雑誌の広告取りの仕事を始めて3ヶ月が過ぎた。仕事に慣れてきたこともあり、少しずつ新規の顧客も獲得し始めた。給料は一部コミッション制なので少しずつ増えてきており、5月頃のように、1レアル(65円)のお菓子を買おうかどうか悩む必要がなくなったのはうれしい。
私の顧客の大半は日系1世、つまりは日本人なので、日本語も通じれば、考え方も日本的であるため、仕事上特に困ることはない。私が日本で培ってきた従来のやり方でいいわけだ。
だから私は営業マンとして、誠意のある対応と失礼のない振る舞いを心がけている。直接の広告効果だけではなく、営業マンの態度いかんで広告を出すかどうかの決定が左右されると私は考えている。
ところが顧客が日系1世以外になると、私のそんな努力が何の役にも立たないと感じるケースもある。
あるとき広告依頼の連絡があった。聞くと従来の広告主である美容整形医院の紹介で連絡したという。
商談はスムーズにまとまった。近々ホテル内にバーと家電店を開くという若い社長はドクターの友人であり、かつドクターは社長の仲人であった。私が苦労せずに商談をまとめた背景には、ドクターの推薦が強力に作用していたに違いない。
バーや家電店の広告掲載は効果も見込める。だが、その後ドクターが彼の友人である防音サッシの業者を引き合わせてくれた時、私にはサッシの広告がいかほどの顧客獲得効果をもたらすか皆目分からなかった。それはわが雑誌の主要な読者は在サンパウロの日本企業の駐在員なので、彼等が持ち家に住むケースはまずないのである。
私が思案に暮れながらサッシの社長に対面するも、社長の関心はもっぱら広告料であり、広告効果のあるなしについては全く触れてこない。結局ある程度の値引きをして商談は成立した。
ここに述べた私の顧客は日本語があまり話せない日系2世ないし3世である。縁故や知人による紹介がものをいうのは日本も同様かもしれない。しかし、サッシの社長のように盲目的といおうか無批判に薦めに従うのは、さすがに今の日本ではあまり見られないのではないか。
その一方で、いくら広告効果が認められることを力説しても、非日系ブラジル人は決して私の話しに乗ってこない。まあ、私の言語能力で力説したところでどこまで相手に伝わっているか自信は持てないが、だが、これまで多くのブラジル人と話した中で、私が壁を感じているのは言葉以上に彼等との接点が見つからないことだ。
突然日本人がやってきて、彼等の読めない雑誌の広告効果を説いたところで、信じるまでに至らないのは当然かも知れない。ブラジル人は無碍に追い返すことをせず、ひととおり話しを聞いてはくれるが、説明の後には判で押したように、興味があれば電話すると言って話しはおしまいになり、もちろんその後はなしのつぶてである。
これが日系人であれば反応はやや異なる。彼等が日本語を全く知らない場合でも、私のポルトガル語の説明が彼等の関心を喚起した時には、彼等は質問をするなど興味を示す。
日系人にとっては、日本人は彼らのルーツであり、接点も多い。ところが非日系ブラジル人にとって、日本人は全く階層の異なるグループに過ぎない。
異なる階層に属する連中に対して、いきなり金銭を信託することなど考えられないのではないか。一流企業のようにネームバリューがあれば話しは別なのかも知れないが。
この国ではネポチズモと呼ばれる縁故主義が幅を利かせる。歴史的に家父長制の拡大家族による相互依存社会が展開され、利権は全て一族内で分配される。現在でも政治・経済における縁故主義は健在のようで、例えば一族の誰かが有力な官職に就くと、その一族の他の人間も有利なポストが与えられる、企業にはコネが無いと入社が難しい、国内大企業の多くが未だに家族経営の形態をとっている等である。
ブラジル人は一般に明るい人柄で、他人とすぐに打ち解けて話しをすることができるが、ことビジネスに関しては非常に閉鎖的のようだ。
販売業であれば、彼等のニーズが満たされるか否かであり、客は商品を自分の目で確かめることができるが、広告業では信頼関係が全てであり、日本人であれば営業マンの人柄や態度によってある程度の信頼を得ることが可能であるかもしれないが、ブラジル人には通用しない。
ブラジルでビジネスを展開するにはコネをつくるか有力者の一族になることを必要とする。それがないとノーチャンスだ。だが、コネをつくるためにはいったいどうすればいいのだろう。また、どれだけの時間がかかるのだろう。ビジネスの成功を目論みブラジル人社会にどっぷりと入り込んでいきたいのだが、彼等と私の間に立ちはだかる層は黒雲のように厚く、ずっしりと横たわっている。
