足立君江 写真ライフ

ー東京の街・安曇野・カンボジア撮影記ー

   

笹本恒子写真賞を受賞

2018年06月22日 | 日常
    6月15日(金)に記者会見があり「笹本恒子写真賞」の発表が行われた。

 この賞はJPSが平成28年に創設し、昨年はアイヌの人々を25年間撮り続け、今も人々に寄り添って活動を続ける「宇井眞紀子」さんが受賞された。

今回の私の受賞理由は、「18年余りにわたって、カンボジアの農村地帯を訪ね、戦乱で荒廃した村で目を輝かしながら働く子どもたちの、未来に希望を託す姿に感動してまとめた一連の写真集、写真展での優れた表現に対して」の受賞となっている。

改めて、お世話になった皆様に感謝しなければならない。
2000年にカンボジアに入り、とうとう18年間通ったことになる。

帰国すると待っていたのは大量のモノクロのフィルムの現像作業、べた焼き、プリント・・・。だった。
最初は「何をすべきか、何ができるか。」
「写真とは何か、テーマは何か、写真の力を信じてみよう」と堂々巡りを繰り返した。
   
当たり前のように働いていたカンボジアの子どもたち、お母さんたちやお婆ちゃんたちのことが思い返された。
子どもたちは、厳しい条件の中で、ひょうひょうとして、なぜか人を引き付ける明るさがあった。
女性たちは飾り気がなく、野菜作りや予防接種、HIV、デング熱の話があると、いつも集まるのは女性たちでした。
子どもたちを通じて内戦後の様々な家庭事情を取材することが出来た。
知り合いになった子が、人身売買の犠牲になったり、捨てられていた子や、亡くなった子ども、タイ国境沿いへ移転した子も居た。
15歳で遠くの遺跡へ働きにいった子もいて、親は「もう大人だから帰ってこない」と言った。
行くたびに沢山の出来事に会ったことが、カンボジアへ行く原動力になった気がする。



多くのNGOやNPO法人などの団体の援助が必要な国であったが、唯一 1997年に、NPO法人フレンズ・ウイズアウト・ア・ボーダーによって設立した「アンコール小児病院」は、2013年にカンボジアの医師や看護師によって運営されるようになった。
2001年頃、出来たばかりの孤児院に訪れ、また病院の待合室での母子との出会いが村へ行くきっかけになった。


 義肢センターの親子。 障害を持った子どもたちやポリオの子どもたちを連れて、集まってくる。

シェムリアップの街は2009年頃、初めて信号が設置されたが誰も守る人はいなく、2012年になってもまだ認識されていない状態だった。
最近では、信号に秒数が表示され、整然と通行ができるようになったが、車やバイクも増えたため事故も多くなった。
シェムリアップの街は観光客であふれているが、村はまだまだこれからだ。

あの大虐殺の首謀者であったポルポト政権が終焉をむかえ、約40年近く経った。
人口が1600万人になり内戦後生まれた20歳から40歳代が活躍する時代になったが、充分な教育がなされていないことが、今後の課題になっていくと思う。

私はモノクロを勉強をするため、2001年に現代写真研究所の26期を終了した。
その後も所長である英伸三先生に、写真集など何かとお世話になりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

また地震だ

2018年06月19日 | 日常
 先日、群馬を中心とした地震があった。その前は千葉方面。

今回は阪神方面が震度6弱とは・・・。
日本列島は地震帯の上にあるが、どうにかして早めに気づく方法はないだろうか。
これは誰もが思うことに違いない。
今はどこで発生するかわからない地震に対して、今までの経験で備えるしかないのだろう。

火を消す、倒れそうな物の傍には寄らない、備えるものはとキリがないが、経験が人々に知恵を与え、準備を考えさせてくれるかもしれない。
とは言っても今回も犠牲者や倒壊した家屋が多く出たことは、同じことが繰り返されては困る。

個人的にできることは何か、公的に政府がするべきことは何か、列車、道路、水道、ガスが復旧すれば、支援物資も届くだろう。

昨日の帰宅困難者の行列を見たとき、あの時と同じだと思いだした。
3・11の震災の時は、私は半蔵門のJCIIビルで仕事中だった。
地震が来たとき、とにかく家族のことが脳裏に浮かび、連絡が取れないことにハラハラした時間であった。
少し落ち着いてJCIIビルを出発したのが午後4時過ぎであった。
途中の道路は車が渋滞して、救急車も通れない。
四ツ谷、新宿と歩き青梅街道を歩いて歩いて6時間。
途中の小さな店で運動靴を買ってハイヒールから履き替えた。
コンビニで何か買おうと思ったが、すでに何もなくポツンと残っていた大福を一つ買って「ありがたや~」と食べて又歩いた。

家に着いたのは夜の9時半を回っていた。

何事もなかったが、実は動かない方が良かったという。
伝言ダイヤルもあるし、様子を見て行動をとることが大事なことだ。
経験を活かして、次回はもう少し落ち着いて行動できる気がする。

今回、犠牲になった方のご冥福を祈り、被害を受けた皆さんが早く普段の生活に戻れるよう協力していきたいと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スナーダイ・クマエ孤児院の絵画展&写真展

2018年06月13日 | カンボジア
     「スナーダイ・クマエ孤児院絵画展2018」&「カンボジア写真展」が今年も準備されています。

      恒例となったこのイベントは、10年間続き、私も同時に写真展を開催してきました。
      今年は10周年記念として、新しい絵画、バナナペーパーによる商品、車谷さんの音楽イベントが計画されています。

      思い返せば、カンボジアの孤児院を最初に訪れたのが2000年、それ以来18年も付き合いが続いている。
      経営するメアス博子さんには、頭が下がる思いだが、ゼロから始めた彼女の功績は本当に大きい。
      子どもたちは成長して、すでに社会人として立派に巣立った子もいるが、途中で家族のもとへ帰った子や亡くなった子もいる。
      内戦後、沢山の事情と歴史を背負いながら、ここまできたことを考えると、私もカンボジアの孤児院や子どもたちや人々と、人生を共にしてきた気がする。

今年の絵画展の日程は 

日 時  7月6日(金)、8日(日)、9日(月)、7日の土曜日休館


場 所  日本アセアンセンター  地下鉄 虎ノ門駅 A4出口から1分

子どもたちの絵画と共にお待ちしています。

その前に、ちょっと調べることがあり、カンボジアへ出かけてきます。

日程は 6月27日~7月4日まで。

5日は午後から飾りつけだから、だれか手伝ってくれるとうれしいです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする