臥伯酖夢 ―50代男のブラジル生活記―

再びブラジルで生活を始めた50代男の日常を綴る。続・ブラジル酔夢譚

小さな旅 ― バハ・ド・ピライ

2017-10-01 21:02:48 | Weblog
しばらく遠出をしていない。生活費を切り詰めねばならないので、余分な出費はなるべく控えたい。とはいえ、たまには旅をしたい。安上がりで、旅気分が味わえれば、場所はどこでもよい。リオ市街から100キロ離れた内陸部に、バハ・ド・ピライという町がある。19世紀から20世紀にかけて、鉄道交通の要所を担っていたが、今では足を向ける者も少なく、名勝で知られるでもないが、畜産業が盛んとの案内記に、何か美味しい肉が味わえるか、あるいは並肉でも美味しいと思わせる雰囲気が味わえればと期待して、午前8時半に家を出る。

歩きがけにちょうどバスが滑り込んできたので、駆け出した。降車ドアから、地元のスーパーで働く可憐な娘が降り立ち、目が合い、挨拶を交わす。きょう一日の扉が大きく開かれた。

バハ・ド・ピライに行く簡単な方法は、リオの長距離バスターミナルから高速バスを使えばよい。だが、それでは安く上がらない。だから一般の公共交通を使う。向かう先はセントラル・ド・ブラジル駅。セントラル・ステーションと言えば、思い当たる人も多いかもしれない。1998年に制作された同名の映画は、ブラジルの厳しい現実の中に通い合う人情を描いた名作である。この駅の開業は1858年、日本ではまだ鉄道が敷設される前に旅客営業を始めているのだ。かつてはサンパウロやベロリゾンテなど国内の主要都市に向かう乗客の出発地であったこの駅も、1990年代の長距離旅客営業の廃止により、リオの玄関口の地位を失った。

とはいえ、今でもリオ近郊都市へのアクセス機能は存分に果たしている。広壮な駅構内には売店がひしめき、多数の乗降客が往来する。13面あるプラットホームは横一線に並列し、目的地毎にホームが色分けされ、テレビモニターには種別、行先、発車までの残り時間が表示され、分かりやすい。大半の車両は冷房完備の新型車両だ。列車の出発まであと2分との表示を確認し、車両に沿ってホームを歩いていると、いきなりドアが閉まり出したので、あわてて両手でこじ開けて車内に潜り込んだ。

やれやれと思い、さあ出発と気持ちが弾んだのもつかの間、電車は駅構内から出るやいなや制動をかけて止まってしまった。そのまま3分経ち、5分経ち、ようやく電車は動き出し、ノロノロと進んでは止まり、進んでは止まって、最初の停車駅に息も絶え絶えに辿り着いた。まだこれから先、停車する駅は数珠のごとく連なるというのにである。

ふたつ目の駅、サッカー競技場で有名なマラカナンを出たあたりでようやく電車は走り方を思い出したか、快調に走り始めた、とはいえ最高速度は時速70キロ前後であろうか、日本の近郊型電車と比べると遅い。だが、リオでは高速で走る以前に、何事も無く走ることが第一であり、事故や列車妨害や信号故障、盗賊の襲撃等々に遭わないことをまず念頭に置く。まずは無事に着くこと、その次に、定刻らしき時刻に列車が目的地に着くことを願うという順序だ。列車の最高速度向上など、はるかに遠い先の話しである。

マラカナンで席はあらかた埋まるとともに、大小の荷物を担いだ物売りがどかどかと乗り込んできた。日本でいえばさしずめ車内販売といったところだが、彼等は至極賑やかに大声を張り上げながら通路を闊歩する。中には拡声器を用いて耳障りな声で売り歩く輩もいる。商品は何でもある。水、ビール、飴、スナック類、文房具、おもちゃ、たわし、化粧品等がたいてい市価よりも安い。炭火がおこった缶を車内に持ち込み、煎りたてのピーナッツを売り歩く者までいる。電車は地域の足としての機能の他に、沿線住民の買い物の場、そして生活の糧を得る職場として、人々の暮らしを日々支えている。

