縄文人の反乱 日本を大事に

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●たいばつ

2013年01月16日 14時19分31秒 | 色んな情報
●たいばつ
凛ノ介さんから質問があった。
答えになるかどうか とり方にもよるだろうけど。
 
  志葉楽さんへ 

しばらくぶりです。
日記読ましてもらいました。 ありがとうございます。
今回の体罰事件の発生の、生徒が死亡に至りプロ野球投手を取りあげ、体罰は絶対駄目とほとんどと思われるメディアが、報じた事に関してどのように思われ、又今後どのような対処法の考えを持っているか伺いたいです。この場で、意見の相違での争いは意にしません。
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★たいばつ 【体罰】
こらしめのために、身体的な苦痛を与えること。日本の学校教育では、法律によって禁止されている。
「―を加える」
★体罰(たいばつ) http://p.tl/cxhj
殴打等の、身体を通じた罰のことである。
体罰は、父母や教員などが、子供や生徒などの管理責任の下にあると考えられる相手に対し、教育的な名目を持って、肉体的な苦痛を与える罰を加えることを指す。この場合の苦痛とは、叩くなどの直接的なものから、立たせたり座らせるなどして動くことを禁ずるなど間接的なものも含む。体罰に明確な定義はなく、一般的に身体刑や虐待や暴行や訓練とは異なる行為とするが、該当することもある。軍隊や部活動等における先輩から後輩への指導が肉体的苦痛を伴う時も、体罰とされることがある(→根性論も参照)。
 
体罰は古くより「注意をしても聞かない・もしくは理解できない」という子供に対する教育的な指導と認識されていた[1][2]。方法としては、動物に対する躾と同様の直接的な痛みを伴う行為がとられることが多かった(手で叩く・殴る・鞭で打つなど)。また体罰を肯定する側には、明確な賞罰の形として、長く記憶に残りやすい体罰は、より教育効果が高いと考えている[要出典]。
 
しかしその一方で、その罰がしばしば当人の人格否定に繋がったり、重大な負傷に至る事例が挙げられるにつれ、社会的に問題視され、その効果に疑問が投げ掛けられるようになった[3][4]。また、体罰の実施者に、そもそも罰を与える権利があるのかも問題となっている[5]。
 
体罰には様々な方法が存在し、また実施される状況によって、あるいはこれを被る側の反応によって、その影響(や効果)は異なる。
 
ただ体罰であるか口頭での注意かを問わず「罰することによって許すこと」は、教育においても大切なことと考えられることもある[6]。体刑を科してその後のケアを怠れば、処罰された側は罰の手法によらず反省しない・自己憐憫にひたることで自分を正当化してしまうおそれもあるのではないかという意見も児童心理の研究の延長にある[要出典]。すべての発達段階において、人間の人格形成・人間形成を促す方向での指導と、そのために学校組織としての方針の策定が求められている[7]。


他でもいろんな議論がされている。
私は65を回って考えるのはその都度の対処の方法があるものと思う。
日本は2600以上歴史を積み重ねてきた。

★★藤原正彦 − 日本教育のここがダメ!(2)   http://p.tl/QNsh
の中で論じられている学者や専門家が言っているようなことでなくて
ガツンと一発で総てが収まるものまでも俎上に上げる必要はないと言っている。
私のような学問を納めていないものは理屈を論じろと言われても言いようがないが
理屈なしで通せば済むものを1つ一つ通してきたら人と人との付き合いは無くなるのではないかな。
今 江戸しぐさとか 身のこなしさが 声高に言われるのはここにあるのではなかろうか。
今は何でも声高に言えば自分の意見が通ると思いすぎているのではなかろうか。
音楽一つでも喧しい。
邦楽や雅楽や演歌 クラシックはメリハリもありリズムもある。
バランスもあるから落ち着いて聞いていられる。
やんちゃ坊が喚いているのは耳騒がしい。
ものには順序と筋道が有るのではないだろうか。
何世紀にも渡り積み重ねてきたものだろうと思う。
何も言わなくて頭を一発叩くだけで済むこともある。
加減と整合性を教えられずに育ってきたヒトが多すぎるのでは無かろうか。
人間何年やっても分からんことは分からんけど。
いつ頃から言われだしたことかは知らないが
慌てる乞食は貰いが少ない。
分わきまえると益は大きい。
慌てるとけがをする。
静かは何とか。
騒々しいほど物事は進まない。


だから縄文人は少人数で物事をまとめていったのではなかろうか。


正月に息子に惹かれて永平寺へ
名前は忘れたけどひとつのお御堂の中で一般の30人ほとが度胸を上げていた。
般若心経を何度か続けていた。
三回ほどお付き合いをして読経させて貰い出て来た。
息子がなにか感じたかと言われたけれども何も感じなかったといった。
私はその場所に居て般若心経の中でゆらゆらリと泳いでいた感じであった。
理屈も何もなかった。
ただソコにいるだけで自分は満足でしあわせ。
日本人なら人に怒られた時でも自分が満足する場所に居れば しあわせなんだのではないかな。

私はそういう場所を一つでも沢山持っているヒトが本当の市上瀬になれるのではないかと思う。

変な理屈になっているだろうけど。
だから偏屈で頑固もんだ。

体罰について詳細は分からないけれども根本を双方とも昔のように知っていればそこまで成ることは無かったのでは無いかと思う。
昔の人間て不思議と加減を心得ていた。
モーターなどのボルト締めして取り付けるのに日本人は加減(トルク)というものだったかな
力加減を知っていてええころ加減に占める。
半島や大陸の人はそれが下手だったと聞く。
締めすぎてぶち切ったり緩んだり。
今は機械など使って加減しているのかな。
ヒトがすることだから現場見ていないから知らないけど。
昔は肝心な部分は日本人がしていたようだ。

時代も進んだからうまくやれる人もたくさんなったのでは無いかな。
今は日本人のほうがその辺りは下手ではないかな。

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