
今日は「Fukushima 50」をグランベリーパークで観ました。
これは作品のデキがどうだとか、テクニカルにこの点がどうだとか、ましてや芸術作品としてどうだとか、そんなことを語る意味のない作品、映画で。
門田隆将さんの原作自体はまだ読んでいないのですが、「リーダーの本義」等は読んだし、ネットでの対談等はいろいろ見ました。だから絶対に観たいと思ってた。
で、見て思ったのは、これは、まさに、ぼくらが経験した危機、出来ごとで。
フィクションがノンフィクションよりも真実を表現できるということ。
あの9年まえの311、ぼくは出張で博多にいて、津波が人々や家屋をのみこむシーンをテレビの映像で見ていました。
それからしばらく、フクシマ原発がどうなるか毎日恐怖にかられてニュースを見ていた。忘れられません。
あのころぼくは、恐怖や怒りや絶望感を、東京電力、経産省、原子村関係者に向けていました。
死を覚悟して、現場で対応してくださっていた東電の方々のことを何も知らずに。
申し訳なかった、と思いました。
9年後のいま、ぼくらは新型コロナウイルスに苦しんでいます。
感染リスクにさらされながら、検査や治療に当たってくださっている医療従事者の方々に助けられながら。
溢れ出る涙を拭いながら、そんなことを考えていました。

