足立君江 写真ライフ

ー東京の街・安曇野・カンボジア撮影記ー

   

踊りの練習場のある村

2017年03月17日 | カンボジア
 コントローク村は今でも懐かしく思い出す出来事がある。

   
 街の市場から品物を買ってきて、村で売る。 村の市場で野菜を売っていた、笑顔が素敵!

この村は伝統舞踊の練習場のある村で、今回も撮影ツアーの予約も兼ねながら立ち寄ることにした。
ご主人のオンナルットさんの話によると、156所帯くらいの村で、ほとんどが農家でメイン道路の奥には田んぼが広がっている。
村の中心に小さな市場があって、私はそこに一時間ほど立ち止まって、行き来する人たちの撮影をする。
奥さんのバンチョンさんは踊り子であったが、父親は理由もなく連れていかれて殺された話を良くしてくれた。
伝統舞踊「アプサラ」も1000年もの歴史があって、遺跡のレリーフにも彫られているように、古代の王様の時代に、様々な行事の中で踊り子がその重要な役割を果たしていたのだと思う。
アンコールワット王朝の衰退とともに、一旦は衰退したものの17世紀には再び復活してきた。
その時期に多くの踊り子はタイ国へ渡ったと言われ、同じような踊りがタイでも行われている。
バンチョンさんはタイのアプサラはテンポが非常に早く、カンボジアは発祥の地であり、テンポはゆっくりで優雅であると自慢していた。

オンナルットさんは末の息子と庭に車を隠すシートを張っていた。
こう暑くては、中まで火のようになってしまう・・・。
一番の踊り手である娘のソピア・タラちゃんが、今月、13、14日に結婚式だと喜んでいた。
出席したかったが、その頃は日本で仕事が待っている。

2004年ごろ、コントローク村の道路は2メートルの泥道であったが、今は5メートル幅の道になっている。
狭かった道端で4,5歳の子どもたちが、ネズミの子(全長7センチほど)を一匹づつ手にぶら下げて、遊んでいた。
最初の写真集で「カンボジア はらたく子どもたち」の中の一ページとなった。

現在は開発が進み、ワッチョー寺というきれいな寺があり、雨に降られたときは雨宿りをした。
僧侶の一番偉い人に挨拶をするのだが、床に膝まづいて頭の上で手を合わせ、床に手をついて礼をすることを3回繰り返して、2000リエルのお金を奉納する。いくらでもよいのだが礼儀のようです。
13歳の坊さんや賄の女性や奉公に来た人たちと話をしたことがあった。

その前に建て替え中の学校があったが、今はきれいな校舎に仕上がっている。

舗装されていない道路はマスクとカメラを覆う簡単なコンビニの袋がないと大変なことになる。

韓国の援助で電信柱は立っているが、各家庭には一部しか電気は引かれていない。
お父さんたちはちょっとした電力はバッテリーで動かしていることがある。

土埃の道をコントローク村からサボイ地区に入り、さらにクロバイリエルの家族に会い、ブレークロングハウン村へと続けていってきた。
ここも、いつも行く家であり、いつも行く村だが、紹介していただきながら、お年寄りから沢山の面白い話を聞くことができた。
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