足立君江 写真ライフ

ー東京の街・安曇野・カンボジア撮影記ー

   

川沿いの家族

2016年07月23日 | カンボジア
 シェムリアップの街を南北に走るシェムリアップ川は、雨季になると時々氾濫する。
大雨の時は市内のシバタ通りまで水浸しになるので、川はもちろん氾濫する。
   
 雨があがると子どもたちが大好きなダイビングがはじまる。

トンレサップ湖周辺の田畑を潤しながら、アラン村あたりで水草やゴミなども集まり、川幅整備の対象となっていた。
町の上流はすでに多くの家族が立ち退いて、ウエル村に移転したようだ。
以前、アラン村のア・ラーさん一家を訪ねたとき、村の人たちが集まり、移転に反対する話し合いをしていた。
話によると、立ち退き料が600$とのこと・・・。
全てが値上がりしているなかで、到底納得できない金額!・・・。

今回、ア・ラーさんの家族を訪ねると、すでに立ち退きをした後で、跡地やその周辺の土地は韓国が買ったと村の人は話していた。
ア・ラーさん家族はウエル村に移転したが、町まで距離があり田んぼはもちろん野菜を作る畑もなく、ただ区画整理された一角が与えられた。

   
 ブリキの家が並んでいるところもあるが、村の人は、この場所は韓国のNGOが整備したという。
ア・ラーさんは仕事の手段もなく、また引き返してきたという。
アラン村の近くにボー村があり、その市場の近くに家を借りて住んでいるという風の便りであった。
市場あたりをウロウロしてみたが、その家族に出会うことはなかった・・・。

今回も私はその引っ越し先となっているウエル村に行ってみることにした。
コントローク村を過ぎて、田んぼの中に、新しくできた道を左へ大きく曲がって15分ほど走るとウエル村になる。

   すっかり区画整理され、空き地にはトイレだけがボコボコと立っていた。

今回はバイクの相棒が、ここに知り合いがいると言うので尋ねることに・・・。

  
  その家族は引っ越してきて、古材を使い家をたて、ここに来てから新しく家族が増えて赤ちゃんを囲んで暮らしていた。
父親は何をしているのかと聞いたところ、バイクのガイドだと言うが、英語も日本語もできなく、自国語のクメール語だという。
バイクがあれば町まで出かけることはできる。

町の上流1キロの場所にプーム・トリアン(村)がある。
この地域は政府の土地があり、そこにすでに住みついて、ひとつの長屋のような一角が出来ていた。
ここも川の流域にあたり、家々には赤いスプレーで大きく番号が書かれていて、これは何かとガイドに聞くと、これはすでに立ち退きをするための管理の番号だという。

細い路地で遊ぶ子どもたちを見ると、日本の戦後、路地で遊ぶ子どもを見事に作品にした、土門拳や木村伊兵衛のコマ回しや刀を振り回す子どもたちが脳裏に浮かんだ。

  
橋の上に名前と一か月と10日と書いた紙切れがあり置き去りにされた子どもは、新しい父母に育てられ大きくなっていた。
   

政府の土地に新しく家を造ってしまった家族がいるが、どうなるのだろうと心配だ。

カンボジアはどこにいっても発展途上にある状態で、土地の問題は整理されないままが続いている。
日本のNGOなり企業家がカンボジアで何か事業を起こすにしても、土地はカンボジア人の名義ではないと買うことができない事から、後に考えられないほどの大問題となり、裁判になっている事例もある。

日本の弁護士が関わったという民法も、村人まで定着するにはまだまだ時間がかかりそうだ・・・。
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クロバイリエル村

2016年07月12日 | 日常
 コントローク村を10キロほど行ったところにクロバイリエルがある。

  途中で大きなベットを運ぶ車に会う。

道がだんだん細くなって、あちこちに水たまりが出来ている。
お父さんが地雷の被害者だったが、2007年に亡くなり、その後6人の子どもを連れて越してきたリ・ワンさんの家族がいる。
私が初めて会ったときに生まれたパンニャーは、学校に行くようになった。
昨年は竜巻に家と大事な自転車までどこかに飛ばされてしまったとか・・・。
自転車は少し離れた田んぼに中に落ちていたが、壊れて使い物にならなかった。

今回、行ってみると、パンニャーは学校だったが、弟たち3人と長女の息子1人、リ・ワンさんにとっては孫になるが元気に暮らしていた。

いつも頼みごとをしたことがないお母さんが、今回はじめて私に「自転車がなくて困っている」と言った。
パンニャーは学校までかなりの距離を歩いているという。
相棒のサン君に、値段はどのくらいするものか聞いてみると新品だと50$だという・・・。考えた・・・。

次回に皆に事情を話して、カンパを集めてくることを約束して帰ることにした。

   

