琉泉窯in牛滝山

紅葉の名所「牛滝山」の琉泉窯。読谷北窯・宮城正亨氏に師事、琉球と泉州をつなぐ精神で作陶、古民家「朋潤庵」に作品展示

淡い青色の紫陽花が美しい季節・・・・梅雨に上手く付き合うのは難しい!!

2012-06-25 20:45:33 | 日記
和泉葛城山の麓で谷の奥に位置する<琉泉窯>は日照時間が短い
それに
大雨続き!

大皿を挽いてますが、乾燥しない。展示室「朋潤庵」も暗く、湿っぽくて除湿機を回しています。
ヒーリング音楽が似合わないので沖縄ジャズを聞く。
寒さで、作品が凍結するのも大変だけど、
この時期も大変です。
自然相手で毎日天気が気になる日々

しかし、すぐ下の温泉に入り
天気の晴れ間にはお越しください
連絡頂ければお待ちしています。

映画「道ー白磁の人」(TOHO鳳)を見に行きました・・・お奨め!!・・・堺で2カ所上映です。

2012-06-13 08:02:47 | 日記

映画が全国ロードショーとなるのを待っていました。それが車でわずか20分で行ける場所で上映されると友人から聞いてすぐに行きました。梅田に出かけないといけないと思っていたのに・・・ラッキー!!
今から100年前の韓国、独立運動や独立宣言文を読み上げるシーンもあり、本とは違う印象、涙がでます。映画上映後拍手が聞こえたのでびっくり・・・。韓国スタッフが多いのもいいです。

昨年10月31日のブログをコピーしました。
2011年10月25日の夜行バスで山梨県甲府駅へ向かった。「浅川伯教・巧兄弟資料館」に行くためであった。甲府からJRで長坂駅へ、タクシーで高根町生涯学習センターに到着。その中に資料館があるが非常に充実しているように思えた。伯教に学んだ韓国の人間国宝池順鐸の白磁・青磁の作品、同じく人間国宝柳海剛の青磁の作品も寄贈され展示しているので見ることができる。韓国利川に訪ねたことがあったのでなんとなく懐かしい感じがしたが失礼な感情かもしれない。
映画撮影も行なわれ、来年は全国ロードショーとか。9時半の開館までに1時間以上あるので、兄弟の生家跡、浅川家の墓所、兄弟を育てた祖父小尾四友の句碑などフイールドワークをする。朝から3キロ位は歩く。生家跡近くの道端にはりんごの実が大きくなっていた。
高根町から見える北アルプス、八ケ岳の麓に広がる地域である。富士山も見える。感慨深い地である。

高根町五反田の公園は生家跡に近く「生家跡の碑」が建っている

空き地になっている生家跡には大きな杉の古木が今もあり、石垣など少し名残りを残している。

資料館の出している「韓国の民芸を愛し、交流の架け橋となった北杜市のきょうだい『浅川伯教と巧』」には「朝鮮古陶器の神様 兄・伯教」として「朝鮮人像「木履の人」が帝展に入選した時、伯教は新聞記者の取材に「朝鮮人と日本人との親善は、政治ではなく、芸術によって図っていかなければならないと語りました」と書かれている。「朝鮮の民芸を紹介 弟巧」として 「パジ・チョゴリの朝鮮服を着、朝鮮の人々と交わり、朝鮮の言葉を話し、朝鮮の工芸品を使って暮らした巧は、朝鮮の人と暮らしを愛し、名著「朝鮮の膳」を著しました。」とある。
兄は1913年、7歳違いの弟は1914年韓国に23歳で渡ったが韓国併合直後であった。巧は40歳で亡くなり勤めていた林業試験場で告別式は行なわれ、友人知人によって朝鮮の土になったのである。ソウル在住の故金成鎮さんが兄伯教から解放後譲りうけて守りぬいた貴重な巧の日記が「浅川伯教・巧兄弟資料館」に寄贈されている。
資料館見学後知人の車で八ケ岳麓の清里高原を案内して頂き、美味しいおそばをご馳走になった。富士山も高原から眺めることができ、雄大な景色に気分は爽やか、感謝の気持ちでいっぱいになりながら、甲府から新宿行きの特急に乗って山梨を後にした。

これも、昨年のブログコピーです。
2011年10月10日、北杜市訪問より前に韓国・ソウル近郊にある浅川巧のお墓をお参りしました。韓国の山と芸術を愛し、韓国の人々の心に生きた人です。書物「白磁の人」、「朝鮮の土となった日本人」(高崎宗司)に詳しいです。生誕120年にあたり、日本では、「浅川巧生誕120年記念 浅川伯教・巧兄弟の心と眼―朝鮮時代の美」展が各地を回っています。ソウルから地下鉄で清涼里に行きそこから201,720のバスに乗り東部第一病院で下車、忘憂里墓地までタクシーで行く。山を登り浅川巧のお墓に着きました。私は、思わず朝鮮式におじぎをしました。

広島・小倉・筑豊に旅をしました

2012-06-09 20:13:20 | 日記
6月2日、広島の山岡ミチコさんを訪ねました。広島城近くを散策し、また新幹線で小倉まで、在来線に乗り換えて、スペースワールド駅下車、知人宅に泊めていただき、楽しい「ゆんたく」。原発問題に取り組んできた女性で話がつきない。翌日は、飯塚へ官営炭鉱「日鉄二瀬坑」跡のフイールドワークに参加しました。懐かしい顔、顔。でも、戦後50年にあたる1995年に出会い、付き合いは長いのでそれだけ皆さん年齢を重ねていく。
4日にも過去にお世話になった知人を訪ね、お話を聞く、時間がゆっくり流れる。私は、等身大の自分でいられる筑豊の地が好きだ。
閉山後に大阪へ移住された方も多いだろうと思う。どのようなお気持ちで暮らしておられるだろうか?