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禅と薔薇

高島市 曹洞宗 保寿院 禅の話と寺族の薔薇のブログ

不殺生戒

2015年01月20日 | 小さな法話
仏さまの戒めには様々なものがあります。
例えば、「不殺生戒」があります。生き物を殺生してはいけないということです。

台所にゴキブリが出たらとっさに叩いたりします。
蚊に刺されて痛いと思ったら反射的にたたきます。
歩いていて知らず知らずに蟻を踏みつぶしたりすることもあるかもしれません。

トンボが蜘蛛の巣にかかりました。
トンボを助けると、蜘蛛が餓死するかもしれません。
トンボの命と蜘蛛の命。

毎日の食事で、ほかの生き物の命をいただいているかもしれません。

生き物を殺生してはいけないということは、大変難しいことです。

だから、懺悔して、感謝して、生きていくのです。

持戒

2015年01月17日 | 小さな法話
この社会には、さまざまなルールがあります。
人間が人間を律するためのもので、もっとも優れたものとは限りません。
ルールを守らないことは、社会的にはよくないことですが、この世の中に生きるものとしては、それがすべてではないのです。
この世に生きるものは、人間だけではないのです。

仏教では、仏教徒が守らなければならない戒めがあります。
その戒めは、他から強制されるものではありません。
その戒めは、自分の中に「持つもの」です。

それを「持戒」といいます。

受想行識

2015年01月16日 | 小さな法話
18日の写経会では、般若心経を写経します。

般若心経に「受想行識 亦復如是」という言葉があります。
「受」とは、人間の体が現象から受け取る感覚のことです。
  匂いがするのを感じるといったことです。
「想」とは、心の中にその現象の名前や認識現れる瞬間のことです。
  匂いがいい匂いで、昼食のようだということです。
「行」とは、心の中に芽生えた「想」によって導かれる判断や意志のことです。
  そろそろ昼食なので、おやつは控えようということです。
「識」とは、「想」と「行」で得られた結果から蓄積されていく意識や知識のことです。
  夕食が遅くなりそうだから、おなかいっぱい昼食を食べておこうということです。

「亦復如是」とは、これらは同じことであるということです。
何に同じかというと「空」と同じということです。

kuu

2015年01月15日 | 小さな法話
「空」とは、こだわりのない心です。
余計な執着を持たないことです。
とかく、執着する人間にとって難題なのですが、執着しないことです。

さらに「悟りたい」と願うことも欲望となりますから、これも断つべきなのです。

般若心経は、「この世は空である」と説いています。
そして、あなたも「空」になって「すべてと等しく」 と説いているのです。

「すべて」とは、仏教も人も自然も、すべてなのです。


冷暖自知

2015年01月14日 | 小さな法話
一服のお茶をどうぞ、といただいたお茶。
飲もうとすると思いのほか熱かった といった経験はありませんか。

目で見るお茶は、色や量はわかりますが、温度まではわかりません。
熱が伝わらない茶碗だと、それは想像するしかありません。
つい、「大丈夫」だと勝手な解釈をして口にします。
すると、「熱くて」ということになりかねません。
隣の方が飲んでいるお茶が、私には熱いことがあります。
これはお茶だけでなく、食事にもいえることです。


禅語に「冷暖自知」があります。
お茶が熱いかどうかは、飲めばわかることです。
眼で見て熱いかどうかを判断するのではなく、自分で感じ知るということです。

「坐禅」も、「仏」を体で感じることなのです。