ロシアインターネット投稿で消される元サハリン州知事無念の死

消される訳は?
ロシア側が事実を知っているから

No.40 北方四島返還と元サハリン州知事ファルフトジノフ氏

2017-03-12 11:13:47 | 北方四島返還
Историяпротивостояния
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DieGeschichte der Opposition
対立の歴史


自由民主党副幹事長の、伊藤良考さん、覚えていますか?

昔、サハリン州のアメリカ村完成式のパーティーで、他の北海道港関係の市長さん達と、サハリン州知事との名刺交換をしたいので紹介してほしいと伊藤さんから頼まれ、紹介させて頂いた(株)日本サハリン州経済開発促進協会代表のヒロシです。

       

場所はアメリカ村の大きな体育館の中でした。
大勢の参加者の中で、サハリン州知事がアメリカの偉い方との立ち話が長引き、私が後ろから知事のお尻をつねって気付かせ、市長の皆さん一人一人をご紹介しましたが、そのことを覚えていますか。
決して生意気な話ではなく、私がロシア人幹部の中にいて、どれくらいの立場か理解してもらっていたらうれしく思います。


昨日のテレビ番組を見て思ったのですが、鈴木宗男氏グループの時代遅れの間違った作文では元島民の方達の必死の嘆願は、到底かなえてあげられません。今後も元島民や日本人の方に対して、妄想物語を続けさせるわけにはいきません。

鈴木宗男氏が伊藤先生の先輩だから、事実を知るのは気まずいだろうと思いますが、現場にいて直接話をしている我々は、この間違った北方四島返還情報への指弾を(資料・原本を持って事実が明かされるまで)続けます。

サハリン知事から直接預かった資料も持っています。

これまでのブログで何度か詳らかにしてきましたが、サハリン知事とエリチイン大統領の約束で、サハリン州とクリル(北方四島含む)全権限を渡す約束をしていました

エリチインさんが苦しいロシア国民を救う為に、サハリン州知事に「全ロシア国民に55%ほしい。そしてサハリン州市民には現地で悪いが45%で頼む」と申し入れ、結果として無血で合意に至っていました。

昔、ロシアの女帝がアラスカをアメリカに売った時のように、長い話し合いの末に決定していたわけです

       
       プーチン大統領本人のサインです(私が持っています)

プーチングループは、アメリカ(西側)に、サハリン空港近くの広大な土地を、モスクワに関係なく、自分だけの権限で貸した知事、エリチインさんから実質的に北方四島(クリル)などの権限者がファルフトジノフ知事に移ってしまったら、「北方四島の間を外国船、即ち、アメリカ、日本、その他の国も、通らせてしまうのではないか」と懸念していました

       
       軍の港の駆逐艦の中の私 (もちろん一般の人は入れません)

プーチンさん側としては、サハリン知事に「ロシアの好きな大臣をやってもらえないか」とまで提案し、サハリン知事の懐柔を試みたわけですが、「エリチインさんと話は終わっているから」と聞いてもらえないのなら、サハリン知事を暗殺する以外ない・・・という結論に至るのは自然な発想でした。
※この北方四島返還問題をどうするかの話は知事本人から直接、私とモスクワの幹部で一緒に聞いています。

       
          コルサコフ港の契約書の原本です(私が持っています)

サハリンの二大港、コルサコフ港・ホルムスク港は、私が両港の会長になる予定でした。(外国には売り買いが出来ないと聞いています)
港の契約書の原本も(ロシア語日本語で)私は保管しています。

       
          ホルムスク港の契約書の原本です(私が持っています)

知事が暗殺されてから、サハリン州の政治に留まらず、知事が石油・天然ガス関係の利権・権限をモスクワから移した先のサハリンの会社は、再びプーチンさんグループが全部乗っ取り、モスクワへ戻しました。これは現地を見ればわかる通りです。

私達はロシアで暮らし、北方四島返還の権利を持っていたサハリン州知事本人と行動をしていました

       
       イギリス元首相サッチャーさんと当方メンバー

様々な国の要人の方ともお会いし、サハリンの石油資源を担保に工事代金の一部を集めていました。

本当にいろんな移り変わりがありました。
ファルフトジノフサハリン州知事。

彼は最後にサハリン国を見ないで暗殺されてしまいました。

       

元ロシアエリチイン大統領と日本の橋本龍太郎総理が首脳会談をし、タイミングよく北方四島を最も日本に近づけたのは、自民党の橋本龍太郎総理の時だけです。
後は日本からどうやってうまく色々協力をさせるか、ロシア側の考えばかりの会談です。


エリチイン大統領がモスクワから北方四島を手放す思いになった?のは、正確に話せば、サハリン州知事にタイミング的にも上手く権利と責任を丸投げし、エリチイン大統領本人は北方四島問題から逃げたかったのと、サハリンの石油・天然ガスでロシア国民を貧困から脱失させれる、一石二鳥でした。

このように、北方四島返還問題の本当の終盤は“自国同士のロシア国内だけの綱引きで動いていました。”

日本の一部のおかしな輩たちは、自分達の利害と名声ばかりを考え、大昔のロシアと日本であった会話、会談の話など引きずりだしアレンジして言い切り、結果として、これだけ問題解決を長引かせてしまっています。

日本の外務省ロシア課の情報も、そもそも元の話が違っていますし、一部違わせてもいます。

日本は、モスクワばかりを見て、北方四島返還、日本国民と元島民を間違った方向に向けてしまった。これは、大罪です。〇〇さん

サハリン州知事は私にいつも空を見上げながら、「ヒロシ、方向が違うんだよな」と言っていました。

現場にいた初代サハリン総領事渡辺さんは、今現在北方領土問題対策協会非常勤理事となっていると思います。
昔、現地現場にいましたから、鈴木宗男さんとよく打ち合わせをして、事実を正確に述べて頂きたい。

「正確に言えない」「わからない」…と言われるのであれば、北方四島返還の事実を、私がサハリン州知事と現場でよく話、よく知っていますから話をしましょうか、資料も持っています。



次回は、18日(土)か19日(日)に出します。



saharinhiroshi2@yahoo.co.jp









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