入院生活は本当につらかった。。
主治医の先生から羊水過多の時の赤ちゃんの病気のことを説明され正直絶望でした。
絶望って言い方はおかしいのかもしれないけど
この時の私はまだまだ母親としての自覚も薄く
お腹の子のことを、どう受け止めればいいのかわからなかったように思います。
なんか漠然と健康な子が産まれて当たり前みたいな考えが自分の中にあったのは確かだし
先生から説明されても『うちの子はきっと大丈夫』って思ってたんだよね。
エコーで赤ちゃんを見た時に先生から
「横隔膜の動きが少ない」「羊水の嚥下をあまりしてない」と指摘を受けました。
でも胎動はすごく活発だったし食道閉鎖とかの所見もなくて
先生から言われたのは『産まれてみないとわからない』
ただ『羊水過多症の9割は障害をもって産まれてきます』ということだった。
毎晩毎晩泣いて泣いて、でもどこかでまだ『うちの子はきっと大丈夫』って信じてた。
その頃から自分が妊娠したこと、赤ちゃんを産み育てる事、自分は母親になるんだということを真剣に考え始めた。
新生児科の先生からも赤ちゃんのことについて説明を受け
『きっとなんらかの障害はおありだとは思います』と言われた。
産まれる前から‘あなたの子供は障害があります‘と言われることは、やっぱり辛かった。
いろんな気持ちと葛藤しての入院生活。
でもそうやって毎日お腹の赤ちゃんのことを考えていく中で、なんか次第に気持ちの転換ができ始めて
(私この子の母親なのにこんなくよくよしてどうするん!障害があっても私の子には変わりないがん!)
って思えるようになってきた。
この流す涙は何なんだろって・・・
双子の一人がダメになって、でも峻也はそれでも生きようとしてくれて。。
私の子供として産まれてこようとしてくれて、私を母親としてえらんでくれたんだなって思って。
私が母親としての自覚が足りなかったから、少しは僕のこと考えて!ってお腹の中で叫んでたのかも。。
今思えばあの頃が懐かしい・・ちょうど1年前ぐらい。。
でもあの頃はただ必死だったよね。
主治医の先生から羊水過多の時の赤ちゃんの病気のことを説明され正直絶望でした。
絶望って言い方はおかしいのかもしれないけど
この時の私はまだまだ母親としての自覚も薄く
お腹の子のことを、どう受け止めればいいのかわからなかったように思います。
なんか漠然と健康な子が産まれて当たり前みたいな考えが自分の中にあったのは確かだし
先生から説明されても『うちの子はきっと大丈夫』って思ってたんだよね。
エコーで赤ちゃんを見た時に先生から
「横隔膜の動きが少ない」「羊水の嚥下をあまりしてない」と指摘を受けました。
でも胎動はすごく活発だったし食道閉鎖とかの所見もなくて
先生から言われたのは『産まれてみないとわからない』
ただ『羊水過多症の9割は障害をもって産まれてきます』ということだった。
毎晩毎晩泣いて泣いて、でもどこかでまだ『うちの子はきっと大丈夫』って信じてた。
その頃から自分が妊娠したこと、赤ちゃんを産み育てる事、自分は母親になるんだということを真剣に考え始めた。
新生児科の先生からも赤ちゃんのことについて説明を受け
『きっとなんらかの障害はおありだとは思います』と言われた。
産まれる前から‘あなたの子供は障害があります‘と言われることは、やっぱり辛かった。
いろんな気持ちと葛藤しての入院生活。
でもそうやって毎日お腹の赤ちゃんのことを考えていく中で、なんか次第に気持ちの転換ができ始めて
(私この子の母親なのにこんなくよくよしてどうするん!障害があっても私の子には変わりないがん!)
って思えるようになってきた。
この流す涙は何なんだろって・・・
双子の一人がダメになって、でも峻也はそれでも生きようとしてくれて。。
私の子供として産まれてこようとしてくれて、私を母親としてえらんでくれたんだなって思って。
私が母親としての自覚が足りなかったから、少しは僕のこと考えて!ってお腹の中で叫んでたのかも。。
今思えばあの頃が懐かしい・・ちょうど1年前ぐらい。。
でもあの頃はただ必死だったよね。