前日まで、S21と言われるトウール・スレン収容所では、ここで亡くなった2万人ともいわれる人々の一部を見た。
考えられないほどの拷問が行われた跡を見ながら、皆が言葉を失っていた。
そんなことを抱えながら、空路シェムリアップへ向かう。
シェムリアップについた途端に、この街の持つ独特の安らぎのような空気に、なぜか心が落ち着いている。
あ~やっと古巣に帰ったという感じかな~・・・。
翌日は先ず朝5時に6号線、プサルー(市場)の撮影。
疲れた人は寝ていてもいいというオプション。
市場は朝の2時から動き出すので、暗いうちから私たちも撮影する。
「シャッターが切れないよ、足元が水でぬかるんでいる、豚肉がすごいよ」
「ほら 仕事の邪魔にならないように・・・。」と・・・。
そのたびにISOを変えて、マニュアルで、絞りは開き、ピントはAFにしないでと声をかける。
わずかな電球と蝋燭のあかりが頼りになる。
こんなときこそ、練習になるし、自分のカメラを十分に使いこなさないと話にならない。
しかし、そうこうしているうちに20分もしないで夜が明ける。
いるだけでも空気が伝わってくる・・・。
朝食が済むと、8時出発でコントロー村の伝統舞踊の練習場、オンナルットさんの家へ。
毎回訪れる場所だが、この頃は新人の子どもたちが増えた。
昨年、はじめて出会った子どもが見事に成長している。
教えるのはオンナルットさんの娘のソピアタラーさんだ。
帰るときは皆さんが見送ってくれた。
次はやはり毎回おとずれるスナダイクマエ孤児院へ。
新しく入ってきた可愛い子どもたちにも会うことが出来た。
代表のメアス博子さんより、孤児院についての話を聞いて、子どもたちと遊んできた。
何よりもこの院の出身者である、パナー君が私たちのガイドをしてくれているし、日本語がすごく上手くなった。
いままでのツアーは、全部パナー君が私たちと行動を共にしてきた。
彼は2000年に私がはじめて孤児院を訪ねた時は、ほんとにあどけない少年だった。
今では旅行会社のガイドで活躍しているし、可愛い伴侶を見つけ来年は結婚をする予定。
先に成功をおさめ、結婚したラアーボ君に続いて二人目に所帯持ちになる。
なんとうれしい知らせであった・・・。
昼食後、ホテルでしばらく休んで、午後3時から私の知り合いのブレークロングハウン村のマイムさんの家に行く。
この村は100家族で1000人の人口で、車で30分の村になる。
村の入り口で早速、5~6歳の子どもたちのダイビングでお出迎え。
マイムさんは元気だったが、ご主人のチョームさんが体調が悪く、まだ完全には治っていなかった。
それでも、添乗員の若い佐々木さんに、マイムさんが本気でカンボジアの占いや手相を見てあげたりして、それが面白く微笑ましかった。
その帰りは、カンボジアの真っ赤で大きな太陽が時々刻々と沈んでいく様を撮影した。
時々、牛を連れた人や、周りの川で魚とりの網を張る人がいたりと、それぞれが思い思いに撮影した。
太陽の周りが真っ赤に燃えていく様子に、なかなか帰る気になれない私たちでした。
考えられないほどの拷問が行われた跡を見ながら、皆が言葉を失っていた。
そんなことを抱えながら、空路シェムリアップへ向かう。
シェムリアップについた途端に、この街の持つ独特の安らぎのような空気に、なぜか心が落ち着いている。
あ~やっと古巣に帰ったという感じかな~・・・。
翌日は先ず朝5時に6号線、プサルー(市場)の撮影。
疲れた人は寝ていてもいいというオプション。
市場は朝の2時から動き出すので、暗いうちから私たちも撮影する。
「シャッターが切れないよ、足元が水でぬかるんでいる、豚肉がすごいよ」
「ほら 仕事の邪魔にならないように・・・。」と・・・。
そのたびにISOを変えて、マニュアルで、絞りは開き、ピントはAFにしないでと声をかける。
わずかな電球と蝋燭のあかりが頼りになる。
こんなときこそ、練習になるし、自分のカメラを十分に使いこなさないと話にならない。
しかし、そうこうしているうちに20分もしないで夜が明ける。
いるだけでも空気が伝わってくる・・・。
朝食が済むと、8時出発でコントロー村の伝統舞踊の練習場、オンナルットさんの家へ。
毎回訪れる場所だが、この頃は新人の子どもたちが増えた。
昨年、はじめて出会った子どもが見事に成長している。
教えるのはオンナルットさんの娘のソピアタラーさんだ。
帰るときは皆さんが見送ってくれた。
次はやはり毎回おとずれるスナダイクマエ孤児院へ。
新しく入ってきた可愛い子どもたちにも会うことが出来た。
代表のメアス博子さんより、孤児院についての話を聞いて、子どもたちと遊んできた。
何よりもこの院の出身者である、パナー君が私たちのガイドをしてくれているし、日本語がすごく上手くなった。
いままでのツアーは、全部パナー君が私たちと行動を共にしてきた。
彼は2000年に私がはじめて孤児院を訪ねた時は、ほんとにあどけない少年だった。
今では旅行会社のガイドで活躍しているし、可愛い伴侶を見つけ来年は結婚をする予定。
先に成功をおさめ、結婚したラアーボ君に続いて二人目に所帯持ちになる。
なんとうれしい知らせであった・・・。
昼食後、ホテルでしばらく休んで、午後3時から私の知り合いのブレークロングハウン村のマイムさんの家に行く。
この村は100家族で1000人の人口で、車で30分の村になる。
村の入り口で早速、5~6歳の子どもたちのダイビングでお出迎え。
マイムさんは元気だったが、ご主人のチョームさんが体調が悪く、まだ完全には治っていなかった。
それでも、添乗員の若い佐々木さんに、マイムさんが本気でカンボジアの占いや手相を見てあげたりして、それが面白く微笑ましかった。
その帰りは、カンボジアの真っ赤で大きな太陽が時々刻々と沈んでいく様を撮影した。
時々、牛を連れた人や、周りの川で魚とりの網を張る人がいたりと、それぞれが思い思いに撮影した。
太陽の周りが真っ赤に燃えていく様子に、なかなか帰る気になれない私たちでした。