四つ辻になっている村の真ん中に市場があって、そこに私立の子ども病院が出来ていた。
30歳代でご夫婦だという医者が開業していた。
これは画期的なことで、今まで保険所のようなものはあっても、病院は無い。
村の人は子どもが病気になると、乗り合いのトラックに乗せたり、誰かのバイクで町まで運んでくる。
道の途中で、点滴を打ちながらバイクで走って町の病院まで行くと言う姿を良く見かけた。
お金がない家族は大事な農耕用の牛を売って運賃にしたり、病院の費用にする。

聞いてみると、この医師夫婦は8年間、医師の勉強をして資格を取ったのだという。
ベットが5つほどあって、そのひとつに熱があるという子どもが寝ていて、点滴を受けていた。

クロバイリエルから小学校がある方へ進むと、ブレークロングハウン村に出る。

   
前回も撮影ツアーで訪れた村だが、チョームさん、マイムさん夫婦を訪ねた。
平均して100家族1000人が暮らす村。
具合が悪かったチョームさんは、少し元気になっていて、10歳の孫が手をそえて支えているので、立ち上がることもできるようになっていた。
マイムさんはちょうど牛を連れて帰ってきたところで、元気な姿を見ることができた。
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コントローク村

2016年07月10日 | カンボジア
 コントローク村の踊りの練習場オンナルットさんご夫妻を訪ね、撮影ツアーの予約を入れてきた。

この村は156所帯の村だが、途中にワッチョー寺というきれいな派手な寺があって、横道に入ると田んぼが多く、人々の暮らしが見える。
村の中心に小さな市場があって、多少ひろくなった道を1キロ行くと別の村になる。

いつもの可愛い息子が真っ先に飛び出してきて、この頃はすっかりお友達になってしまった。

   
奥さんのバン・チョーンさんは年齢も重ねて、すっかり体型も変わってしまったが、昔はきれいな踊り子であった。(失礼)
伝統舞踊を守る芸術学校は、内戦時代に踊り子の大多数が犠牲になり、踊りの文化そのものが否定された。
奥さんの父親は連れて行かれて殺されることになった。
この話をしてくれる時に、今でも涙ぐみながら話す・・・。
声を出して泣けなかった。声を出すととがめられ処刑の対象になったとのこと。
声を殺して毎日泣いた・・・。「なぜ父が連れて行かれなければならなかったか今もわからない」という。

村のお年寄りに内戦時代の事を聞くと、とにかく毎日、仕事仕事で飛び回った。
コントローク村の田んぼの田植えや収穫が終わると、次々と村を変えて移動して、そこが終わるとまた次の村へと集団で移動したという。

あの時代から良く現在まで歳を重ねて、今、踊りの練習場を作ったことは夢のように出来事だったことでしょう。
踊り子の洋服は何もかもチョーンさんの手作り、洗濯も修理も全部やっている。
子どもたちも成長し、ホテルやレストランで踊れるように成長している。
しかし、誰もが忘れられない内戦の傷跡をかかえながら生きているのでしょう。

  
市場の裏で79歳の一人暮らしのお婆ちゃん、Monhoyさんに会った。  村の子ども。
ポルポト時代に夫は亡くなった。6人の子どもがいたが、2人が内戦時代に、2人は病気で亡くなった。
「ただただ生きてきた・・・」
言葉に重みを感じて、私も辛かった・・・。

村に行く楽しさはこんなことばかりではない。
今回は15歳で6年生と言う男の子に会った。ガーチャェットという水草を揃えて市場にもって行く。

   

さらに奥に入るとお酒作りの家でしたが、水牛の頭を料理していた。

   

偶然出会った光景でしたが、焼いてレモングラスと塩で洗い、パパイヤや香草、野菜と一緒にスープにするとのこと。
身体の部分は市場に売りに出したのだそうだ。

まだまだ続く村巡りの楽しさ・・・・。

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ボー村の市場を過ぎて

2016年07月09日 | カンボジア
 ここ数年、雨季を選んでカンボジアの村々を回るようになった。

シェムリアップの街も隣接する村々も、大きく変革の時期をむかえている。
村人は自分の田んぼを売って、お金をつくりある程度裕福な暮らしが戻ってきた家が多くなった。
道路とともに突然、高床の家のそばに別荘のような建物が出来て、村の名前も変わっていた。

今回も暮らしを中心に、ポルポト時代を生き抜いてきた人々が、今どんな思いで、どんな生活をしているのか聞きたいという思いがあった。
お年寄りの人口が少なくなり、今カンボジアを支えて活躍しているのは40歳代の人たちで、ある村では35歳の村長さんが自分で村の地図を手書きで作っていた。

   

