『いやでもその道を行くしかなかった』
日経トップリーダー(旧日経ベンチャー)今月号より
曽祖父が始めた京都の花札屋を山内溥氏は、「ファミコン」で任天堂を世界的なゲーム会社に変身させた。
(中略)マスコミは、そこに先見の明や戦略の巧みさを見出そうとしたが、山内氏は、繰り返し否定した。花札が売れなくなったから、やむを得ず商売の転換を図った。それだけの事だ。確かに見事な変身と言うには、語弊がある。「ファミコン」に至るまでの山内氏は、乾燥米に湯を掛ける「インスタントライス」を売ったり、タクシー会社を始めたりして、失敗の山を築いていた。(後略)
そういうものかもしれない
終日米子店
PM07:00帰宅