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禅と薔薇

高島市 曹洞宗 保寿院 禅の話と寺族の薔薇のブログ

新芽

2015年02月21日 | 小さな法話
立春も過ぎ、いよいよ春の訪れを感じます。
春夏秋冬、時は一時も立ち止まることなく過ぎていきます。
時だけでなく、すべてのものが常に移り変わっているのです。

先日まで大きかった雪の塊が、どんどん小さくなっていきます。

「氷」がとけたら何になる?とある先生が尋ねたそうです。
「水になる」と、生徒は答えたそうですが、
そのうちのひとりは「春が来る」と答えたそうです。

では、私たちの「安心」に至る道は、どんな道でしょう?

ミニバラのミス・ピーチヒメが芽吹き始めました。
もうすぐ薔薇の季節です。

最後の説法

2015年02月19日 | 小さな法話
お釈迦様の最後の説法であるとされる経典を「仏垂般涅槃略説教誡経(仏遺教経)」といいます。
ここには「八大人覚」が説かれています。
「八大人覚」には、欲を少なくすること、足るを知るということ、努力を続けるということ、座禅をして動じないこと、物事を正しくとらえる心の眼を持つこと、一方的に偏った立場から論議をやめ心を穏やかすることなどが説かれています。
この八つは、基本的な徳目として、私たちにその実践を示されたものです。
当山では、枕経にはこの「仏遺教経」を読誦し、功徳をいただくのです。

三界妙夫人と愛徳夫人

2015年02月12日 | 小さな法話
涅槃図には、多くの仏・菩薩・神々・弟子・信者や動物などがお釈迦さまの入滅を悲しんでいる様子が描かれています。

その中には、諸王の夫人がいます。
集まった夫人はもともと衆生済度のため夫人の身をした人たちで、常に空、無相、無願の法をもって修行されていました。
その諸王の夫人の中で、目を引くのが三界妙夫人と愛徳夫人です。

この夫人は早くお釈迦さまのみもとへ行こうと、他より多くの供物をお供えします。
そしてお釈迦さまの御足を礼拝し、仏身を巡り、「お釈迦さま、仏とお弟子の方に供養の品々を調えてまいりました。どうかお慈悲を持って最後の供養をお受けください。」とお願いしましたが、何の答えもありません。
その思いを果たせない夫人たちは髪の毛をかきむしり、胸をうって泣き伏しています。
ですから、この夫人たちの悲しみは「最後の供養」を受けてもらぬ苦悩が主因なのです。

お釈迦様がなぜ最後の供養を受かられなかったかというと、最後の供養は、宿世の縁で純陀が行う事となっていたからだと言われています。

無常偈

2015年02月11日 | 小さな法話
道元禅師は、「生死すなはち涅槃とこころえて、生死としていとふべきもなく、涅槃としてねがふべきもなし。このとき、はじめて生死をはなるる分あり」と説いておられます。

お釈迦さまの前世であった雪山童子の請いにたいして、羅刹に化けた帝釈天は、過去仏の遺された仏教の真理として無常偈を涅槃経のなかで説いています。
それが、「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」です。
この世の中のあらゆる存在や現象は常に移り変わっていて、ひとときも同じではないのが当然である。
この移り変わる無常の世界を当然として受けとめ、滅した寂滅の境地にいたることこそが、楽すなわち涅槃であると説いているのです。

五色

2015年02月09日 | 小さな法話
だんごまきの粉が用意できました。
14日には、たくさんの方により「おだんご」を作っていただきます。
このおだんごを「涅槃だんご」といいます。
当山では、このおだんごに色付けをします。
この色付けは、お釈迦さまの舎利が五色に輝いたことに由縁するものです。
五色とは、赤・白・黄・青・黒で、この世を構成する五大である、地・火・水・風・空をあらわしています。
このうち、黒を除く四色のおだんごを作ってお供えし、そのおさがりをまいているのです。

お釈迦さまが入滅された「クシナガラ」という町は、ひなびた田舎町だったそうです。
この地は、お釈迦さまの前世、六回にわたり王として治められた地であったということです。

さまざまなストーリーが由縁としてあることを知るほどに、
「ほとけさまの教え」は私たちが「生きてゆくための教え」であるのです。