帰り着きます。
着替えようとしたその時も、まだ香りがあたりを漂っています。

「薫習」という言葉があります。
本堂の中のように、長い間、微量の香で薫じられていて、いつのまにかその香りが建物にうつっているように、
私たちの行動も好ましい行動に薫じられていくのです。
それが、よい香りでありたいものです。

私たちは、そのまわりの香りを選ぶことも大切です。
また、私たち自らが、よい香りとなることも大切です。

家庭であれ、社会であれ、よい香りが満ち溢れることが望ましいことです。

その香りとは、「慈悲心」です。

床坐施

2015年01月26日 | 小さな法話
電車に乗っていて、席を譲る場面に出会うことがあります。
布施行のひとつにある「床坐施」にあたります。

「この人はお年寄りだから」とか、「この人は妊婦さんだから」といった場合が多いのですが、
ひょっとしたら、若い男性でも体調の悪い人があるかも知れません。
本当に席を必要としている人は誰かはわかりません。

布施行は、私がさせていただくものです。
かわいそうだからと行うものではありません。
だから、「ありがたい」と思って行うのが、布施行です。

時には、坐らないことも布施行です。
仕方なく譲ることは、布施行ではありません。


ざぜん

2015年01月24日 | 小さな法話
「ざぜん」を漢字で書くと、「坐禅」あるいは「座禅」と書きます。

すわる場合は、「坐禅」と書きます。

「坐」とは動詞で、行動です。
「禅」の「しめすへん」は神の居場所を指す言葉で、「ひとえ」は裏地のない着物をいいます。
土の上にふたりの人がおり、自然の中の大地に、主観的な自分と客観的な自分が一体となって坐っているのです。

自分は、自然の中に受け入れられるのです。
すべてが受け入れられるのです。
受け入れられることが「空」です。

折本

2015年01月22日 | 小さな法話
昔は、お経は巻物に書かれていました。
これを歌を詠むようにゆっくりと唱えていたそうです。
ゆっくり唱えることは、案外難しいものです。
慣れたスピードで唱えることの方が、スムーズです。

巻物であった経典は、後の時代になって、折本(おりほん)という形になりました。
今日の一般的な形です。
唱えたり、また保存がしやすい形となったようです。

経典は、仏の教えを文字として表したものです。
文字の表面を読むのではなく、まさに「仏の教え」を唱えることです。