私の顧客の大半は日系1世、つまりは日本人なので、日本語も通じれば、考え方も日本的であるため、仕事上特に困ることはない。私が日本で培ってきた従来のやり方でいいわけだ。
だから私は営業マンとして、誠意のある対応と失礼のない振る舞いを心がけている。直接の広告効果だけではなく、営業マンの態度いかんで広告を出すかどうかの決定が左右されると私は考えている。
ところが顧客が日系1世以外になると、私のそんな努力が何の役にも立たないと感じるケースもある。
あるとき広告依頼の連絡があった。聞くと従来の広告主である美容整形医院の紹介で連絡したという。
商談はスムーズにまとまった。近々ホテル内にバーと家電店を開くという若い社長はドクターの友人であり、かつドクターは社長の仲人であった。私が苦労せずに商談をまとめた背景には、ドクターの推薦が強力に作用していたに違いない。
バーや家電店の広告掲載は効果も見込める。だが、その後ドクターが彼の友人である防音サッシの業者を引き合わせてくれた時、私にはサッシの広告がいかほどの顧客獲得効果をもたらすか皆目分からなかった。それはわが雑誌の主要な読者は在サンパウロの日本企業の駐在員なので、彼等が持ち家に住むケースはまずないのである。
私が思案に暮れながらサッシの社長に対面するも、社長の関心はもっぱら広告料であり、広告効果のあるなしについては全く触れてこない。結局ある程度の値引きをして商談は成立した。
ここに述べた私の顧客は日本語があまり話せない日系2世ないし3世である。縁故や知人による紹介がものをいうのは日本も同様かもしれない。しかし、サッシの社長のように盲目的といおうか無批判に薦めに従うのは、さすがに今の日本ではあまり見られないのではないか。
その一方で、いくら広告効果が認められることを力説しても、非日系ブラジル人は決して私の話しに乗ってこない。まあ、私の言語能力で力説したところでどこまで相手に伝わっているか自信は持てないが、だが、これまで多くのブラジル人と話した中で、私が壁を感じているのは言葉以上に彼等との接点が見つからないことだ。
突然日本人がやってきて、彼等の読めない雑誌の広告効果を説いたところで、信じるまでに至らないのは当然かも知れない。ブラジル人は無碍に追い返すことをせず、ひととおり話しを聞いてはくれるが、説明の後には判で押したように、興味があれば電話すると言って話しはおしまいになり、もちろんその後はなしのつぶてである。
これが日系人であれば反応はやや異なる。彼等が日本語を全く知らない場合でも、私のポルトガル語の説明が彼等の関心を喚起した時には、彼等は質問をするなど興味を示す。
日系人にとっては、日本人は彼らのルーツであり、接点も多い。ところが非日系ブラジル人にとって、日本人は全く階層の異なるグループに過ぎない。
異なる階層に属する連中に対して、いきなり金銭を信託することなど考えられないのではないか。一流企業のようにネームバリューがあれば話しは別なのかも知れないが。
この国ではネポチズモと呼ばれる縁故主義が幅を利かせる。歴史的に家父長制の拡大家族による相互依存社会が展開され、利権は全て一族内で分配される。現在でも政治・経済における縁故主義は健在のようで、例えば一族の誰かが有力な官職に就くと、その一族の他の人間も有利なポストが与えられる、企業にはコネが無いと入社が難しい、国内大企業の多くが未だに家族経営の形態をとっている等である。
ブラジル人は一般に明るい人柄で、他人とすぐに打ち解けて話しをすることができるが、ことビジネスに関しては非常に閉鎖的のようだ。
販売業であれば、彼等のニーズが満たされるか否かであり、客は商品を自分の目で確かめることができるが、広告業では信頼関係が全てであり、日本人であれば営業マンの人柄や態度によってある程度の信頼を得ることが可能であるかもしれないが、ブラジル人には通用しない。
ブラジルでビジネスを展開するにはコネをつくるか有力者の一族になることを必要とする。それがないとノーチャンスだ。だが、コネをつくるためにはいったいどうすればいいのだろう。また、どれだけの時間がかかるのだろう。ビジネスの成功を目論みブラジル人社会にどっぷりと入り込んでいきたいのだが、彼等と私の間に立ちはだかる層は黒雲のように厚く、ずっしりと横たわっている。