だいぶ書いてませんでした。
今回は井上鉄太郎(正しくは井上銕太郎)の証書類を載せます。
古本屋で購入したのか、ネットオークションで買ったのかはもう昔のことで忘れました。
史料1:勲三等瑞宝章勲記
史料2:大正大礼記念章章記
史料3:東京高等裁判所長官よりの表彰状
史料4:東京家庭裁判所所長よりの表彰状
井上鉄太郎は、明治10年10月16日、愛知県士族として生まれ、明治31年に明治法律学校(現在の明治大学)を卒業してます(井尻常吉編『歴代顕官録』原書房、1967年、689頁)。
明治33年1月、判事検事登用試験および弁護士試験に及第した(関西大学年史編纂委員会編『関西大学年史紀要5』関西大学学術情報事務局博物館事務室、1984年3月、2頁、原本は『大阪朝日新聞』明治33年1月8日月曜日8面)井上は明治34年7月25日に判事になりました。
大正時代には盛岡地方裁判所所長、昭和2年4月17日から函館地方裁判所所長(北海タイムス社調査部『北海タイムス年鑑 昭和16年版』、北海タイムス社、1940年、284頁を歴任し、昭和11年に勲二等瑞宝章を受章(「内務技監辰馬鎌蔵外千一名叙勲並勲章加授ノ件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A10113181600、叙勲裁可書・昭和十一年・叙勲巻七・内国人七(国立公文書館)4コマ目)、翌年10月30日に司法界を退職し、従三位に叙されています(「退職検事井上鉄太郎外四名特旨叙位ノ件/元朝鮮総督府財務局長林繁蔵」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A11114541800、叙位裁可書・昭和十二年・叙位巻五十一(国立公文書館)6コマ目)。
戦後にはいってからは昭和23年に東京家庭裁判所創設時点から昭和29年まで調停委員や参与員を勤めていることが確認できます。また昭和26年に東京高等裁判所長官賞(史料3)、翌27年には東京家庭裁判所長賞(史料4は26年だが、沿革誌には26年受賞の記述なく間違いカ)を受賞してます(東京家庭裁判所編『東京家庭裁判所沿革誌 創立5周年記念』東京家庭裁判所、1955年10月、215頁)。
簡単に井上の経歴を追いました。戦前には閣下と呼ばれる位にまでのぼった井上が、戦後も司法の第一線で活躍していたことが朧げながらわかります。また、長男である井上文夫も、京都大学法律学科を出て、判事となり司法で活躍していたようです(人事興信所編『人事興信録第17版 上』、1953年、22頁)。
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