電車は適当に駅に停車しながら、ファヴェーラ群を抜け、住宅が密集するリオ北西部の平野を延々と走る。物売りはとっかえひっかえ乗り込み、その姿が途絶えることはない。いい加減乗りくたびれてきたあたりで、車窓に畑や荒れ地が現れ、地形に起伏が生じ、田舎の趣が色を帯びてきたところで、終点のジャペリ駅に着いた。

この駅でパラカンビ行きの電車に乗り換える。尿意を催し、トイレを探すが見当たらない。以前に使用した覚えがあるので清掃員に尋ねると、現在は使用不可で閉鎖しているとのこと。ブラジルではメンテナンスの不備か、狼藉者による破壊行為かによって、設備を導入してもやがて使えなくなるケースが多い。清掃員は私を気の毒に思ったか、線路脇に建つ小屋の裏で用を足せばよいと言う。ホームから作業員用の階段で線路に降り、小屋の裏へ回った。この国では規則外の融通が利くことによって、なんとか皆生きていられる。

ジャペリ駅で30分待ち、折り返しの電車に乗り継ぎ、15分ほど走って終着駅のパラカンビに着いた。鉄道の旅はここまでである。セントラル・ド・ブラジル駅から3時間かけて、70キロを走破し、支払った金額は4.2レアル(約150円)。この鉄道の運賃体系は、一駅乗っても全線乗り通しても同一運賃なので、貧乏旅行者にとってはまことに都合が良い。

ここからはバスの旅となる。市街地を抜けると坂道となり、バスはゆっくりと登ってゆく。山道に沿って農場の門が点在し、小集落に構える商店の母屋はこじんまりとしながらも落ち着きがある。リオ市街のせわしなさから遠く隔たったのどかさに、旅気分がこころを満たし始めた。

乗り換えのため、途中のメンデスという町で下車する。時刻は午後1時を回った頃で、腹が飯を求める時間である。ところが、平日にもかかわらず、バスターミナル周辺の店という店のシャッターが閉まっている。不思議に思い、訊ねてみると、今日はメンデスの町に由来する宗教的な記念日とかで、この町のみが祭日とのこと。旅人にとって、ラテンアメリカの小都市を祝祭日に旅することほどつまらないことはない。あらゆる店が閉まってしまうので、買い物や食事、町の雰囲気を味わうこともままならない。

所在なく、バスターミナルに佇んでいると、重厚なエンジン音の轟きと間欠的な汽笛の音が聞こえてきた。無人の道路に飛び出すと、視界の先には採土を運ぶ貨車がゆっくりと移動しており、やがて巨大なディーゼル機関車が3台連なって通過していった。ブラジルの貨物列車である。セハ・ド・マールという山脈を一気に登るため、強力な機関車の重連を必要とする。旅客列車は無い代わりに、長大な貨物列車がブラジルの鉄路の主役である。

バハ・ド・ピライに着いた時、すでに家を出てから6時間が経過していた。腹は空いていたが、時刻は2時を回り、主なレストランは閉まっているに違いない。慌てても仕方がないので、まずは市街を一回りしてみることにする。人口は10万近いだけあり、四方に広がる商店街は多くの人出で賑わっている。狭い道路に車が列を成す光景をたびたび目にするが、それは、行き違う際に顔見知りの運転手同士が長い挨拶を交わすために、後続車が先へ進めずに起こる渋滞である。ごちゃごちゃしながらも、のどかなものである。

市街地を隔てて川が流れ、川向うには山野が広がっている。ほとりに広場があり、飲食が楽しめるよう、売店とテーブルがある。ハンバーガーの類しかないが、景色が気に入ったので腰を下ろす。正面に見る橋の形に見覚えがある。中学の時分に友人と富山へ鉄道の撮影旅行に行ったが、高山本線の神通川橋梁がこの橋と同じ形状と思い至った。意図せずも細部まで妙に覚えているものだ。当時の、何でも吸収した記憶力に対し、現在の、語学や人の名前から、ご近所さんの顔かたちまでたちまち忘れてしまう記憶力との隔たりを思うに、どうやら自分がすでに過去の人間に思えてきた。

歳月人を待たず。やがては誰もが朽ち果てる定めである。それでも、生前の記憶や経験を未来に生きる子どもに伝え残せるならば、名残少なく次の時代を託すことができよう。私のような風来者に自分の歩んだ軌跡を伝える子などはいる由もない。ただ、せめて近しい他人のうちで、趣味でつながる同士同類の芽が育っていくならば、それはいくらか慰めになろう。鉄道ファンである、親友の息子の顔が思い浮かんだ。彼も鉄道の旅を通じて、いつまでも忘れ得ぬ情景を記憶の淵に積み留めるならば、それは楽しみだと思った。同類が昂じて私の生き方まで真似てしまっては困るのだが。