ボー村の市場で、雨季を迎えるためのハスの蕾が5本の束になって、2000リエルで売られていた。
お寺の戒律の日にささげられるこの時期の花もハスの蕾なので、今はトンレサップ方面のハス畑は満開の時期かと期待したが、すでに盛りの時は過ぎて、緑のハスの実の時期になっていた。
いつもより、雨季の雨が早くふりだし、いつもより花も早くなってきたと感じるのは私だけだろうか・・・。

   

アラン村では赤ちゃんの時、30$で買われて親戚をたらい回しにされて、今62歳のお年寄り夫婦によって育てられているアローン君に会うことが出来た。
元気に暮らしていて、4年生になり育ての親のお婆ちゃんにもお会いすることができた。

   真っ黒に日焼けした顔が、振り向いたときには思わず抱きしめたくなった。

先ず「ソク・サバ~イ」元気!と声をかける・・・。
人の人生も運命もお金で変えようとする習慣には、納得できないが、格差が激しくなる中で貧しい人たちの心に土足で入り込み、納得させられる助言が、個人的にできるとは思えない。

アラン村の小学校、中学校、高校と一か所にあったので立ち寄ると、すでに二十歳を過ぎているよな子どもたち、18歳くらいに見える子どもたちもいて、学校教育の遅れを感じている。
そもそも、一年生になったのは12歳とか15歳とかの子どもたちもいるから・・・。

プノンクロム村は韓国のNGOが入り、道がきれいになり申告することによってお米が供給されるということで子どもたちが自転車に積んで走ってくる。
行ってみようと配っているところに行くと、韓国の若者が沢山いて、村の子どもたちと遊んでいた。
この村では、昔から水草でバックを作り、ハンモックを作る文化があって8年前から写真を撮影、手間がかかり、大変な仕事ですが、日本から買いに来る人も増えて、安価で買いたたかれることに不安はあった。

   

   

ハス畑で暮らしている家族に出会い、お母さんが魚と一緒にカエルを焼いていて、傍らで女の子が食器の洗い物をしていた。
美味しそうな魚醤の匂いが、風と共に漂ってくる。
そうだ、これがカンボジアのにおい・・・。

   
 

この日は雲が多いものの晴れ間が多い一日で終わった。
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帰国

2016年07月07日 | 日常
 雨季のカンボジア、いつものように無事に帰国しました。

5月に大雨の情報があり、今年の雨季は波乱万丈かと期待しての旅でしたが、その通りでした。

初日から2日は晴れで暑い太陽に、日焼けしてはと用心して、バイクに乗りましたが、それ以降、毎日曇り、時々大雨・・・。
雨具の装着が間に合わないくらいの土砂降りが2時間ほど続き、日が射してくると蒸し風呂のような状態です。
 
  
途中で修行中の坊さんに。おもわずヘルメットを付けたままシャッターをきる。

それでも、風を切ってバイクで走ると、緑が多く風景が素晴らしいので気持ち良いくらいでした。
それにしても、6月から連日の大雨にカンボジアも地球規模の温暖化の影響を感じないわけにはいきません。

帰って玄関に入るとすぐに、出がけに切ろうと思っていた紫陽花の花がもう終焉の時を過ぎて、かわいそうなくらい。
カラカラな植木にたっぷり水をあげて、「ただいま」と声をかけたが、留守のようだ。
家の鍵を持って行って良かった と、変なところで安心したりしています。
テーブルになにやら書置きがあって、娘は仕事でオリンパスの上野の撮影会、夫君は初台オペラシティでの音楽会・・・。
どおりで空港から「いつのもコール」を入れたが、電源OF、あ~あ お互いに自由でいいなと感謝しつつ、妙な物足りなさを感じてしまった・・・。

さて今回のカンボジア撮影記、徐々に更新していきたいと思います。

7月の予定は 

     ① 2016年JPS新入会員写真展

       7/14日(木)~7/20日(水)まで 17-18日休館

       アイデムシリウスフォトギャラリー (新宿御苑前) AM10:00~PM6:00 最終日PM3:00

     ② カンボジア「スナーダイクマエ孤児院の絵画展&カンボジア写真展」
   
       7/14日(木)~7/17日(日) 16日休館 AM10:00~PM5:00

       日本アセアンセンター 地下鉄三田線 御成門駅A4出口

       写真と写真集の販売も予定しております。

     ③ 現代写真研究所 英 伸三先生の門下生の写真展 「とうきょう すとーりー」

       4/21日(木)~27日(水) 無休 AM10:00~PM6:00 最終日PM3:00

       ポートレートギャラリー 四谷 日本写真会館 5F

       私は13点の写真を展示する予定です。

これが終わると安曇野へ出かける予定です。

皆さま、ついでの際に是非、お立ち寄りください。


      
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