0系は東京オリンピック直前の1964年10月1日にデビュー。「ひかり」として最高時速220キロで走り、特急で片道6時間半かかった東京-新大阪間を約4時間で結んだ。75年3月に博多まで延伸すると、東京-博多間を約7時間で運行、九州と本州をつなぐ大動脈の役割を担った。その後、500系やN700系など新型車両の登場に伴って出番は減少。現在は、山陽新幹線で運行する「こだま」だけとなっていた。
当時は、「夢の超特急」と呼ばれていました
私が初めて新幹線に乗ったのは、
昭和50年に山陽新幹線が開通した後なので
19歳頃だと思う
小中学生の頃は、新幹線に乗ったことがある友人は、わずかで
都会の香りがしたもんです
お疲れ様でした
終日本社
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