持参のペットボトルのカイピリーニャを嘗めながら市街を再び徘徊する。公園前の路地で、この商売では珍しい白人系のおばさんが焼く、串焼肉の屋台を見つけた。大振りの鶏肉をベーコンで巻いた串が目に付き、肉の産地としての期待が高まった。
「この町では畜産業が盛んと聞いていたんだけど、安く肉が買える市場はあるのかい」
「安く買うんだったらあそこを曲がった先にスーパーがあるよ」
「いや、スーパーじゃなくて、食肉市場のようなものはないのかい」
「そういうものはないねえ」
「何かお土産になるような特産品ってこの町にはあるかい」
「・・・・・」
ちょっと気が利いた人間なら、おらが町自慢をペラペラ始めるところだが、このおばさんは気が利かないのか、気乗りしないのか、それとも本当にこの町は何もないのか。
「この町は都会のように賑わっているねえ。でも、治安は大丈夫なんだろうね」
「いやあ、あんまり良くないねえ」
「不況なのかい」
「良くないねえ」
もうひとつ盛り上がらない。ボリュームのある一本を平らげたところで、おばさんと別れた。地元産の新鮮な鶏肉を賞味したので所期の目的を達成した、と自分を信じ込ませるまで多少時間がかかった。

空が暗くなり始めた。安スタンドバーに入ってさらに杯を重ねるには、この町はリオからやや離れ過ぎている。帰途に就くためターミナルに戻ると、乗るべきバスには長蛇の列があった。後尾に付き、ゆっくりとした進行に身を任せていると、突然、踏切が近くでけたたましく鳴り出した。はっとして、携帯を取り出し、列を離れ、踏切の傍に寄ると、大きな機関車が汽笛を鳴らしながら、ぬうと現れた。軽いエンジン音を響かせながら、ゆっくりと目の前を横切り、数両の工事用車両を牽引し、たちまち最後尾の車両が視界を通り過ぎ、遠ざかる後ろ姿が踏切を横断する人々と車に遮られた。100年以上前から、リオ、サンパウロ、ミナス各州への交通の要衝として鉄道と共に栄えたこの町は、旅客の往来は途絶えたとはいえ、今でも鉄道が町の風景に溶け込んでいるようであった。

帰路は道筋を変え、専用軌道バスBRTの始発地であるカンポ・グランデを目指すが、直通バスはなく、途中、どことも知れぬ場所で乗り換えなければならない。真っ暗な空の下に降り立つと、一本まっすぐに伸びる幹線道路の他には、街灯にぼんやりと照らされた道路沿いの家屋と、小さな停留所と、停留所の傍で店じまいをする数名の露店商の姿しか見えない。何だか、道路に連なる家屋の裏には荒涼たる原野が広がっているような気がした。

露店の脇に突っ立っている老人にどのバスに乗るべきかを尋ねると、暇で親切な老人は、単に説明するだけではなく、停留所の前でバスを一緒に見届けてくれた。待っている間、老人に、この町はいいところかい、と水を向けると、老人は嬉しそうに、「とってもいいところだよ」と答えた。

BRTの座席に腰かけ、イヤホンで音楽を聴きながら、ペットボトルに詰めた赤ワイン ‐ カイピリーニャはとっくに無くなっていた ‐ をちびりと呑みつつ今日の旅を終えようとしていた。隣には白い肌にスカーレットの唇の可愛い娘が座っていた。停留所が近づきバスがブレーキを掛けると、隣の娘は笑顔を向け、ジェスチャーを交えながら、私の胸に抱えたバッグのポケットからペットボトルが落ちそうだと教えてくれた。赤い液体が入ったそれがちょうど落ちかけた時にさっと拾い上げ、礼を言うと、彼女は立ち上がり、背を向けると、目の前で弾けるようなお尻をゆっくりと振りながらスカートの皺を伸ばし、それからドアに向かっていった。後姿を目で追いかけながら、ブラジルで生きる歓びが湧き上がった。

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